『老いの才覚』曽野綾子(ベスト新書295)
私は年齢的に50代後半に突入したところである。親の年齢は80代となった。私の両親、そして家人の母が健在だ。私の両親もさまざまな局面で手助けが必要になってきたが、問題は家人の母親だ。典型的なアルツハイマー型痴呆を抱えている。「どうしても一人で暮らしたい」と譲らないので今のところは好きにさせているが、それを補佐するためのまわりの苦労は半端ではない。だいたい口で義母に勝てる者がいない。恐るべきは認知症の屁理屈だ。本人の記憶力は日増しに衰えるが、身体はいたって健康だ。介護者にとってはそこがやるせないところでもある。
介護というものは実際にやってみないとわからないものだ、とつくづく思う。それも「肉親の介護」がきつい。配偶者の親も親ではあるが、血はつながっていない。一概には言えないものの、血がつながっていなければ自分の意識のどこかに多少なりとも醒めたところを確保できるように思う。しかし血縁となるとつい感情的になって、手荒に対応してしまい勝ちなのだ。
日本社会の高齢化にはそら恐ろしいものがある。今介護を必要としている老人たちよりさらに上の世代は、まずは今より大人数の家族で世話をできるケースが少なくなかったし、今ほどは長生きしなかった。最先端の医療による延命措置にも限りがあったに違いない。介護に対する社会の意識は、今日と少なからず異なっていたように思われる。
もちろん別の見方もあろう。その当時実際に介護を担当しなければならなかった人にとっては、今日のようにその苦労や心痛を共有できる場も、利用できる施設も相談相手も限られており、状況は今と比較にならないほど八方ふさがりだったに違いない。
いずれにせよ、介護を必要としている老人を放り出すわけにはいかない。しかし私たちが考えるべき問題は、今はまだ動ける私たちが選ぶべき「我が身今後の生活形態」である。好んで痴呆になる人はいないが、私たちすべてに「将来人に迷惑をかける」可能性がひそんでいる。できることはただひとつ。「自分で判断できるうちに自分の生き方を決め、それを確実に実行すること」である。口先だけのきれいごとで終わらせてはいけないのだ。
私の親たちも元気なうちは「そのうち身体が動かなくなったら、どこか施設に入ろうと思っている」と言っていた。しかし、実際それが必要になった時点では判断力が衰え、物件を捜す体力も気力も残っていない。タイミングを逃してしまったのだ。たとえ経済的に余裕があって有料の施設を利用できるような場合でも、昨今の経済状況の中、そうした施設が倒産してしまう危険もあろう。まさにロシアンルーレットのような状況だ。
元気なうちに自分の晩年の生き方を決めたいものだ。そして、まだ余力のあるうちはできるだけスマートに生きていきたい。そんな思いを感じながらこの本を読んだ。理想と現実の間にギャップはあろうが、「できることはできるうちにやる」という覚悟と勇気が必要だろう。つけ加えておけば「早めにやる」ということも。数も減っていく若い世代に「順番だから」と、今の介護者が担わされている負担をこのまま押しつけるわけにはいかない。
『大塚女子アパートメント物語 オールドミスの館にようこそ』川口明子(教育資料出版会)
同潤会によって建設された女性専用アパート、大塚女子アパートメントの軌跡をつづる本書。
その設立は1930年。地上五階、地下一階、中庭を抱いたコの字型の建物には148の居室があった。地下には食堂と共同浴場、一階には応接室とミシン室、五階には洗濯室と物干し場、屋上には音楽室とガラスばりの日光室、同潤会アパートのなかでも特に共有スペースが充実していた。また、水洗トイレ、エレベーター、ダスターシュート、ガス湯沸かし器等、当時の日本人の住居環境からすれば、夢のように快適な近代的設備を持つ、当時最新の女子向けコレクティブハウスともいうべきアパートである。入居の条件は「月収五十円以上」、当時の女性としてはかなりの高収入である。専門的な職種の、いわば「職業婦人」たちをあてこんで造られたのがこの大塚女子アパートであった。
この「職業婦人」憧れの住まいは当時から人々に注目され、メディアにも華々しく紹介されたが、本書に取り上げられている記事をみると、そこには世間のよからぬ好奇の目が注がれていたとわかる。たとえば1931年の『婦人公論』には「モダン女護ヶ島――女独身アパート夜話」という、女性誌らしからぬタイトルで、職業婦人のアパート暮らしが揶揄されているという。
主婦向けというよりは、新しい女性のための雑誌のはずの『婦人公論』にそんな記事があったというとがなにより驚きだが、それだけ大塚女子アパートのようなモダンな部屋に暮らす女性たちが特殊な存在だったということか。
女性に限らずとも、単身者の住居は下宿か間借りがおおかった時代のこと、プライベートな空間を手に入れられる人は限られていた。それゆえなのだろう、大塚女子アパートには、「男子禁制」の厳密な規則があって、たとえ親兄弟といえども一階の応接室までしか入ることができなかったという。この問題については、創立当初から居住者と同潤会はもめていたらしい。ちなみに同じ時期に同潤会が建てた独身男性専用の虎ノ門アパートには、女子禁制の規則はなかったという。
