『ナショナリズムは悪なのか』萱野稔人(NHK出版)
本書は、哲学者であり津田塾大学准教授の萱野稔人によって書かれた論争的な著作である。
萱野氏には『権力の読み方』(青土社)など本格的な専門書の著作もあるが、いずれにおいてもその主張は論理明晰でわかりやすい。それゆえにこそ、本書の主張は際立って論争的なものとなっている。
萱野氏は、「左翼」を自称する。しかし「左翼」でありながら(というよりもむしろ「左翼」であるからこそ)、ナショナリズムを擁護するのだという。
こうした主張は、日本社会においては奇異なものとして受け止められやすい。共産党が戦前から一貫してナショナリズムの高揚に基づく侵略戦争に反対していたと唱えているように、あるいは、左派的な知識人たちによって、明治以来のナショナルな文化のありようが繰り返し相対化されてきたように、「左翼」とナショナリズムとは、水と油のように、全く相いれないものと考えられてきた。
だが、萱野氏はこうした発想を内在的に批判していく。例えば、明治以来のナショナリズムやそれに基づいた文化の形成について、左派的な知識人たちは、それがフィクションであることを暴き、批判してきた。
しかし、相対的な視点を学ぶためならばこうした発想に一定の有用性も認められるものの、「スクラップ&ビルド」という言葉で言うならば、こうした批判はただ単に「スクラップ&スクラップ」を繰り返していくだけで、実際の生活を考えていく上では、なんら有効な実践に結びついていないのではないかという。
例えば、利益の再分配を求めるのならば、国家がフィクションであることを割り切ったうえで、あえてそのフィクションを維持し、そのフィクションに基づいて、再分配を成す以外にあり得ないのではないかということだ。
つまり、この近代社会を生きていく上で残されているのは、ナショナリズムか否かではなく、よいナショナリズムと悪いナショナリズムのどちらを選ぶかしか、ないのではないかということである。
同じような主張は、リスク社会論を唱えるドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックにも共通する。ベックはここ何年にもわたって「methodological nationalism」という概念を唱えている。直訳すれば「方法論的ナショナリズム」だが、私は「戦略的ナショナリズム」と意訳したほうがいいように思う。
いわく、今日の国際社会における諸問題については、理想主義的にコスモポリタンで統一的な価値に基づく全会一致的な合意形成を求めるより、あえて各国の利害に基づいた調整をなしたほうが結局はうまくいくのではないかということだ。
わが国の、TPPに対する賛成とも反対ともつかない(それでいて結局は賛成と取られてしまうような)参加に対する意思表明の様子を眺めていても感じることだが、これからますますグローバル化の進展が著しくなる中で、本書は長きにわたって読まれるべき著作だと思われる。
末尾ながら、本書の内容をよりよく理解するためには、ビデオニュース・ドットコム(http://www.videonews.com/)によるインターネットニュース番組「マル激トークオンデマンド」の第550回 (2011年10月29日)『今こそナショナリズムを議論の出発点に 』(ゲスト:萱野稔人氏、津田塾大学国際関係学科准教授)も併せて視聴することをお勧めしたい。