『namesake』 Jhumpa Lahiri(Mariner Books)
もう随分長くアメリカに暮らしているが、80年代のある1年間だけ、僕はタカシ・ハタではなくスティーブ・ハタだった。ちょうどアメリカの弁護士事務所のリストを作る仕事をしていて、沢山の弁護士事務所から資料を貰わなければならなかった。
自分の名前を「タカシ」と告げると、相手から「綴りは?」とよく聞かれた。「It’s T.A.K.A.S.H.I.(ティ・エイ・ケイ・エイ・エス・エイチ・アイ)と言い、それでも一度では分からない相手も多く、「トマスのTに、アンディのA、それにK、A・・・」と告げた。こういうやりとりが面倒臭くなり、ある時から軽い気持でスティーブという名前を自分につけて、名刺もスティーブ・ハタにした。
スティーブ・ハタになってからは、電話で綴りを聞かれることもなくなった。周りの人々も僕をスティーブと呼び始めた。スティーブと呼ばれ、僕が感じたのは、大袈裟に言えば自己の崩壊だった。
それまで日本で生きてきた自分とは違う自分が、アメリカでひとり歩きをしはじめたのだ。アメリカ文化に同化する自分と、日本からの価値観を持った自分の衝突だった。僕は、自分の知っている「僕」を守るために名前をタカシに戻した。
この体験は、移民の国であるアメリカでは珍しくない話だと思う。デビュー作『Interpreter of Maladies(邦題:停電の夜に)』で2000年のピューリッツア賞を受賞したインド系アメリカ人ジュンパ・ラヒリも、移民が経験するふたつの文化のぶつかり合い、つまりアメリカ社会へ同化したいという思いと自己のアイデンティティを守りたいという意識をテーマにした作品を描いている。
『Namesake』でもラヒリは、デビュー作と同じテーマを追っている。
主人公であるゴーゴル・ガングリは、インドからの移民を両親に持つアメリカ生まれの青年だ。彼の父親は昔、インドで列車事故に遭い、列車の下敷きになった。その時、手にしていた本を振り救助員の注意を惹き一命を取り留めた。ゴーゴルはその本の作家の名前にちなんでつけられた名前だった。
しかし、おかしな自分の名前にずっとひけめを感じていたゴーゴルは、エール大学に通っている間に名前をニクヒルに変える。ニクヒルとなった彼は、裕福な白人のガールフレンドとつきあい始め、白人家庭の一員としての時間も過ごしてみるが、居心地の悪さを感じてしまう。
社会人となり彼は、母の選んだインド人の女性と結婚をする。しかし伝統的な見合い結婚もうまくいかず、結局離婚してしまう。父親の死後、母親はアメリカの家を売り払い、インドに帰ることを決心する。母親がインドに向かう前、ゴーゴルは育った家に戻り、父親がつけてくれた自分の名前について考え、もう一度自分を見つめ直す。
アメリカは移民を多く受け入れる国であり、この本に描かれているような移民や2世の生き方の話は、実は非常にアメリカ的な物語だといえる。インドから移民をした父親や母親の人生、母国への帰属意識、そして2世がアメリカで体験する、ふたつの国の文化の間で揺れる心の動きは、白人が書くアメリカではないもうひとつのアメリカといえるだろう。