戦後、同潤会アパートは、同潤会に変わってアパートの管理を引き継いでいた住宅営団が解散したのち、いったんは東京都の管理下におかれ、住民へと払い下げられた。しかし、大塚女子アパートだけは、居住者の意見がわかれたためにそれが行われなかった。もしもアパートが分譲されることになれば、それまでの女性専用という規則は壊れ、どんな人間がアパートに入ってくるかわからない、という意見が反対派にはおおかったという。
こうして大塚女子アパートは都営住宅として存続することになり、高収入のモダンガールのお城から一転、低所得の独身女性のための住居となる。ここから、安心で快適な暮らしを女性たちに保証するアパートの堅牢な鉄筋コンクリートの厚い壁は、居住者たちを社会から隔絶するものに変わってしまったのだろうか。「男子禁制」の規則も、戦後は一転、居住者が自ら遵守するようになったという。
そんな、戦後の大塚女子アパートの雰囲気をよく伝えるのが、戸川昌子の処女作『大いなる幻影』である。戸川は戦後、母親とともに焼け出されて行き場を失い、大塚女子アパートに入居する。暮らしてみると、戦中から修復されることなく放置され、地下の浴場は閉鎖され廃墟と化していた。そんなアパートの様子に想像力を掻き立てられて生まれたのが、ミステリー『大いなる幻影』だったのだ。そこでは、孤独な女性たちの葛藤がぶつかり合うことで物語が展開してゆく。
亡き夫の遺した意味不明の論文をくりかえし清書しつづける未亡人と、彼女に劣等感を抱いてその生活を覗き見しようとする管理人の女性。演奏家になるという夢に破れ、過去に犯した過ちに囚われたヴァイオリン教師。裾のほころびたロングスカートを着たきりで、ごみだらけの部屋で魚の骨を煮ては食べている元・図画教師。かつての教え子に毎日手紙を書くことを自らに強いて、それをひたすら守りつづける元・女学校教師。
『大いなる幻影』の登場人物たちをこうしてなぞると、アパートにはかつては華やかだった「職業婦人」たちの孤独な末路がせめぎあっている風である。しかし現実は、お互いに余計な干渉もせず、一方では気さくなつきあいも持てる、とても暮らしやすいところだったという。そう回想するのは、戸川にすこし遅れてアパートに入居した、フェミニズム批評の先鋒・駒尺喜美である。当時二十七歳の彼女は、女性運動家小西綾を追って上京、大塚女子アパートに住み、そこから大学へ通った。駒尺がのちに、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』にも紹介されたシニアハウス「ともだち村」を建設し、「血縁によらない共生」を目指したのは、大塚女子アパートでの生活が影響していると著者はいう。
「私はグループを作って本を読んだりおしゃべりするのが好きで、大塚女子アパートにいたときから、そういうことをしていたんですが、どこに行ってもそれをつなげて血縁でなくても一緒に住むようになった」法政大学の非常勤講師になった一九六六年、小西綾とともに大塚女子アパートを去るが、ここでの生活がそういうライフスタイルの原点となった。現在でも、家賃の高い東京では、友人とルームシェアして住む人はいるが、駒尺は経済的な理由からではなく、自分の生き方としての「共生」を選んだのだ。
2001年、日本建築学会より東京都に提出された「旧同潤会大塚女子アパートメントハウスの保存・再生に関する要望書」には、これが「女性の社会進出という時代の趨勢を端的に反映したアパートメントハウスである」という見解が示されている。たしかに、高収入の女性専用という同潤会のコンセプトは、当時の言葉でいえば「職業婦人」という自立した働く女性たちが東京の街で活躍しはじめた時代であればこそのものだ。
しかし、建設当時の時代を反映している、としただけでは、大塚女子アパートが働く女性たちにとってどんな意味を持っていたのかを示すことにはならない。アパートに住まった女性たちのエピソードを紹介しながら、戦争によって様変わりしたそのありようと、2003年の解体までの歴史を眺めてみてはじめて、それはみえてくるのものなのだろう。
『小説家』勝目梓(講談社)
「なぜ、彼は小説家になれなかったのか」
こういうときこそ、本を読みたい。
本書はエンタテイメント作家として知られる勝目梓が、いわば素顔に戻って書いた自伝である。今さらなぜ自伝なのか、その必然性が読み進めるほどに明らかになってくる。途中の語り口は決してなめらかではなく、ときにはむしろガチガチと言えるほどだ。
妻以外の女に心を向けている者の心が苦衷で染められるとき、そこに生み出されてくるのは、自己正当化によるぶざまな心の糜爛だということを、彼は自覚していた。彼は、図太く乾いた心根をもってその事態の中を押し通っていくしかない、と己に言い聞かせつづけなければならなかった。(184)
