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プロの読み手による書評ブログ

『FANDOM UNBOUND』Mizumo Ito, Daisuke Okabe, Izumi Tsuji(Yale University Press)

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「「オタク・オリエンタリズム」を超えて」

今日、われわれは「日本のオタク文化は海を越えて世界的に評価されている」と思っている。


ジブリに代表されるアニメ作品に対する評価や、あるいは海外出張の際に現地の書店に入ると「Manga」と記されたコーナーがあって、現地の言葉に訳された日本のマンガが並んでいる光景などを見ると、それもおおむね間違ってはいないのだろうと思ったりもする。

だがその一方で、なぜ日本のオタク文化において、これらの評価に値する作品が生まれてきたのか、さらに引いた目で見るならば、なぜ日本社会においては、これほどの想像力の豊かなオタク文化が成立してきたのか、といった社会的な背景については、十分に理解されていないように感じることもある。

寡聞にして評者の経験に基づくならば、海外からの日本のオタク文化に対する見方においては、一方では「ゲイシャ・フジヤマ・シンカンセン」とでも並べられてしまうような、珍妙なふるまいをする「オタクたち」が注目を集めながら、さらに一方では、あたかも文学的な評価に値する作品のように、一部の日本製アニメやマンガがもてはやされるという、そこには奇妙な切断が存在しているように思われる。

日本社会に注目が集まること自体は喜ぶべきことと思うのだが、結局のところ、珍妙な社会の珍妙な存在としてしかオタク文化が見られていないのだとしたら、それは本当の意味では理解されていないのではないかという思いを強くしたりもする。結局のところ、オタク文化に対しては、オリエンタリズム的な見方にとどまっているのではないかということだ。

そこで本書は、こうした「オタク・オリエンタリズム」を乗り越えようとすることを企図して編纂された論文集である。

社会学的な視点を中心にしながら、PART1~3までの3部構成を取りつつ、まずはオタク文化がいかにして日本社会に成立してきたのか、その歴史的な経緯をじっくりと掘り下げたうえで(PART 1.CULTURE AND DISCOURSE)、今日のオタクたちのふるまいや実践が、決して珍妙なものではなく、いかに理解可能なものであるかという点について、当事者たちの間に深く入り込んで記述がなされている(PART 2.INFRASTRUCTURE AND PLACEおよびPART 3. COMMUNITY AND IDENTITY)。

またアメリカにおけるオタク文化の事例についても、ふんだんな記述がなされた章がいくつもあるので、決してそれが日本社会だけの珍妙な現象ではないことが改めて理解されよう。

なお評者自身も、Chapter 1.Why Study Train Otaku? –A Social History of Imaginationにおいて、鉄道オタクの歴史を掘り下げながら、日本社会におけるオタク文化の成立と変容について論じているが、そのように自らのかかわった著作を取り上げることに対しては、若干のためらいもありながらも、前例のない野心的な論文集であるがゆえに、あえてこの書評で取り上げさせていただいた次第である。

近いうちに日本語版も筑摩書房から刊行される予定だが、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、北田暁大氏の『嗤う日本のナショナリズム』(NHKブックス)、森川嘉一郎氏の『趣都の誕生』(幻冬舎)といった、オタク文化を社会背景から理解するうえでの必読の文献(抜粋)も、そろって収録された本書は、まさにお得でお勧め一冊であるといえよう。


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