『武器としての決断思考』瀧本哲史(星海社新書)
「「正規戦」ではなく「ゲリラ戦」の兵士となるために 」
本書は、京都大学客員准教授であり、同大学で「意思決定論」「起業論」「交渉論」などの講義を担当する瀧本哲史氏が記した、若者たちを啓発するための著作である。
氏には、本書『武器としての決断思考』のほかにも、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)、『武器としての交渉思考』(星海社新書)などの類書が存在するが、やはり学生に対してならば、本書から読み進めることをお勧めしたい。
大学に勤務する自分自身のことを振り返ってみても、学生たちを啓発することは至難の業である。単純に「がんばれ」とか「やる気を出せ」とか、はげませば済むだけの話ではなく、そもそも「自分のことを自分で決める」という思考回路を持ち合わせていないことが多いのだ。それも、このことが彼ら自身の問題によるものというより、おそらくはこの社会が長らく抱えてきた問題であるからこそ、根が深いのだ。
一例をあげよう。秋口になると、大学内では翌年度に所属するゼミナールを探し求めて、学生が動き始める「(就活ならぬ)ゼミ活」のシーズンを迎える。
幸いにして、評者のゼミにも幾人かの学生が、関心を持って質問に訪れてくるのだが、近年よく聞かれる質問で、どうにも違和感がぬぐえないものがある。
それは、「先生のゼミではどのような人材を輩出したいと思っていますか?」あるいは「先生のゼミを出ることで、自分はどのような人材になれるでしょうか?」というものだ。
このように、自分自身の行く末を、所属する大学のゼミナールあるいはその指導教員に丸投げしようとする発想が、どうしても私にはなじめない。
もちろん、個人的にこういう学生が好ましい、こういう社会人が多くなればよいといったイメージは持ち合わせてはいるものの、それを指導学生に押し付けようなどと思ったことはこれまではなかった。
それどころか私自身は、大学という場は、むしろ逆だったのではないかとも思う。それぞれに個性があり、自分の主張のあるものが集まってきて、教員に対しても、学問というフィールドにおいては対等にぶつかり合いながら互いに研鑽し、そして世に出ていく・・・、大学とはそういう場ではなかったのか。
とはいえ、ないものねだりばかりしても仕方がないので、上記のような質問をされた場合は、とりあえずありきたりの回答をすることにしている。
また時代が時代であるならば、ある程度は、それにあわせた教育を施すこともやむを得ないのだろうとも思い始めていた。
そんな折、本書と出会い、まさにこれは今の学生に最適の入門書だと思った次第である。
本書の主張は極めて単純明快である。一言で要約するならば、「自分のことは自分で決めろ」ということ、そのことの重要さ、あるいはそのために必要なテクニックなどを、きわめてわかりやすく、記してくれている。
かつての大学ならば、こうした内容は当然の前提としてスキップできたものなのだろうなと思わなくもないものの、それでも、今日においては大学生の必読書として読んでほしい一冊である。
同じく瀧本氏が記した類書である『僕は君たちに武器を配りたい』の文中の表現に倣うならば、混迷を深め、先行きの見通せない現代の日本社会で生き抜くことは、まさに正規戦ではなくゲリラ戦を戦うことにほかならず、本書はそのための武器を手にするまさしく第一歩に他ならない。