これはかなり極端な例だが、この凝固したような罪悪感や言葉の滞り、内省的なようでいて実は内省こそをこばんでいる頑なさなど、すべて作品の底流に流れつづけるトーンの一部を成している。それが薄められたり、溶解したり、ふっとやわらかい描写の中に解消されたりしながらも、この作家の自意識はいつもこの硬い部分に帰って行くように思える。読んでいくうちにこちらも、この訥弁といってもいいスタイルが病みつきになる。
この妙な魅力は、この作品のモチーフとも関係している。『小説家』とのタイトルがついた本書だが、その根にあるのは「なぜ、自分は小説家たりえなかったのか」という煩悶なのである。
前半ではこの問いはそれほど明瞭には語られない。出だしはとにかくこちらを引きこむ。この本を手に取った人は、おそらく最初の「石の夢」という圧倒的な章を読んだだけで、読みやめることができなくなってしまうだろう。幼少期の父の思い出から壮絶な炭坑内の描写へと進むこの30頁足らずの冒頭部には、勝目の作家としての描写の技術がふんだんに注ぎこまれ、戦慄だけでなく、哀感や畏怖のまじった複雑な情感を醸し出す。三部構成になった本書の第一部は、こうして高校を中退して炭坑に働き口を見つけた青年の、初恋や、娼婦との交流や、友人の情死などをまじえた「青春の記録」という趣きになっている。
ところが第一部の終わりあたりで、人生の重大局面であるべき場面に自分の記憶がいちいち不確かであることにあらためてあきれながら、語り手がこんな述懐をもらす箇所がある。
それは自分が物事を深く考えようとはせずに、その場その場の成り行きに身を任せて、風に吹かれ、水に漂うようにして生きていたせいではないか、と思えてもくる。(149)
ここでふと漏らされたような感慨が、次第に頻繁に語りに出てくることになる。語り手は労働組合の新聞編集の経験を通して文章を書く楽しみを知り、鹿児島の実家に戻って養鶏場をやるようになっても、とにかく文章が書きたくて小説を書くという作業をつづけるのだが、そこでも〝深く考えようとはしない自分〟が意識されることになる。
彼は書こうとするものについて深く考えることをしなかった。考えることが苦手だった。考えを深めたりひろげたりするための手がかりとなるべき知識や教養の持ち合わせがなかった。抽象的な思考を積み重ねていく訓練を、彼はしていなかった。書きたいと思うことがあっても、それがどういう意味を持ち、どのように書かれるべき事柄なのかといったことを考えようとは彼はしなかった。(235)
果たして小説家というものが書きたいものを明瞭に意識し、その「意味」やそれが「どのように書かれるべき事柄なのか」ということについて、はっきり自覚的であったりするのかどうか。しかし、大事なのはおそらく、主人公がそのように〝理想の小説家〟の姿を想起しようとしつづけたということなのかもしれない。そしてその〝理想〟にいつも及ばないところにいる自分という意識が、逆にこの小説家の原動力にもなった。
貧しさの中に生まれ、青年期以来、本人のいうようにまさに成り行きに身を任せるように職を転々とした主人公は、小説を書くという行為についてだけは驚くほど強い意志をもって取り組んでいる。やがて妻子を鹿児島の養鶏場に置き去りにし、愛人と東京に出るのだが、その目的も「文芸修行」である。
そんな主人公が東京で参加した同人誌『文芸首都』で出会ったのが、まだ十九才の中上健次だった。生意気で観念的で、しかし、全身から文学オーラを発散していたこの若者に、彼は打ちのめされる。そして中上と自分との決定的な違いにも、いやおうなく自覚的になっていく。中上のスタイルは工芸品を作るような職人風の小説家とは一線を画しており、「初めからもっと大きな文学を目指していた」という。
中上はラジカルなところで文学を考えようとしていた。文学によって自分自身の世界観と思想をはぐくもうとする姿勢が中上にはあった。そのモチベーションが常に中上健次を突き動かしていたはずである。文学的な出発のときから、中上健次の眼は自分自身の心の姿に注がれていた。それ以外は振り向きもしなかった、と言ってもいい。(309)
第三部の中でも俄然迫力があるのは、主人公が『文芸首都』で垣間見た中上健次の様子を描いた箇所である。中上が同人誌のサークルに引き起こしたセンセーションのようなものは、後に昭和の文学が大きく形を変えていく、その先触れとなったものを具体的に想起させてくれる。しかし、そんな中上を前にして、主人公はまたもや思うのである。自分は中上とは違う、自分には明確なモチベーションがないのだ、と。
そういう根源的な発想とは、彼は無縁のところにいた。彼は自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思えるだけだった。家族や血縁というようなものも、彼にはただ重たくわずらわしかった。(309-310)
「自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思える」なんて、「小説家」であることに変な執着があるうちは決して口にはできない科白だろう。しかし、勝目はある意味でこれを自覚することではじめて真の意味で「小説家」となった。
