書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『小説家』勝目梓(講談社)

小説家

→紀伊國屋書店で購入

「なぜ、彼は小説家になれなかったのか」

 こういうときこそ、本を読みたい。

 本書はエンタテイメント作家として知られる勝目梓が、いわば素顔に戻って書いた自伝である。今さらなぜ自伝なのか、その必然性が読み進めるほどに明らかになってくる。途中の語り口は決してなめらかではなく、ときにはむしろガチガチと言えるほどだ。

妻以外の女に心を向けている者の心が苦衷で染められるとき、そこに生み出されてくるのは、自己正当化によるぶざまな心の糜爛だということを、彼は自覚していた。彼は、図太く乾いた心根をもってその事態の中を押し通っていくしかない、と己に言い聞かせつづけなければならなかった。(184)

これはかなり極端な例だが、この凝固したような罪悪感や言葉の滞り、内省的なようでいて実は内省こそをこばんでいる頑なさなど、すべて作品の底流に流れつづけるトーンの一部を成している。それが薄められたり、溶解したり、ふっとやわらかい描写の中に解消されたりしながらも、この作家の自意識はいつもこの硬い部分に帰って行くように思える。読んでいくうちにこちらも、この訥弁といってもいいスタイルが病みつきになる。

 この妙な魅力は、この作品のモチーフとも関係している。『小説家』とのタイトルがついた本書だが、その根にあるのは「なぜ、自分は小説家たりえなかったのか」という煩悶なのである。

 前半ではこの問いはそれほど明瞭には語られない。出だしはとにかくこちらを引きこむ。この本を手に取った人は、おそらく最初の「石の夢」という圧倒的な章を読んだだけで、読みやめることができなくなってしまうだろう。幼少期の父の思い出から壮絶な炭坑内の描写へと進むこの30頁足らずの冒頭部には、勝目の作家としての描写の技術がふんだんに注ぎこまれ、戦慄だけでなく、哀感や畏怖のまじった複雑な情感を醸し出す。三部構成になった本書の第一部は、こうして高校を中退して炭坑に働き口を見つけた青年の、初恋や、娼婦との交流や、友人の情死などをまじえた「青春の記録」という趣きになっている。

 ところが第一部の終わりあたりで、人生の重大局面であるべき場面に自分の記憶がいちいち不確かであることにあらためてあきれながら、語り手がこんな述懐をもらす箇所がある。

それは自分が物事を深く考えようとはせずに、その場その場の成り行きに身を任せて、風に吹かれ、水に漂うようにして生きていたせいではないか、と思えてもくる。(149)

 ここでふと漏らされたような感慨が、次第に頻繁に語りに出てくることになる。語り手は労働組合の新聞編集の経験を通して文章を書く楽しみを知り、鹿児島の実家に戻って養鶏場をやるようになっても、とにかく文章が書きたくて小説を書くという作業をつづけるのだが、そこでも〝深く考えようとはしない自分〟が意識されることになる。

彼は書こうとするものについて深く考えることをしなかった。考えることが苦手だった。考えを深めたりひろげたりするための手がかりとなるべき知識や教養の持ち合わせがなかった。抽象的な思考を積み重ねていく訓練を、彼はしていなかった。書きたいと思うことがあっても、それがどういう意味を持ち、どのように書かれるべき事柄なのかといったことを考えようとは彼はしなかった。(235)

 果たして小説家というものが書きたいものを明瞭に意識し、その「意味」やそれが「どのように書かれるべき事柄なのか」ということについて、はっきり自覚的であったりするのかどうか。しかし、大事なのはおそらく、主人公がそのように〝理想の小説家〟の姿を想起しようとしつづけたということなのかもしれない。そしてその〝理想〟にいつも及ばないところにいる自分という意識が、逆にこの小説家の原動力にもなった。

 貧しさの中に生まれ、青年期以来、本人のいうようにまさに成り行きに身を任せるように職を転々とした主人公は、小説を書くという行為についてだけは驚くほど強い意志をもって取り組んでいる。やがて妻子を鹿児島の養鶏場に置き去りにし、愛人と東京に出るのだが、その目的も「文芸修行」である。

