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『安部公房の都市』苅部直(講談社)

安部公房の都市

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安部公房は苦手ですか?」

 安部公房が苦手、あるいは手に取ったことがないという人にこそ読んでもらいたい本だ。よくできた評論というのはたいていそうなのだが、本書もこちらに何かを強制するということがない。「まあ、こんな話もあるわけですよ。別に無理して聞かなくてもいいけどね」というだけで、「是非、公房のファンになれ!」とも言われないし、「しっかり読め!」「わかってないな、バカ!」と叱られることもない。小説の粗筋だって適当に聞き流していればいいようだし、むしろ安部公房なんか忘れてほかのことを考えたっていい。それで油断していると、いつの間にか著者の術中にはまっている。

 タイトルにあるように本書の切り口は「都市」である。「あ、来た」と警戒する人もいるかもしれない。構造だの資本だのといったナンカイな用語が頻出して、偉大なる安部公房の像が立派な文明論的台座に載せられるのではないか、と。しかし、本書を読み始めてまず印象に残るのは、ある妙な絵の話なのである。1965年生まれの著者は、35年前に公房の作品集『笑う月』の新聞広告を見た記憶があるという。月の絵だった。

 ちょうど、『鏡の国のアリス』の挿絵にジョン・テニエルが描いたハンプティ・ダンプティと似た顔の月が、宙に浮かびながらにやにやと笑い、月の周囲には揺れを表すようなぼんやりした線が、輪郭にそって重ねて書きこまれている。そういう絵として憶えていた。(9)

 ところが、どうやらこの絵の記憶は偽ものだったらしい。当時の新聞の紙面を見ても広告にはそんな絵ははいっていないのだ。そこで「う~ん」と首をひねる……というあたりから、著者苅部直氏の技が静かに効き目を発揮し始める。苅部氏は『鏡の国のアリス』の挿絵が記憶にまぎれこんでいたのかと訝りつつ、あらためて読売新聞の縮刷版をながめ、はっとする。

 広告ではなかったのである。同じ紙面の中央には、近藤日出造による時事諷刺の一コマ漫画が載っていた。題して「堪忍袋」。この第二面は政治欄で、大部分を占めているのは、進行中の「スト権スト」への対応をめぐる、与党自民党内の派閥のあいだの対立と、野党のさまざまな動きを報じる記事である。(中略)

 「堪忍袋」と題された漫画は、「スト権スト」に対する世間のいらだちを表したものだろう。現業公務員として雇用を保障され、すでに平然とストライキを行っているにもかかわらず、権利の名目を獲得するために長期ストに入り、電車を止めてしまう労働組合の身勝手さ。(9-10)

 こうして当時の労働組合と政府の対立が想起される。一見新歴史主義の論文のパロディとも見えるような、定期刊行物紙面での「偶然の同居」をめぐる話なのだが、このあと話題が公房作品中の「夢」「不安」、さらには「探偵」「迷路」といったテーマに進むにつれ、「記憶」が話題をつなげる以上の役割を持っているのがわかってくる。どうやら苅部氏自身が、それとなく〝安部公房的なもの〟を演じているのだ。

 同じような演出はそれ以降も仕組まれる。『燃えつきた地図』に出てくる、場所が特定されない団地は実在するのか? 苅部氏は作中のヒントを元に推理を進め、そのモデルが日本住宅公団荻窪団地らしいことをつきとめる。当時の公房の交友関係と符合することもあって、いろいろとつじつまがあってくる。また『砂の女』の元になったある写真についても、ちょっとした〝探偵〟がなされる。こちらは本書冒頭の「月の絵エピソード」と対になる今ひとつの「偽写真」の話だ。従来、『砂の女』の着想は、あるグラビア写真から得られたとされていた。安部公房自身が次のように述懐したから。

 それは、飛砂の被害に苦しめられている、山形県酒田市に近いある海辺の部落の写真だった。砂丘がしだいに海岸線に向ってせり上がって行き、家々はしだいに砂の中に沈み、ついには屋根までが砂の稜線の下にもぐってしまう。それに、食卓の上に、傘をつるして食物を砂から守っている、こっけいなほど生々しく、痛切な光景。(196 「『砂の女』の舞台」より)

ところが、その写真が載ったとされる『週刊読売』1960年5月29日号を確かめてみると、たしかに砂の記事はあり写真も載っているのだが、公房の記憶とは決定的に異なっている部分があった。屋内で傘をさす写真がないのだ。「掲載写真のうちで似ていると言えるのは、手前に編み笠をかぶった女性を映し、遠景として砂に埋もれつつある家の屋根を配した一枚である」とのこと(197)。どうやらここでも、境界を越えて記憶が混じり合っていたらしい。

 苅部氏はこうした「発見」を振りかざし、何かを主張しようというのではない。むしろ、あくまで「物好きな探偵」めかして、どことなくふらっとしたスタイルを崩さない。それは本書のこだわるのが、「都市」というテーマを前面に立てつつも――そしてきわめて要領よく都市論の文献をおさえつつも――決して中心化しまい、とする点にあるからである。『笑う月』や『燃えつきた地図』から出発した本書では、やがて公房の作品としてあまり代表作とされることのない『榎本武揚』に焦点があてられる。そもそも公房が榎本武揚に関心をもったのはそれが「非英雄」だったからだという(70)。そんな〝主人公不在〟の作品は、構造上どこか正面から語りにくいものだが、苅部氏はつかず離れずの関係を上手に維持する。

 そのコツは、いわば脇に佇みつづけること。身を乗り出していじくったり、突っついたり、蹴飛ばしたりはしない。たしかに安部公房愛のようなものは、じわっとにじみ出してくる。しかし、作品はなるべくあるがままにしておきたい。やたらと手で触れたりしない。こんなアプローチは、おそらく本書の都市論の出発点が、「穴ぼこ」であることとも関係している。とりわけ大事なのは、書中二回引用される安部公房自身による以下の一節である。

 川や橋や道路や鉄道が交差し合っているような所で、構造上どうしても人間が住めない空間があり、しぜんゴミ捨て場として利用されることになる。さいわいそういう空間は、あまり人目につかない場所にある。街のなかの、影か穴ぼこのような位置にあたっているので、人はそのかたわらを通り過ぎても、めったに立止まったりすることはない。見ようとすれば、見えるのだが、とくに見ようとしなければ、見ないでもすませられる。いわば世間にとって未登録の空間なのである。(56, 156-57「シャボン玉の皮」より)

「世間にとって未登録の空間」に敏感でありつづけたこの作家の感受性は、さかのぼれば彼が幼少期をすごした満州に行き着くことになる。そうした「過去」や「起源」を、決してロマンチックになりすぎない筆致で苅部は描き出す。穴ぼこを語るためには、突撃して捕まえようとしてもうまくいかない。穴は実体化されたり象徴化されたりするべきではない。むしろ穴を一種の窓に見立て、その向こうへ見通してしまうことのほうが大事なのである。逸れていったり、思い出したり、ふと気になったり。だから、つかず離れずがちょうどいい。

 苅部氏の文章は高級なものである。批評文は昔からわざととんがってみせたりして読者の注意を引こうとする傾向があったし、今でもときにはそのようなカンフル剤が必要となるのだろうが、『安部公房の都市』にはそうした構えはない。角をすっかり取り去った、しかし、なめらかではあっても決して駆け足にはならない、ときどき脇道に逸れたり静に佇んだりする徒歩旅行。どこがうまいのかに気づかせずにするっと読ませるその手際は、筆者にとっては、昭和の先人たちの良質な評論を思い出させる、たいへん読み心地のいいものであった。

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