彼には文学によって思想を確立しようというような、主知的な欲求はなかった。彼はそのときどきの気分のようなものの動きによって、生きていることの実感を味わう男だった。おのれの心に向き合う前に、気分が彼の関心の前に立ちふさがった。その捉え難い気分によって誘い出されてくる生の実感を小説に定着させようというのが、彼のもくろみだった。(310)
私小説を書くとかそういうことではなく、小説家というものはともかく〝自分〟にこだわることが要求される。ナルシシストであることを恐れてはいけない、自分の中にのめりこまなくてはいけない――日本の文壇では伝統的にそんな風潮が強い。これに対し「中上健次と違って、自分の中にのめりこんでいくのが苦痛でならなかった」という主人公は、「自分にとっては書くべきモチーフも、語るべき何ものもないのだということ自体を小説に書こうとして悪戦苦闘をつづけていたのだ」と気づく。それも、この語りが行われている「今」になって、ようやく気づいたのである。この境地に達するそのプロセス自体を私たちは、この自伝を読むことを通して追体験する。
勝目は40歳をすぎてから〝純文学〟を捨て〝娯楽小説〟に転身する決心をした。セックスとバイオレンスのあふれる世界。そこには「純文学はアマチュアでもやれるが、娯楽小説はプロにしか書けない」という自負ももちろんあったが、もちろん心残りがなかったわけではない。そういう「残ったもの」の中からこの自伝が生まれた。
皮肉なことに、おそらくこの作品を読んだ多くの人は、「自分には何もない」と言おうとする作家の、その数奇な運命に陶然とするだろう。その曲折ぶりたるや、まさに〝文学〟ではないかと言いたくなる。仕事を転々としながら女性遍歴を重ね、家族を裏切り、愛人を捨て、それでもまた新しい女性に惹かれしてしまう。そのくせ、自分に「遊び心というものが決定的に欠如していた」のが小説家として致命的だったなどと言う。彼にとっては女性たちとのかかわりは遊びなどではなく〝宿痾〟であったのだろう。その顛末が、終始生硬なほどのきまじめさにつらぬかれた、決して雄弁ではない文章で語られる様が、不思議な感慨を呼び起こす〝自伝〟である。
『災害ユートピア─なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』レベッカ・ソルニット(高月園子訳)(亜紀書房)
「私たちの社会の希望のために」
3月11日以降、メディアを中心とした周囲の環境があまりにも騒々しいため、なかなか落ち着いて読書できない。それでも、気分を落ち着かせることが大事なのだと自分に言い聞かせて、テレビやネットを見る合間に、あれこれと本の頁をめくり、実は相撲の本の書評を準備していたのだが、どうしてもブログ形式の書評欄にこの日付で平静さを装った文章を書きつけておく気にならない。そこでやはり、災害に関わる本書を最近読んで感銘を受けたところだったので、そちらを紹介しておく。すでに柄谷行人が朝日新聞(2月6日)で勘所を押さえた書評を書いているので、ここでは取り上げないつもりだったのだが、こういう事態のなかもう一度紹介しておくことも無意味ではないだろう。
大地震、大洪水、巨大テロなどの大きな災害が起きた後、人々の間には集団パニックが起き、誰もが他の人を踏みつけにして生き延びようとすると一般的には信じられている。しかし実際の災害現場では違っていて、そこには人びとが相互扶助的に助け合おうとするユートピアが閃光のように出現するのだと、本書の著者であるレベッカ・ソルニットは主張する。単なる理想論として言っているのではない。彼女は実際に、サンフランシスコ大地震(1906年)、カナダのハリファックスの軍需船大爆発事故(1917年)、ロンドン大空襲(1940年)、メキシコ大地震(1985年)、ニューヨーク911(2001年)といった災害を生き延びた人々へのインタビューや回想録などを通して、その事実を明らかにしていく。いま現在も西欧のメディアから、東北・関東大震災下の日本人たちが略奪も起こさずに整然と行動している様子が賞賛されて話題になっているが、それは決して日本の文化的特性の問題なのではなく、西欧社会でもこれまで災害時には起きてきたことなのだ。
例えば、サンフランシスコ大地震の後、被災したある女性は、公園に野宿していた三日目に、間に合わせのドアやテントを用いて、小さなスープ・キッチンを作り、周囲の人々のために食事を作り始めた(炊き出しだ!)。やがて居合わせた見知らぬ人々の協力で、壊れたあちこちの建物からガスコンロが集められ、食器を買うための募金が行われ、それはたちまちに200名から300名分の食事を無料で提供するキッチンへと成長を遂げたという。そのキッチンでは、見知らぬ人同士が友人になり、楽しそうに力を合わせ、惜しげもなく物を与えあった。やがて誰かが、消失してしまった同市の巨大ホテル「パレスホテル」の名前の看板を冗談めかしてそこに掲げた。つまり金銭も社会的地位も役に立たない状況に陥ると、人間たちはパニックになるよりも、普段の格差や分裂を超えて親密なユートピア空間を立ち上げる。災害社会学者チャールズ・フリッツらもこれまでそう主張してきた。
