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『アオイホノオ』島本和彦(小学館)

アオイホノオ〈1〉

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「才能ある人間と、自分は、何が違うのだろう」誰でも一度は考えたことがあるでしょう。私も毎日考えてしまいます。私は書店が大好きです。心臓をガシッとつかまれて、激しく揺さぶられるような面白い本に出会いたい。平台の上を見るたびに、そう思います。その反面「本当に出会ってしまったらどうしよう」と、恐ろしくもあります。「話題沸騰!」「売れてます!」という書店員さんお手製の熱いポップを見るたびに「どうか、私より才能のある人じゃありませんように」と祈ります。いえ、実際はもっとドロドロしたことを考えています。書店をうろついている私の思考を、もし誰かに覗き見られてしまったら、恥ずかしさのあまり悶死してしまうでしょう。

 主人公は、自称漫画化志望の大学生、焔燃(ほのお・もゆる)。漫画家になる前の作者自身がモチーフとなっていますが、私と同じようなことばかり考えている、要するにかなり痛い青年です。時は1980年代初頭、手塚治虫石ノ森章太郎など、大御所漫画家が誌面を独占する時代は終わり、若い才能が次々に新連載をはじめています。しかし焔は、新時代のウェーブに乗ることができません。漫画を描くどころか投稿用原稿用紙に枠線を引いただけで先に進めないのです。そんな自分から目をそらすため、焔は新人漫画家の作品を「上目線で」分析し続けます。読者は、そんな彼の頭の中を覗き見ることになるのです。

「いまひとつ人気が出んな!! 何かが足りんのだ! こんなに女の子は可愛いのに!! 女の子が可愛いだけではダメなんだ!! 野球漫画なんだから! もっと試合中心のバトルがないと!! かわいそうなあだち充……。こんなに俺にとっては面白いのに……。よし、俺だけは認めてやろう!! ちゃんと切りとってスクラップにしておくからな!!」

「こんな……暗くて重ーいのがステイタスな少年サンデーで、SFギャグ恋愛コメディをなぜ描いている!? 今のサンデー読者にこれがわかるわけがない! 別の雑誌で描いたほうがいいんじゃないのかっ、高橋留美子!? しかし…まあ…俺だけは認めてやろう!! ファンレターでも出すかな!! 頑張れ……って! きっとよろこぶぞ!!」

 当時、あだち充は「ナイン」を、高橋留美子は「うる星やつら」を連載しています。焔に認めてもらうまでもなく、この二人は、すぐに漫画界の寵児となるのですが、焔にはそれがわからない、いや、本当は誰よりもわかっているのですが、どうしても受け入れられないのです。

 焔をあせらせるのは新人漫画家だけではありません。彼の前に、モンスターのように立ちはだかるのが、大学の同級生、庵野秀明です(作者とは実際に大阪芸術大学の同期でした)。パラパラ漫画を描けという課題をひっさげ、自信満々で授業にやってきた焔は、庵野がその場でサラサラと描いたパラパラ漫画を見て、打ちのめされてしまうのです。

 俺が、今までアニメだと思って描いていたのは、パラパラ漫画に過ぎなかった……。いや! パラパラ漫画を描いていたのだが……パラパラ漫画に過ぎなかった! なんというか……あいつのは……アニメだった!!

「才能の違い」を、いやというほど見せつけられ、のたうちまわる焔。これでやっと火がつくだろう、と読者は思うでしょう。しかしそうはなりません。現実を受け入れられない焔は、バトミントン部に入ったり、腹筋を鍛えたり、女の子を映画に誘ったりします。違う、違う、そうじゃないだろ、焔、と失笑しながら、チクリと痛む胸の奥。そう、何かを目指して苦しんだことがある人ならわかるはずです。目標にむかって直進できずジグザグ走行ばかりしてしまう、あの気持ちを。

 いかんともしがたい「才能の違い」を、焔はどうやって乗り越えるのでしょうか。はたして本当に漫画家になれるのでしょうか。半自伝的漫画である以上、いつかはなれるのでしょう。しかし、できれば焔には、しばらく悶絶していてもらいたいです。私のためにも、「才能の違い」と戦い続ける大勢の人たちのためにも、いつまでもあがき続けていてほしいと思います。


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