『After Visiting Friends』Michael Hainey(Scribner)
「父の死の謎を追ったメモワール」
僕の父は49歳で死んだ。僕がまだ18歳のときだった。僕はときどき自分が大人になってから父と話すのはどんなふうなのだろうかと考える。特に20代後半や30代と社会と真っ正面から戦っていたときに父と話すことで自分の人生はいまとは変わったものになったのだろうかと考える。
例えば、父の口利きで日本に仕事がみつかり、アメリカから日本に戻っていたかもしれない。アメリカでもう先が見えない時期も確かにあった。そんな時の父の存在が人生の別の転機に繋がったかもしれない。
しかし、考えても分からない。
今回読んだのは6歳の時に父を無くしたマイケル・ヘイニーの父の死の謎を追うメモワール/ノンフィクション。
1970年4月のある朝、突然叔父、叔母、祖父、祖母が家にやってくる。叔父らは、マイケルの父が死んだことをマイケルの母に告げる。
マイケルの父であるボブはシカゴ・サンタイムズ紙に務める記者だった。父の兄にあたる叔父のディックがシカゴ・トリビューン紙に務めていたので、ボブはディックを通じてシカゴ・トリビューン紙に入り、数年後にサンタイムズに移っていった。
母バーバラもシカゴ・トリビューン紙で働いていて、マイケルの父と出会っている。マイケルの家族は出版業界と強い繋がりがあると言っていいだろう。マイケル自身も現在『GQ』誌の副編集長だ。
ボブは35歳で死んだのだが、その死には謎が多い。マイケルはずっと父の死にしっくりこないものを感じていた。18歳の時にマイケルは学校の図書館で父の死亡記事を探す。シカゴ・サンタイムズ紙では脳溢血で死亡したと記されていた。しかし、叔父の務めるシカゴ・トリビューン紙ではそれが、友人の家を出た直後の心臓麻痺となっている。さらにシカゴ・デイリーニュース紙では、友人たちの家を訪問しているあいだに心臓麻痺を起こしたとなっている。
そして、父が死亡した場所は仕事場から5マイル(約8キロ)も離れた所だった。何故、父はそんな遠くにいたのか。そして、父と最後に会ったとされる「友人」あるい「友人たち」とは誰なのか。どうして、その「友人」あるいは「友人たち」は一切連絡を取ってこないのか。それに何故、父の死の知らせは、警察ではなく叔父によって告げられたのか。
大学生になったマイケルは父の死亡証明書を入手する。そこから、父の運ばれた病院が父のいた場所から5マイルも離れた病院だったことを発見する。もっと近い病院が少なくとも3つはあるが、わざわざ遠い病院を選んだことになる。
そして死亡時刻は午前5時7分。しかし、叔父は朝の7時にはマイケルの家を訪れている。ずいぶん素早く行動したことになる。
自分が父の死んだ35歳となり、マイケルはずっと心に引っかかっていた父の死の真相を突き止める決心をする。一体父はどうやって死んだのか。父の最後はどんな風だったのか。自分もジャーナリズムの世界に身を置いているので、調査はできる。
こうして、マイケルの父の死の謎の追跡が始まる。
彼の調査はシカゴの昔気質の新聞記者たちやジャーナリズムの世界を巡り、マイケルの母、祖母、祖父の辿ってきた道をひもとき、父の在りし日の姿を映し出し、遂にはある種の暗さを持った秘密に辿りつく。
家族愛、忠誠心、失意、人の歴史、人間関係などが描き出される読み応えのある本だった。