しかし行政組織や軍隊やメディアのように、被災地の外側から救済のためにやってくる人々は、被災者たちはパニックを起こしていて、統制しなければ略奪を始めてしまうと思い込んでいる。同じサンフランシスコ大地震の場合でも、火事場泥棒は射殺してもよいと市長に指令されて送り込まれた軍隊は、略奪を防ぐために酒場や食料雑貨店に押し入ってアルコール類を破壊し始め、自らが暴徒化して被災者たちに恐怖心を与えたという。最近のニューオーリーンズのハリケーン・カトリーナ(2005年)の際にも、派遣されたイラク帰りの兵士たちが、略奪犯と間違えて市民に発砲した事件が起きたり、人々を暴徒化しないように一か所に閉じ込めたりしたことが問題となっている。
こうした、行政組織が抱いている妄想、つまり自分たちが維持すべき社会秩序が、災害下では貧困者やマイノリティによって破壊されると考える恐怖心を、著者はキャスリン・ティアニーの用語を借りて、「エリート・パニック」と呼ぶ。エリート・パニックは必ずしも暴力の形で起きるだけではない。先のスープ・キッチンは、行政が乗り出してチケット制を導入し、割り当て分以上の食事を手に入れるような不公平な人間が出ないような正義の仕組みを作り上げたとたん、人びとはその温かみを失った官僚的なキッチンに興味を失って離れていったという。つまりエリート・パニック的な冷たさは、不公正は許さないという官僚制度そのもののなかに眠っている。
しかし私たちは、単純に無政府主義者風に、災害ユートピアを理想的な社会として称揚すれば済むわけではむろんない(ただし、クロポトキンを肯定的に引用する著者ソルニックには、ややそういう志向がある)。社会秩序を公正に営むための官僚制度を私たちはやはり必要としている。また私たち自身もいまメディアを通して、津波が襲ってくる光景や原発の爆発する光景を繰り返し見るとき、そこで苦難のなか助け合って生き延びようとしている現地の人々とは根本的に違った、「エリート・パニック」のような心理状態に置かれている。まだ守るべき財産や家族がある人々は、それらを維持しようとする限りにおいて必ず「エリート・パニック」的に振る舞ってしまう。だからいま各地の人びとは、来るかもしれない余震や放射能の恐怖におびえて、買いだめパニックのような行動を起こしたりもしている。
しかしその同じ人間たちが、地震当日には、帰宅困難者同士で相互に励ましあい、親密に助け合ったという話を何人かから聞いた。だから私たちが本書から学ぶべきことは、決して人間に希望を失ってはならないということだ。私たちはここのところずっと、年金受給が不公平だとかカンニングした奴は不公平だとか、相撲で八百長した力士は不公平だとかいった、誰かが得すると自分が損するかのような怨恨的なメディア報道に晒され続けてきた。カンニング事件に対して、一切の不公平さを許さないような監視システムが必要です、とテレビ・コメンテイターたちはエリート・パニック的にいきり立っていた。そうした、人間は規制しない限り不公正に行動するというエリート・パニック的な原理で運営される社会が、人間に優しく機能するわけはないだろう。
だから私は、むしろこの大震災を契機にして、人間同士が相互的に助け合うような災害ユートピアの精神が、そうした官僚制的な社会の向こう側に立ち上がってくれればと願わずにはいられない。いや事実、そういう気配をメディア・パニック的な報道の向こう側からも私は感じる。先のマナーの良い日本人の行動への賞賛が、ただナショナリスティックな日本人論になってしまうのは困るけれど、しかしいまは多少間違いでも、そのように賞賛された誇りを胸に、助け合うことを尊重するような社会が(たとえ想像の世界であっても)、私たちの間に立ち上げることができれば、それでいい。
(付記)
以上のように、本訳書は大変良い本だが、残念なことに、原著にあった「注」が全部削除されてしまっている。したがって本書が引用している、災害社会学の学術論文、災害時の挿話を含む新聞記事、911被災者のネットのブログなどの出所がすべて分からない。これでは、今後本書の内容の学術的な検証が難しくなる。じっさい、個人の経験談に基づくという実証的方法には危ない部分を含んでいる。だから本書にはとりわけ原注は必須である。ぜひ出版社の方で何らかの対応をしてほしい。
『A Day Late and a Dollar Short』Terry McMillan(Viking )
「中産階級に属するアメリカ黒人家庭の物語」
アメリカの人気作家テリー・マクミランの作品。彼女は『How Stella Got Her Groove Back』や『Waiting to Exhale』など、黒人の中産階級の家庭を舞台にした作品を多く発表している。この作品も中流の黒人家族が主人公となっている。
