『The Yankee Years』Joe Torre/Tom Verducci(Doubleday )
1980年代からニューヨークに住んでいる僕は、当然のことながらヤンキースのファンだ。知り合いにはメッツのファンもいるが、昔からナショナル・リーグよりアメリカン・リーグに親しみを感じていて、気がつけばかなりのヤンキースファンになっていた。
僕は1992年から日本に一時帰国し、1994年に再びニューヨークに住み出したが、その2年後の96年にジョー・トーリがヤンキースの監督に就任した。それまで、20年近くワールド・シリーズの優勝を逃していたヤンキース。90年代前半僕はコラムニストのマイク・ロイコが書いたコラムなどを読み、僕の知らない強かったヤンキースの昔の姿を偲ぶ生活を続けていた(シカゴに住んでいたロイコは当然ながらヤンキースのことを嫌いだった)。
しかし、トーリが監督になったヤンキースは変わった。その強さは数字が証明している。1996年から2007年までのトーリが監督を務めた12年間、ヤンキースは毎年アメリカン・リーグのプレーオフに出場し、そのうち6回アメリカン・リーグのリーグ優勝を果たした。そして4回ワールド・シリーズの勝者となった。
この記録は凄いものだ。しかし、この時期ヤンキースに対する期待も大きくなり、プレーオフに出ても、リーグ優勝をしても、ワールド・シリーズに勝たなければチームとしては失敗というほどになった。オーナーのスタインブレナーも同じ期待をし、大リーグのどのチームより強くあることが当然とされた。それはそうだろう、なんてたって彼らはヤンキースなのだから。
そんな期待感のなかで、ヤンキースは毎年選手を変えていった。ランディ・ジョンソン投手、ジェイソン・ジアンビ、松井秀喜、井川慶、アレックス・ロドリゲス、デービッド・コーン投手、デービッド・ウェルズ投手。
これらの選手のほかに、オールドガードと呼ばれる古株のホルヘ・ポサダやデレク・ジーターがいた。
そして彼らはワールド・シリーズ優勝を目指して戦った。トーリが率いたヤンキースはいまでも一番心に残るヤンキースだが、彼らはどう戦い、トーリはどうチームを率いていったのだろうか。
その内情が分かるのが、トーリとトム・ベルデュッチ(スポーツ・イラストレイテッド誌の記者)の共著による『The Yankee Years』だ。この本の大きな特徴は、著者のトーリ自身が3人称で語られているところだろう。トーリの言葉は引用文として登場し、他の選手の言葉と扱いに代わりがない。もしトーリが「I(私)」で登場すれば、この本の雰囲気はかなり違ったものとなっただろう。
ヤンキースファンにとっては、この本はそこはかなとなく興味深い。
トーリはスタインブレナーにとって新監督の一番目の候補でもなく、2番目でもなかった。実はトーリは4番目の候補だった。そうして、監督就任当初ニューヨークのメディアはトーリに批判的で、地元の新聞ニューヨーク・デイリーニューズなどは『Clueless Joe(訳のわかっていないジョー:この見出しはもちろん有名なShoeless Joeをひっかけたもの)』という見出しで彼を紹介した。
トーリが新監督に就任した96年、ヤンキースはいきなりワールド・シリーズで優勝を果たす。僕は、この年のヤンキースチームをよく憶えている。ティノ・マルチネス、ジョー・ジラルディ(今のヤンキースの監督だ)、ポール・オニール、バーニー・ウィリアムズ、マリアノ・ダンカン、デービッド・コーン、マリアノ・リヴェラ、ジョン・ウェッテランド、アンディ・ペティート。
この選手たちの名前を読んで、うんうんと頷く人は僕と同じかそれ以上のヤンキースファンだろう。
96年に続き98年、99年、2000年にもヤンキースはワールド・シリーズを制するが、その後はすでにそれまでのヤンキースとは違うチームとなっていく。そこには、巨額の契約金で入団したスター選手のほかの選手とは異なる試合への臨みかた、スタインブレナーの健康の衰え、首脳部とトーリの確執、選手同士の確執などがあった。
2007年のペナントを最後にトーリはチームを去る訳だが、そのいきさつもニューヨークではかなりセンセーショナルに報道された。
この本を読んでよかったと思うことは、トーリからみたヤンキースや首脳部のことが分かる点だ。憶測や報道、そして噂などで知っていたことが本当かどうか知りたかった。本を読まなければ知り得なかったこともこの本を読んで分かった。
暴露本などと批判を浴びたが、僕自身はトーリがこの本を書くと決めてくれたことをとても感謝している。あの時代に自分が感じた興奮が、トーリが語るチームの内情と重なり、どこか重いそして切ない読後感となって襲ってくる本だった。