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『「大東亜共栄圏」経済史研究』山本有造(名古屋大学出版会)

「大東亜共栄圏」経済史研究

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 著者、山本有造が選んだ基本的な方法は、「数量経済史的方法」だった。20世紀半ばの経済史で、この方法をとることに疑問をもつ者はいないだろうが、扱う時期が戦争中で、しかも「大東亜共栄圏」と組み合わせるとなれば、話は別である。「大東亜共栄圏」に組み込まれた東南アジアの経済史研究では、これまで数量経済史的方法だけでは充分に把握できず、社会的理解が必要であるとして、社会経済史的方法がとられてきた。「大東亜戦争」期はさらに困難がともない、ましてや広域的な把握となれば、あきらめざるをえないというのが実情だっただろう。この困難さをもっともよくわかっているのは著者自身で、まず「政策史ではなく数量経済史的実証分析」に挑戦した著者に敬意を表したい。そして、「この道はいまようやくその出発点に立っている」という著者とともに、出発点に立てることを喜びたい。


 本書は、「著者の日本植民地帝国研究に関する第3論集に当たる。第1論集『日本植民地経済史研究』は日本帝国の「公式植民地」を取り扱い、第2論集『「満洲国」経済史研究』は「満洲国」を主題とした。そして本書では主に「大東亜共栄圏」をテーマとする」。これらの3論集を通じて、著者が目指したのは、「広義の「日本植民地帝国」における植民地支配の態様を実証的に明らかにすることであった。日本と「植民地・支配地・占領地」の間の支配と被支配の関係、およびその結果としての植民地経済の実態をできるだけ数量データに基づいて描き出すことにあった」。


 本書は、3部全9章からなる。「第Ⅰ部「日本植民地帝国」論は、1895(明治28)年4月下関条約調印から1945(昭和20)年8月ポツダム宣言受諾まで、約50年にわたる「近代植民地帝国」としての「日本帝国」の構造と特質を概観しようとする」。「第Ⅱ部「大東亜共栄圏」論は、「大東亜共栄圏」という概念の形成過程を追った総論的な第4章「「大東亜共栄圏」構想とその構造」を除いて、戦時期「大東亜共栄圏」に関する「国際収支」分析である」。「第Ⅲ部「南方共栄圏」論は「南方圏」に関わるやや補完的な2論文を収める」。


 著者は、「厳しい国家統制の下にありながらハイパー・インフレーションは亢進する戦時経済の実態を明らかにするに当たって、どのような数量データに依存することができるであろうか。「大日本帝国」を中核とし、「満洲国」および中国関内を含む「北方圏」と、ほぼ東南アジア全域を含む「南方圏」とを包含する「大東亜共栄圏」の経済関係を知るためには、どのような数量データを利用するのが良いのであろうか」と問い、つぎのようなことを明らかにした。「国民所得推計の試みも、国際収支推計の資料もなかったわけではない。しかし結局のところ、現在われわれがとりあえず安心して依拠しうる最大の資料は、金額ベースではなく物量ベースの貿易統計ということになった。「大東亜共栄圏」の数量経済史的分析はいまようやく始まり、前途は正しく遼遠というのが実感である」。


 本書は、数量経済史的実証分析に終始しているわけではない。むしろ、その前提となる基礎的研究に力を注いでいる。著者は、第一次世界大戦後、1920年代に一応の完成をみた「公式の日本植民地帝国」が、なぜ「満洲国」で止まらず、「南に肥大した日本帝国」となっていったのかを問い、「「大東亜共栄圏」なるものは、日、満、蒙疆、北支を覆う「自存圏」と、中南支および東南アジアに広がる南方圏の「資源圏」から構成された」と結論した。


 そして、その資源を収奪し、内地へ還送する計画が立てられるが、つぎのようなことも重々承知のうえで、残された数量データを分析することになった。「こうした「計画」が机上の空論からはじき出されたものであること、そして現地での開発と還送に携わる軍に「計画」遂行の意思がなかったことは、その後の多くの証言に明らかである。「彼等は占領地に到る処で手当り次第物資を捕獲した。そして現地で使えるものはくすね、残りを誇らしげに戦利品として還送したのだった。しかもAB船に積まれた物資は宇品や横須賀に揚陸され、治外法権のうちに再び隠匿されその残滓が物動の実績となって企画院に通達されたのである」」。


 それでも、著者は愚直に自分の方法である「まず基礎資料を見つけ出すこと、基礎資料を必要に応じて加工すること、それら資料を最も適当な形で分析すること」を本書でもおこない、「基礎データに何を用いるか、その選択に苦労した」。具体的には、「「国民経済計算」的な枠組みによりつつ、主に国民所得、マクロの生産指数、国際収支に関する数量データを整備し、その解析を行おう」とした。


 これらの作業を通じて、問題点がつぎつぎに出てきたことは、「あとがき」のつぎの文章からもわかる。「本書の骨格が虚弱であることは、すでに「はしがき」でも述べた。前2著の主要な部分をなした「推計作業」の部あるいは「統計資料解題」の部を本書に加えることができなかった。本書第9章を含めた「資料解題」篇が作れなかったことが心残りである。残された時間の問題もあった。しかし、そもそも華中・華南からフィリピン、タイ、ベトナム、マレイ、インドネシアさらにビルマミャンマー)までをも含む「大東亜共栄圏」期の「戦時経済」の実態を数量実証的に把握する最も適切な方法は何か。実のところ、この根幹がまだ分かっていないのかもしれない」。


 本書の特徴は、これまで台湾、朝鮮など「公式植民地」、満洲など「傀儡政権支配地」中心であった日本帝国経済史研究を、戦時の「日本軍占領地」にまで視野を広げたことである。著者が直面した問題が解決できない理由のひとつは、広げた先の東南アジア側の研究が充分であるとはいえないからだ。日本人東南アジア史研究者で、東アジアまで視野を広げて研究できる者は少なく、東南アジア全体と日本との関係だけでも理解が充分であるといえないかもしれない。また、東南アジアの研究者で、日本語文献を読むことができる者はひじょうに限られる。今後の研究の発展は、まず本書をよく理解した日本人東南アジア史研究者が、東南アジアを相対化して研究をすすめ、英語など東南アジアの研究者が理解しやすいように成果を発表することだろう。


 本書を読んで、著者のように実績のある研究者でも、このテーマをひとりで扱うことは難しいことがよくわかった。本書のお蔭で「出発点に立てた」ことに感謝しつつ、いろいろな角度から研究をすすめ、「大東亜共栄圏」とはなんであったかを経済史的に理解したうえで、その影響が東南アジアの人びとやその後の国家建設にどのように及んだのかを考察することが、今後の東南アジア社会経済史研究の発展につながると思った。

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