数年前、こちらのネットワークテレビ局であるNBCのニュース番組で、アメリカにはいま黒人の中産階級が多く誕生しているという統計を伝えていた。アメリカの黒人の一般的な地位の向上がマクミランのような人気作家を生み出したのだろう。
マクミラン自身、以前あるインタビューで次のように述べていた。
「私は、犠牲者のことを書きたくない。犠牲者の話は退屈で、私を死にそうにさせる。誰もが何らかの形で犠牲者となっているなのだから」
彼女は、アメリカの社会で黒人がいかに差別され、恵まれないかという物語を読むのも書くのも退屈だと思っているようだ。
その言葉通りマクミランの描き出す主人公が持つ迷いや苦しみは、黒人特有のものではなく、アメリカ人全体に共通するものだ。彼女の描き出す主人公の多くは高い教育を受け、頭がよく、お金もある黒人女性である。しかし彼女たちは、教育や物質だけでは満たされない孤独を感じ、自分の人生の行方に疑問を抱いている。つまり、黒人の受ける人種差別や、貧困から生まれる不幸ではなく、人生とはなにか、自分とは一体誰なのかという人間の持つ共通テーマを小説の世界に持ち込んでいる。
今回の彼女の作品もやはりそんな人間の普遍的な部分を描いた作品だ。
物語は三人の娘とひとりの息子がいるプライス一家の話だ。各章ごとに一人称で、母親、父親、娘たち、息子と各人の生活が描き出される。物語の中心に居るのが、母親のビオラだ。彼女は、すでに成人して家庭を持った子供たちを愛しているが、電話ではいつも喧嘩になってしまう。
父親のセシルは、家を出て歳の若い女性と同棲を始めている。息子のルイスは、盗みや酒酔い運転で警察に何度も捕まり、いつまでも母親を煩わす。長女は社会的に成功しているが孤独だ。その孤独を癒すために彼女は薬を使っている。次女は誰に対してもとげとげしくあたる。
マクミランはこの複雑な家族設定をもとに、家族とはなんであるかを描いていく。姉妹間のライバル意識や、夫や恋人の裏切り、親子の感情の行き違いなど、題材は果てしなく広がるのだが、各章ごとに緊張感がありラストのハッピーエンディングまで一気に読まされてしまう。
この本は、本当に大切なものは完全な形ではないにしろいつか必ず自分のところにやってくるということがテーマとなっている。テーマは黒人特有のものではないと始めに述べたが、登場人物の話す言葉は黒人特有の言葉使いが随所にみられ、登場人物の考え方や、生活の場となる文化圏はやはり黒人のものだといえる。
『カップヌードルをぶっつぶせ!-創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀』安藤宏基(中央公論新社)
創業者の話は、おもしろい。成功した自慢話ではなく、いくつも失敗した話が聞けるからである。成功した実績のある創業者にたいして、それを創業者の目の黒いうちに受け継いだ2代目やサラリーマン社長の話は、おもしろくないのが普通だ。失敗を恐れるからだ。しかし、本書はおもしろかった。失敗の話がいっぱいあり、失敗を成功のもとにするにはどうすればいいのかのヒントが得られるからである。「失敗は成功のもと」とのんきに言っていても、失敗を繰り返すだけで成功には結びつかない。
著者は日清食品ホールディングスCEOで、創業者安藤百福の次男である。著者自身、「創業者の事業を引き継いだ後継者は、私も含めて、だいたいが普通の人である。したがって、創業者と二代目の確執とは、異能と凡能とのせめぎあいといってもよい」と述べ、とても創業者にはかなわないことを認めている。そのうえで、「毎日がけんかだった」日々を語ったのが本書だ。
本書は、2007年に96歳で亡くなった創業者が、「いったい私にとって何だったのか」を問う意味で書かれた第一章と第二章、「試行錯誤と経営記録」として書かれた第三~六章からなる。前者は亡き創業者、後者は「二代目、三代目の経営者だけでなく、カリスマ創業者のあとを引き継いだ経営者や、あるいは強烈なワンマン社長の下で働いている若い社員」を読者対象としている。加えて、就活する前の若者にも読んでほしいと思った。会社で働くことはおもしろい、社会に貢献することは人生を豊かにする、という希望が見えてくるからである。また、「金のないときに四畳半のアパートでこそこそ食べたというわびしいイメージ」を払拭するために、おもしろいCMにかけた著者の思いが伝わってくるからでもある。「面白くなければCMじゃない」「食べる喜びを伝えることが、インスタントラーメンのCMの役割」は、いまや生活の基本になっている。
近年の麺には、驚かされる。その技術力が、どのようにして生まれたかが本書からわかる。そして、それは販売とも絡みあっていた。著者が、創業者が開発した「チキンラーメン」「カップヌードル」に果敢に挑み、「焼きそばUFO」「どん兵衛」「ラ王」などを開発した背景には、創業者との「闘い」だけでなく、社員や消費者との闘いがあった。その成功のひとつは、創業者が常々語っていた「日清食品は偉大なる中小企業でありたい」ということだろう。日清食品単体の社員数が1500人ほどで、著者は300人近い管理職全員の名前と顔を覚えるようにしている。
