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プロの読み手による書評ブログ

『That Used to Be Us』Thomas L. Friedman, Michael Mandelbaum (Thorndike Press)

That Used to Be Us

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「アメリカに未来はあるかを検証した本」


 この約10年間、アメリカは失策に継ぐ失策を続けてきた。バブルがはじけ、無理矢理始めた2つの戦争には「勝利」がなく、リーマンショックを引き起こし、経済刺激政策でお金をつぎこんでも経済は回復しない。

 道路、橋、鉄道、空港などのインフラは整備が遅れ、国の財政赤字は膨大に膨らみ、ミドルクラスの給料や所有資産価値が下がるなか、トップ1%の収入は大幅に上がり,社会の格差が広がった。そんななか政治は極右の台頭により右派、左派の対立が深まり有効な解決策を生み出せない。このアメリカに未来はあるのだろうか。

 この問題に取り組んだのが、3度のピューリッツア賞受賞経歴を持つジャーナリスト/コラムニストのトマス・フリードマンと外交と安全保障の専門家マイケル・マンデルバウム。

 この本はアメリカが立ち直るためには何が必要かを述べているが、その前に何故アメリカが今のような状況に陥ってしまったか、今アメリカはどんな問題に直面しているかを鋭い視点で語っており、僕としてはそちらの方も興味深かった。

 例えば、アメリカの発展には5つの柱が必要だという。公共の教育、インフラの整備、移民の受入れ、R&Dへの政府の援助、経済活動に対する妥当な規制の5つだ。

 アメリカでこの5つの柱がいかに立ち遅れてきたか、その発展を阻む文化がいかに生まれてきたかをこの本は見せてくれる。

 例えば今年始めに開かれた米国議会では合衆国憲法の全文が読みあげられた。歴史家によると議会で全文が読み上げられたのは史上初のことだという。極右のティーパーティたちが議会に送り込んだ議員たちの提案でおこなわれた訳だが、これは政府の支出を最小限に抑え、政府の力を封じ込めようとする彼らの考えが反映されている。

 ティーパーティのなかには合衆国憲法に立ち返り、それ以外の法律は全て無効にすべきだと叫ぶ人々がいる。政府の教育省、環境保護局などを解体し、すべて地元の人々が勝手に決める社会を目指せ、それが自由というものだという考え方だ。

 教育、インフラ整備などへの連邦政府の支出は大きな政府作るだけで、ましてや規則などで国民の生活に干渉するのは辞めろというかなりラジカルな声だ。

 これはアメリカを19世紀の社会に戻そうとする動きで、グローバルな競争が激化する現在、国際的な視野がまったく欠けている声だ。長く世界のトップ座にいたアメリカのなかには、アメリカが世界でいかなる地位にいるかを考慮しない人々がいる。

 この人々にとっては、世界の中のアメリカを語ること自体が非愛国的となる。アメリカはアメリカのやり方があり、ほかの国がなにをやってようと自分たちのやり方は変えない、それがアメリカだという訳だ。

 まあ、これは一例だが、この本に書かれてあることは、日本人としては常識で考えれば分かることだろうと感じるものが多い。本を読んでいるうちに、先ほどのティーパーティの人々のように突飛とも言える姿勢を取るアメリカ人、ひいてはアメリカという国に対し「何でこんな明白なことが分からないのだ」「なんでこんな簡単なことができないのだ」と感じてしまう。

 普通の日本人なら普通に分かるよと思うのだが、本を読み進めるうちに日本のことも考え始める。そして、アメリカに比べいまの日本が社会的、経済的に勝っていないことに気づく。アメリカの駄目さにすぐ気づく日本人が、自分の国の経済や社会を進めることができない。何故なのだろう。

 アメリカが陥った苦境を読み、その解決策を読みながら、一方で今の日本のことも考えさせられる本だった。

 「しかし、これにはハッピーエンディングがあるのだろうか・・・私たちはハッピーエンドを書くことができる。しかし、それをフィクションにするのもノンフィクションにするのもその国、つまり私たち全員にかかっている」と著者たちは括っている。

 この本は「ウォール街占拠」運動が始まる前に書かれた本で、その運動については触れられていないが、この運動を予測させる本でもある。


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