 そんな主人公が東京で参加した同人誌『文芸首都』で出会ったのが、まだ十九才の中上健次だった。生意気で観念的で、しかし、全身から文学オーラを発散していたこの若者に、彼は打ちのめされる。そして中上と自分との決定的な違いにも、いやおうなく自覚的になっていく。中上のスタイルは工芸品を作るような職人風の小説家とは一線を画しており、「初めからもっと大きな文学を目指していた」という。

中上はラジカルなところで文学を考えようとしていた。文学によって自分自身の世界観と思想をはぐくもうとする姿勢が中上にはあった。そのモチベーションが常に中上健次を突き動かしていたはずである。文学的な出発のときから、中上健次の眼は自分自身の心の姿に注がれていた。それ以外は振り向きもしなかった、と言ってもいい。(309)

 第三部の中でも俄然迫力があるのは、主人公が『文芸首都』で垣間見た中上健次の様子を描いた箇所である。中上が同人誌のサークルに引き起こしたセンセーションのようなものは、後に昭和の文学が大きく形を変えていく、その先触れとなったものを具体的に想起させてくれる。しかし、そんな中上を前にして、主人公はまたもや思うのである。自分は中上とは違う、自分には明確なモチベーションがないのだ、と。

そういう根源的な発想とは、彼は無縁のところにいた。彼は自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思えるだけだった。家族や血縁というようなものも、彼にはただ重たくわずらわしかった。(309-310)

「自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思える」なんて、「小説家」であることに変な執着があるうちは決して口にはできない科白だろう。しかし、勝目はある意味でこれを自覚することではじめて真の意味で「小説家」となった。

彼には文学によって思想を確立しようというような、主知的な欲求はなかった。彼はそのときどきの気分のようなものの動きによって、生きていることの実感を味わう男だった。おのれの心に向き合う前に、気分が彼の関心の前に立ちふさがった。その捉え難い気分によって誘い出されてくる生の実感を小説に定着させようというのが、彼のもくろみだった。(310)

 私小説を書くとかそういうことではなく、小説家というものはともかく〝自分〟にこだわることが要求される。ナルシシストであることを恐れてはいけない、自分の中にのめりこまなくてはいけない――日本の文壇では伝統的にそんな風潮が強い。これに対し「中上健次と違って、自分の中にのめりこんでいくのが苦痛でならなかった」という主人公は、「自分にとっては書くべきモチーフも、語るべき何ものもないのだということ自体を小説に書こうとして悪戦苦闘をつづけていたのだ」と気づく。それも、この語りが行われている「今」になって、ようやく気づいたのである。この境地に達するそのプロセス自体を私たちは、この自伝を読むことを通して追体験する。

 勝目は40歳をすぎてから〝純文学〟を捨て〝娯楽小説〟に転身する決心をした。セックスとバイオレンスのあふれる世界。そこには「純文学はアマチュアでもやれるが、娯楽小説はプロにしか書けない」という自負ももちろんあったが、もちろん心残りがなかったわけではない。そういう「残ったもの」の中からこの自伝が生まれた。

 皮肉なことに、おそらくこの作品を読んだ多くの人は、「自分には何もない」と言おうとする作家の、その数奇な運命に陶然とするだろう。その曲折ぶりたるや、まさに〝文学〟ではないかと言いたくなる。仕事を転々としながら女性遍歴を重ね、家族を裏切り、愛人を捨て、それでもまた新しい女性に惹かれしてしまう。そのくせ、自分に「遊び心というものが決定的に欠如していた」のが小説家として致命的だったなどと言う。彼にとっては女性たちとのかかわりは遊びなどではなく〝宿痾〟であったのだろう。その顛末が、終始生硬なほどのきまじめさにつらぬかれた、決して雄弁ではない文章で語られる様が、不思議な感慨を呼び起こす〝自伝〟である。


→紀伊國屋書店で購入