著者はさかんに「二代目」を強調するが、正確には「三代目」であることを本書で書いている。2年間余だけであったが、創業者の長男で著者の兄が社長をしており、創業者の後を追うように同年に亡くなっている。年も著者より17歳も上で、この兄の散在なくして「二代目」の成功は語れないのではないか。「味、におい、色艶、舌触りなどのおいしさの情報が、いったい脳のどこで、どんな風に記憶され、再生されるのか」「消費者がある特定ブランドに愛着を持ち、繰り返し購入する「ブランド・ロイヤリティー」というこだわりの感情は、脳の中でどのように形成されていくのか」を解明するために、社内につくられた「脳研究会」は、「二代目」か「三代目」か、どう判定するだろうか。
本書を読んで、今後のインスタントラーメン業界の動向に目が離せなくなった。工場見学もしたくなったが、近隣の学校教育以外はだめなようだ。「インスタントラーメン発明記念館」に、行くことにしよう(http://www.nissin-noodles.com/ 〒563-0041大阪府池田市満寿美(ますみ)町 8-25、開館時間:9時30分~16時、休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始)。
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文庫化前の最終章は、つぎのことばで終わっていた。「「食品会社は平和産業である」。これが私の頭に叩き込まれた、創業者安藤百福の遺言のような言葉である。楽しむための食から、生命を維持するための食まで、あらゆる人々の欲求に応えていき、五十年後に、地球百億人類の食を満たすことが日清食品の使命なのである」。日清食品は、東北地方太平洋沖地震発生翌々日の13日、被災地へ「カップヌードル」ほか100万食を緊急無償提供および給湯機能付キッチンカー7台の派遣を決めた。いま、「命を維持するための食」を待っている人たちがいる。現場は、みながんばっている。現場の人たちが動きやすいよう、被災地以外の人びとは、食料や燃料を買いだめしたり、個人的に宅配便で送ったりすることを控えたい。日常生活を維持することが、場合によっては「支援」になる。
なお、原発について、昨年12月14日にこの書評ブログで取り上げたhttp://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2010/12/。起こってしまったことをいま非難するより、被爆覚悟で努力している人たちを応援したい。非難は落ち着いてからすることで、失敗は成功のもとになるが、成功の望みのないものは、きっぱり断念する勇気と決断力も必要だ。そのことは、本書からも学ぶことができる。
『アンフォルム:無形なものの事典』イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス(月曜社)
「絵画の水平性とその先」
本書は、二人の美術批評家(ロザリンド・クラウスとイヴ=アラン・ボワ)が1996年にパリのポンピドゥー・センターで組織した展覧会のカタログとして書かれた。しかし、一読して明らかな通り、その内容は通り一遍の概説の域を超えている。著者らはバタイユがかつて示した「アンフォルム」(フォルムを持たないもの)というコンセプトを手がかりに、ポロック、フォンターナ、サイ・トゥオンブリ、ルーシェイ、フォートリエ、スミッソンといった美術家を次々と俎上に載せ、その作品の意義と文脈を再確認していく。この作業はまさに、独自の美術史的パースペクティブの構築として捉えられねばならないだろう。
本書は一種の「辞書」であり、その項目も多岐にわたるが(低級唯物論、等方性、液体語、エントロピー、場末……)、基本的なモチーフはクレメント・グリンバーグのモダニズム的な美術史理解を批判することにある。モダニズムは「見る」という行為そのものを反省的(リフレクティブ)に純化させた。それに対して、著者たちはバタイユのアンフォルム――「デクラス」(階級を落とす&分類を乱す)をもたらす操作――を対置する。すなわち、猥褻なもの・糞便的なものを通じて、モダニズムの純粋視覚性や近代美学の統一性を壊し、西洋美術が暗黙のうちに組み立ててきた価値のヒエラルキーを問いただすこと、それがアンフォルムの戦略なのだ。たとえば、デュシャンが見ることをエロティックな「窃視」に変え、フォンターナが立方体の陶器を「くちゃくちゃ噛まれ、呑み込まれ、吐き出された」かのような汚いマチエールに変えるとき、見かけ上整然とした美学のただ中にバタイユ的な猥褻さやスカトロジーのプログラムが挟み込まれることになる。
