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『はじめてエブリデイ―トリペと〈3〉』コンドウアキ(主婦と生活社 )

はじめてエブリデイ―トリペと〈3〉

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 書店の、決して目立つ場所ではないけれど、かといって隅の方でもない、そんな場所に一冊は置いてある。自分には関係ないけれど、なぜか読んでみたくなる。そんなジャンルの本ってありますよね。私にとってのそれは「育児エッセイ漫画」でした。子供を産む予定もないのに買って読んでいた時期もあります。有名なのは『ママはテンパリスト』(著・東村アキコ)ですよね。個性派幼児ごっちゃんの言動を抜群のユーモアセンスで描きシリーズ累計100万部を突破。「育児エッセイ漫画」には興味ないけどこの作品は知っているという方もいるのではないでしょうか。

ママはテンパリスト』ほどではないにしろ「育児エッセイ漫画」は結構売れてるみたいです。一説には妊婦の数だけ売れるともいいます。なぜ売れるのか。その理由を私なりに分析してみました。

 まず、出産育児のケーススタディとして最適である、という点が挙げられます。描かれているのは漫画家個人の体験談。育児書と違い「べき論」の押し付けがありません。有名人の母が著した本にありがちな「私はこう育てた」的な自慢もありません。あくまで出産育児の「一例」として気軽に参考にできます。

 同時代の情報が入手できることも利点のひとつです。出産育児のお手本として身近なのは自分の母親ですが、残念ながら彼女が現役だったのは数十年も昔。紙オムツすら登場していない時代だったりします。産科医療は大きく進歩しましたし、昔よしとされていたのに今ではタブーになっている事柄もあります。昔育児を強行しようとする母と、最新育児を死守しようとする娘の間で、壮絶なバトルが繰り広げられるケースも少なくありません。

 そんな時にも「育児エッセイ漫画」は頼りになります。一緒に読んでもらえばいいのです。育児のベテランを自負する人に育児本を読めなどと言えば火の雨が降るでしょうが「育児エッセイ漫画」はあくまで「一例」ですからね。「最近の若い人はこうなのね」と自然に受け入れてもらえることでしょう。

 最大の利点。それは、漫画なので当たり前ですが、「絵」がついていることです。分娩台の上の姿勢、授乳時の抱き方、哺乳瓶の角度にいたるまで、出産育児には文章で説明されただけではわからないことが膨大にあります。これらが漫画で「図解」されることで、育児経験のない人でも出産育児のプロセスを容易に理解することができるのです。

 さて、そのように「育児エッセイ漫画」に並々ならぬ興味を持っていた私ですが、五月末に第一子を出産しました。実際に出産に臨んで感じたこと。それは「育児エッセイ漫画」を読んでいてよかったという満足感、そしてまだまだ情報が足りないという飢餓感でした。実際にやってみると、「育児エッセイ漫画」において出産育児の描写が大幅に端折られていることがわかります。『ママはテンパリスト』は私も大好きで全巻持ってますが出産当日の描写はわずか6ページ。これでも他の「育児エッセイ漫画」に比べるとむしろ多いくらいです。私がこれまで「参考になる」と思って読んでいたこれらの描写はすべて「ダイジェスト版」にすぎなかったのです。

 そんな私が「これはすごい!」と思った「育児エッセイ漫画」を今日はお勧めします。それは「トリぺと」シリーズです。

 作者のコンドウアキさんは有名なキャラクター「リラックマ」の生みの親。誰をも虜にするあの可愛らしい絵のタッチは、勿論この「トリぺと」シリーズにも如何なく発揮されています。それだけでも購入する価値はあるのですが、しかしこのシリーズの素晴らしいのはそこではありません。出産や育児の描写が異常なまでに緻密である、というところなのです。

 なんといっても時間の進みがスローです。1冊目の「トリペと―妊婦、はじめました」には妊娠から産後1ヶ月目までの11ヶ月しか描かれていません。すごいのは産気づいてから生まれるまでの数日間の描写で、実に56ページが割かれています。2冊目の「オカアチャン1年生―トリぺと〈2〉」では0歳児育児に奔走する1年間がじっくりと描かれています。「2ヶ月目にはこういう動きをするのか」「3ヶ月目でこんな顔をするのか」本当に参考になります。さらに3冊目「はじめてエブリデイ -トリぺと3」では1歳児育児に奮闘する1年間が丹念に…。

 もういいでしょう。とにかく、これほど役に立つ「育児エッセイ漫画」は私の知る限りではこのシリーズだけ。妊娠した友人に「出産とか育児ってどんな感じ?」と訊かれたとしたら、何も言わずにこの漫画をプレゼントするでしょう。そのくらいの情報が詰まっているのです。

 今、うちの娘は生まれて6週間ほどですが、わたくし、育児にはなんの不安もありません。周囲には「まるで二人目を育ててるみたいな図太さ」と言われます。それもこれも「トリぺと」シリーズのおかげです。一人目育児はこの漫画で濃密に疑似体験させてもらいましたからね。新生児の娘を膝に抱っこしながら仕事の資料映像を見ながらメモをとるくらい余裕をかましています。(そんな適当な育児でいいのかどうかはちょっとよくわかりませんが…)とにかくお勧めのシリーズです。

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