『Self-made Man : One Woman’s Year Disguised as a Man』Norah Vincent(Penguin Group USA)
「女性が覗いた男の世界」
僕が初めてボブ・ディランの『悲しきベイブ』の歌詞を知ったとき、心のなかがふっと軽くなったことを憶えている。
その歌詞というのは、君が正しくとも間違っていても、君を守り、いつでも強くて、呼べばいつでも来てくれる人を探していると言うけれど、それは僕じゃない。君が探してるのは僕じゃないというもの。
いまこの歌詞を読み返せば、「君」というのはアメリカ国家のことも指しているのだと分かるけれど、初めは女の子に対するだけの歌詞だと思っていた。
当時のポップソングの歌詞は、君のためならなんでもするよというものばかりだったので、こういう男の本心を歌ったディランは凄いと思い、本当の心を女の子にみせてもいいんだとほっとしたのだ。
僕たち男は、本心を女にみせない。何故かといと、本心をみせてしまったら女に嫌われるからだ。
セックスについて言えば、社会的にどんなに高い地位についても、どんなにりっぱなことを成し遂げても、ある種の暗さや暴力的衝動を持った、男をセックスに追い立てる欲求は消えない。
その欲求から出る言葉を女性に聞かせれば、一発で嫌われてしまう。いわゆるロッカールームでの男同士の会話は酷いものだが、男にとってはリクリエーションのような気軽さがある。
しかし、それを女性が聞けばかなりショックを受けると思う。女性には、そういう話をせざるえない男の生理を理解できない。一方、男は、本心といえば本心だが、そんな会話には大した意味がないことが分からない女性を理解できない。だが、男たちは経験からそんな話を聞かれてしまったら嫌われることは知っている。そうして、もちろんそんな言葉を場所をわきまえず発した者は社会的制裁を受ける。
今回読んだ本は、男に姿を変えた女性の著者が、男の世界に入り込み女の視点から、男を観察したノンフィクションだ。つまり女の視点を持って見た、男の内側を報告している。
著者は、男だけのボーリング・クラブに入会し、ストリップ・クラブに出入りし、バーで女性をナンパし、女性とデートをし、営業の仕事をする。彼女は男の世界のなかで動く男たちを次のように記している。
「男たちは女たちが知っている姿よりずっと酷かった。しかし、ある意味ではずっとましだった。男たちがどうしてそんな行動に出るか、私にはもとの部分が分かってしたし、男たちにとってその衝動を克服するのは大変な苦労であることが分かった」
男が内なる衝動を抑え、「まとも」な素振りで行動するのは常に自制力が必要で、男は酷いが、一方でその酷さを見せないよう努力している男はそれなりに評価できるという結論だ。
これで男と女の距離が縮まる訳ではない、しかし女は結局話が分からないが、こちら側の持っているものと男の苦労を理解できる能力はあるようだと分かる本。しかし、それで男を許してくれている訳でもなさそうだが。