注意すべきは、こういう具合にかつての美学を破壊することが、「直立した人間」(ホモ・エレクトス)の像に対する攻撃とも密接に結びついていたことである。観る人間の直立を無意識に前提してきた旧来の絵画の――ひいては旧来の西洋文化全般の――原則に対して、アンフォルムは爆弾を投げ込んだ。その範例として呼び出されるのが、他ならぬジャクソン・ポロックである。キャンバスを立てるのではなく、床に平らに置いたポロックは、垂直方向の重力(=キャンバス上で絵の具が垂れ落ちる)を慎重に排除し、それによって水平的な等方性(=どの方向にも等しく広がる)を絵画に授けた。本書によれば、彼の「ドリップ絵画」はタバコの吸殻や釘や画鋲などのゴミを投げ込むことによって、机よりさらに下方の(=下品な)水平性の軸を際立たせたのである。重力との対決から生まれたフォルム(堅固な「形」)の持つ垂直性を消し去り、これまでの人間学的な絵画史において隠されてきた水平的な領域を解き放つポロックの戦略は、ゴーキーやデ・クーニングの抽象画の技法(垂れ流し)が直立物を前提としていたことと明確な対比をなしていた。
本書の独特のパースペクティブ――なお、その源流にはレオ・スタインバーグの「フラットベット」についての議論がある――では、こうした水平化に意識的に取り組んだ最初の試みとして、ピカソのコラージュが挙げられる。ピカソは、絵画を平面的なエクリチュールとして意識的に扱ったが(=絵画のテーブル化)、ポロック以降の画家はその試みをさらに過激化した。一方で、ウォーホルの1962年の作品《ダンス・ダイアグラム》は、ポロックの技法をコレオグラフィー(舞踏)として再解釈した作品に見立てられる。他方、サイ・トゥオンブリはポロックの平面化の試みを、一種の「落書き」――清潔な画面を汚すという意味で本質的に「猥褻」なもの――として改めてコード化し、抽象美術の純粋性を汚すことを試みるだろう。いずれにせよ、著者たちの提起する「アンフォルム」の戦略は、たんに汚いものや醜悪なものを持ち出すだけではなく、むしろ旧来の西洋絵画を支えていた観念や前提そのものを揺るがすような操作全般を指していた。
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もっとも、本書の原書はすでに10年以上前に刊行されており、その内容について今さら門外漢の私がこれ以上詳しく吟味すべきこともない(本書に向けられた数々の批判については、巻末の訳者あとがきで紹介されている)。そこで、文脈を拡張する意味でいささか唐突な連想を許してもらうならば、ここでジェームズ・キャメロン監督の『アバター』を想起しておくのが面白いかもしれない。
『アバター』は、足に障害を持ち、ふだんは車椅子で生活している主人公(ジェイク)が、巨大な身体を持ち、大地を自在に駆け回る異星人・ナヴィ族に同化する話である。その際、ジェイクは特殊な装置に横たわり、ナヴィ族に似せた「アバター」と意識を共振させる。かくして、水平的なレベルに自らの身体を閉じ込められた主人公は、テクノロジーの助けを借りて、天に向かって垂直的に伸びる巨人として生まれ変わることができるのだ。最先端のモーション・キャプチャーや、撮影時に考案されたサイマルカム(実写映像にリアルタイムでCGを合成できるカメラ)などを通じて、キャメロンは身体の動きのデータそれ自体をピクチャーの素材に変え、この巨人に生命を吹き込んだ。
現象学的に見て、ポロックが机よりもさらに下方の床に向かったことは、確かに、身体の軸から外れ、文化そのものの下層に向かうこと――ベンヤミンふうに言えば、垂直的なキャンバスに直面する人間的なペインティングを、記号操作的で水平的なグラフィック(素描)へと変換すること――を意味するだろう。それに対して、キャメロンの欲望と技術は、精巧なコンピュータ・“グラフィックス”を通じて、精悍で、また一目見て忘れられない印象的な青色を纏ったキャラクターを、垂直方向に立ち上げてみせた。『アバター』には、20世紀以降の芸術から失われて久しい、技術的な「完全性」への意志が高らかに謳い上げられているが、その背後には、水平性から再び垂直性を、つまりグラフィックの累積から華麗な(擬似)ペインティングを文字通り「立ち上げ」ようとする再コード化の動機を見出すことができる(ここで、映画のスクリーンそれ自体が、地面に対して垂直に屹立するものだということも、改めて強調しておいていいだろう)。
翻訳者あとがきでも言われるように、本書は徹底して、構造主義的な立場から記述が進められる。構造に固有の強制によって、意味の分配がたえず決定されるということ、著者たちはその理論的前提の上で、現代アートの「アンフォルム」がいかにその構造をずらしたかを論じる。しかし、私たちは、そうした「アンフォルム」の欲望の次のステージで何が起きつつあるのかを考えていくべきだろう。20世紀後半の実験的アーティストたちが、絵画を水平化し、旧来の分類体系をかき乱し、視覚的純粋さに身体的不純さを忍び込ませてきたのだとして、今や最先端の3D映画においては新たな垂直性/新たなフォルム(=象徴的なキャラクター)のイメージが立ち上げられる――とすれば、アンフォルムとフォルム、水平性と垂直性のあいだの文化的関係は、今ちょうど結び直されている最中なのかもしれない。本書の知見は、新しい視覚文化の到来の意味を考える上でも、有益な示唆に富んでいるのだ。