『A Farewell to Arms : The Hemingway Library Edition』Ernest Hemingway, Patrick Hemingway(前書き), Sean Hemingway (インロダクション)(Scribner)
「ヘミングウェイが考えた違ったエンディングが読めるエディション」
出版社スクリブナーの編集者チャールズ・スクリブナー3世にヘミングウェイについて話を聞いたことがある。
チャールズ・スクリブナー3世は名前の通りはスクリブナー社を創設したチャールズ・スクリブナーの子孫である(スクリブナー家は男子に代々同じ名前をつけている)。スクリブナー社はスコット・フィッツジェラルドの作品も出版してきた出版社なので、チャールズ・スクリブナー3世の話はとても興味深かった。
そのインタビューの収録された電子書籍はここから(http://binb-store.com/ss/abj/)。
そして数日前、ヘミングウェイの「A Farewell to Arms(武器よさらば)」の新たな版(エディション)「ザ・ヘミングウェイ・ライブラリー・エディション」が出版されたニュースを読んだ。
1958年、ヘミングウェイはパリ・レビュー誌のインタビューに答え「武器よさらば」のエンディングを39本書いたと答えている。
このライブラリー・エディションにはヘミングウェイの息子であるパトリック・ヘミングウェイが前書きを書き、孫でニューヨークMOMAのキューレターであるショーン・ヘミングウェイがイントロダクションを書いている。
ヘミングウェイの「武器よさらば」の原稿はボストンのジョン・F・ケネディ・プレジデンシャル図書館に保管されているが、ショーン・ヘミングウェイは祖父が言う39本よりももっと多い47本のエンディングを見つけた。
その全てのエンディグがこのライブラリー・エディションには収められている。
ヘミングウェイがおこなった本文の推敲原稿も収められているが、興味深かったのはやはり47本の違ったエンディング原稿だった。
The Nada Ending(なにも無いエンディング)と呼ばれるエンディングは:
「That is all there is to the story. Catherine died and you will die and I will die and that is all I can promise you.」と身も蓋もないようなものになっている。
また、フィッツジェラルドが勧めたと言われるThe Fitzgerald Ending(フィッツジェラルド・エンディング)では:
「You learn a few things as you go along and one of that the world breaks everyone and afterward many are strong at the broken places. Those it does not break it kills. It kills the very good and very gentle and the very brave impartially. If you are none of those you can be sure it will kill you too but there will be no special hurry.」となっている。
最終的にヘミングウェイが選んだエンディングは感情を抑えたクールなエンディングだったが、彼は希望を持たせるような終わり方も考えていた。
The Morning-After Ending(一夜明けたエンディング)では:
「 When I woke the sun was coming in the open window and I smelled the spring morning after the rain and there was a moment, probably it was only a second, before I realized what it was that had happened.」となっている。このエンディグは作品の印象さえも変えてしまうようなエンディングだ。
このライブラリー・エディションには「A Farewell to Arms」の他に考えられた43個の違ったタイトル候補も収められている。
その中にはThe Italian Journal、Thing that had been、As Other Areなど、よいと思われるものもあった。
1929年に出版されたオリジナルの表紙がつけられ、消し込みや推敲の跡が分かるたこの「武器よさらば」のライブラリー・エディションはヘミングウェイを身近に感じられる一冊だ。