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『Tideland』Mitch Cullin(Dufour Editions)

Tideland

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「狂気が漂う幻想的な作品」

 夏のニューヨークは屋外で過ごす時間が多くなる。この間は家族と友人で食べ物や飲み物を持ってセントラルパークでピクニックをやった。

 陽が落ちる8時頃になると、僕たちがピクニック・シートを敷いた周りに数多くのホタルが飛び交った。灯りがともりだしたニューヨークのビルが芝生の向こうに浮かびあがるセントラルパークのホタルはとても幻想的だった。

 僕が住むグリニッチ・ビレッジでもホタルを見ることはできるが、セントラルパークで見るほどの数はいない。その夜、僕は仰向けに寝ころび、しばらくぼーっとホタルの光を眺めていた。

 今回読んだ『Tideland』もホタルが飛び交う場面が物語の最初に出てくる。『Tideland』は不思議な作品だ。全編が幻想的な狂気で包まれている。ファンタージーというには暗く、純文学というには幻想的だ。ほかの芸術作品を引き合いに出すとすればアメリカの画家アンドリュー・ワイエスの世界だろう。有名なワイエスの『クリスティナの世界』という絵をみた時に感じる、隠れた狂気が『Tideland』にも漂っている。

 この物語の主人公は11歳になる少女ジェリザ・ローズ。彼女の67歳の父親ノアは名の知れたロックギタリストで、ドラッグ中毒者だ。家族はロサンゼルスの安アパートに住んでいたが、母親が致死量を越えた麻薬を打ち死んでしまう。ノアは死んだ彼女をベッドに残したまま、彼の母が残してくれたテキサスの田舎にある大きな農家にジェリザ・ローズを連れていく。

 『Tideland』はこのテキサスで過ごすジェリザ・ローズの話が中心となっている。ジェリザ・ローズの一番の話し相手はリサイクリング・ショップで母親に買ってもらったバービー人形の頭たちだ。彼女はそれぞれの頭たちにクラッシク、マジックカール、カット・ン・スタイル、ファション・ジーンズなどと名前を付けている。物語のほとんどは彼女とこのバービー人形の頭たちとの会話によって進められていく。

 もちろん、バービー人形の頭たちが本当に話をできるはずがないので、すべてはジェリザ・ローズの想像の会話だ。しかし、彼女にとってバービー人形の頭たちとの世界は現実で、それが彼女の心の狂いを現わしている。

 テキサスの田舎では彼女はデルという女性と、脳に障害があるデルの弟ディケンズと出会う。ここから物語はさらに暗さを増し、グロテスクなものになっていく。

 『Tideland』は『12モンキーズ』を手掛けた映画監督テリー・ギリアムたちにより映画化された。『Tideland』はセントラルパークで見たホタルのように、いつまでも心に残る作品だった。


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