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『社会を超える社会学―移動・環境・シチズンシップ』ジョン・アーリ著/吉原直樹監訳(法政大学出版局)

社会を超える社会学―移動・環境・シチズンシップ

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「「移動性(モビリティ)の社会学」への期待的な展望」

 本書はイギリスの社会学者、ジョン・アーリが2000年に出した著作“Sociology beyond Societies: Mobilities for the twenty-first century”の翻訳である。原著が出されてからすでに10年以上がたち、訳本が出されてからも数年が経過しているが、原著のサブタイトルに含まれている”Mobility(モビリティ=移動性)”というキー概念の重要性はますます高まっていると言えるだろう。

 アーリは、この概念の検討に特化した著作を、2007年にも”Mobilities ”というタイトルでPolity Pressから出しているが、和訳されたものとして、さらに今日の社会変動を踏まえつつ、その中での社会学の存在意義を見据えながら、このキー概念を提唱したものとしての本書の重要性は今なお変わることがないだろう(それゆえに、余談ながら評者は、本書を今年度前期の大学院ゼミのテキストとして取り上げた)。

 アーリはもともと観光旅行に関する研究から、この概念の着想を得たようだ。この点をパラフレーズするならば、観光旅行中、人は地位や役割のフィックスされた日常生活とは違って、身寄りのなさやアイデンティティの寄る辺なさを味わうことになる。そして移動性(モビリティ)の高まった今日の社会においては、いわば毎日の生活すら、観光旅行中のように寄る辺なく生きていかなければならなくなる(ガイドブックに頼って観光客がその寄る辺なさを埋め合わせていくように、今日のわれわれはその寄る辺なさを埋め合わせるために、例えばモバイルメディアのようなものが手放せなくなるのだともいえよう)。

 アーリは、こうした移動性(モビリティ)の高まりの表れを、たとえばグローバル経済の進展に見る。国境を越えたフローの広まる今日においては、国民国家の存在そのものが相対化されざるを得なくなる。こうした状況下では、19世紀以来、社会学がその存在意義を見出してきた「社会」という対象すら、流動化してあやふやなものになってしまいかねない。

 だが、アーリの着想が面白いのは、こうした状況を新たな社会のありようとして積極的にとらえ直そうとするところにある。いわば、バウマンのように、近代社会が液状化したものとして悲観的に捉えるのではなく、むしろ移動性(モビリティ)の高まった状況を、そのまま社会として名指すところに、新しい社会学の方法基準を求めようとしているのである。

 こうした新たな社会を記述するキー概念の中でも、地位や役割といったフィックスされたものにかわる、ハイブリッド(な存在)という捉え方が面白い。

 例えば、アーリは移動性(モビリティ)の高まりを示す事例として、(他の著作でも)自動車について検討しているが、そこでは自動車と運転手を別々の存在としては捉えていない。つまり、自動車と運転手というものが、固定化されて別々に存在しているのではなく、「自動車・運転手」というハイブリッドがネットワーク化されてうごめいているものと捉えるのである。

 こうした発想に基づくならば、さしづめ今日でいえば、「モバイルメディア・ユーザー」というハイブリッドな存在を思い浮かべるとわかりやすいだろう。これまでのテレビでいうならば、一方的に情報伝達してくるメディアとその受け手との区別はフィックスされていた。だが、たとえばLINEのようなスマートフォンのアプリケーションソフト(アプリ)を想定すると、それを介したコミュニケーションに時と場所とを問わずに追い立てられているとき、はたしてコミュニケーションしているのは、自分なのかアプリなのか、よくわからない感覚に陥った人も少なくないことと思う。

 このように、本書は近年の社会変動を捉えていく上でのヒントに満ち満ちた著作である。評者は、研究仲間とともに、メディア論における応用を構想しつつあるが、むろん本書の射程はそれにとどまるものではないだろう。

 ただ、発想の独創性が先立つためか、概念整理がやや雑だったり乱暴だったりする個所も見られるのだが(本書の所々でも、重要な概念が系統立てられないままに箇条書きになされた個所が見られるのだが)、この点は読む側が自らの社会のコンテクストに合わせて期待直していけばよいのだろう。

 また、いわゆる9・11同時多発テロ事件以前にまとめられた書物のため、やや国際社会の流動化の高まりに対して、あるいはそこで果たすEUの展望について、少し楽観的なのが気になるのだが、そのような批判は「後出しじゃんけん」のようなものとして差し控えるべきかもしれない。

 いずれにせよ本書は、これからの新たな社会をとらえるための、一つの重要な概念を提起した記念碑的な著作として評されるべきものと思う。


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