『機械仕掛けの愛』業田良家(小学館)
人間に愛を捧ぐロボット。こういう設定に私すごく弱いんです。
今でも忘れられないのは『火の鳥』(手塚治虫著)の復活編です。子供たちを愛し愛されたロボット、ロビタ。その愛ゆえに起きてしまった事件と、彼にくだされた理不尽な有罪判決。小学生だった私は腹が立って仕方がありませんでした。同時に、ロボットたちの愛に胸がときめきました。要するに「萌えた」のですね。だから『わたしは真悟』を読んだときの衝撃ったらありませんでした。もはや人間の姿すら持たない無骨な工業用ロボット「真悟」。自らにその名を与え、生命をふきこんでくれた子供たちを、父、母、と呼んで、ぼろぼろになりながら暴走するシーンは思い出すだけで視界がぼやけます。
さてそんな私が、『進撃の巨人』11巻を探しに書店に入った瞬間でした。平積みされた『機械仕掛けの愛』の表紙に目を奪われてしまったのです。そっと寄り添いながらこちらを見つめるロボットたち。裏表紙を見ると、「持ち主に飽きられたペットロボの女の子」なんて書いてあるではないですか。「持ち主に飽きられた」……! すでに涙腺がゆるんできます。そんな私の心を見透かすように、単行本の横に吊るされた試し読み冊子。1ページ目をめくって「お母さんに会いたい」というモノローグを読んだ次の瞬間、レジにダッシュしていました。
ロボットに萌える人間への畳みかけ販促。さすがです。結局、家に帰るまで読むのを待てず、吉祥寺のタコライス屋でタコライスを待ちながら一気に読みましたよ。
第1話「ペットロボ」で、早くも涙腺決壊。小さな女の子の姿をしたペットロボットが、唯一幸せだった頃の記憶を探して「お母さん」の家にたどりつくんです。しかし、そこで彼女が目にしたのは新たな悲しみなのです。「会いに来てくれたの!?」と叫ぶ「お母さん」、つまり元持ち主ですね、彼女に女の子が返した一言に胸がしめつけられました。こんなにも愛してくれる存在に、人間はどう応えればいいのでしょうか。読み終わったあと、しばし考えこんでしまいました。
続けて読み進めるうちに、ロボットたちの真摯な愛が、スクラップの山のように積み重なっていくのを感じます。彼らの顔は常に労働することの歓びと人間への敬意に満ち溢れていて、見るなり一瞬で好きになってしまいます。第4話の「介護ロボット広沢さん」には、いつか介護してもらいたいと思いましたし、第6話「子育てマーシー」には本気で子供を預けたいと思いました。第8話「リックの思い出」は、お掃除ロボットルンバを持っている人にはたまらないのではないでしょうか。
好きになればなるほど、彼らの身の上に降りかかる理不尽な境遇には心が痛みます。その理不尽な境遇のほとんどは、人間によってもたらされるのですが、ロビタのときのように、その人間たちを私は責めることはできませんでした。そして、ここに描かれるロボットたちも、ロビタのように人間に抗議したりしません。最後までプロフェッショナルとして「生」をまっとうします。そこにシビれるのです。
そして、ロボットの短編ばかりが詰めこまれたこの本において、第2話「家族増員法」だけが人間の物語です。主人公は、工場に勤めるモテない独身男性の平田君。国会で「強制結婚法案」が通るのを心待ちにしながら、何に使われるかわからない部品を火であぶって加工する毎日。彼の表情は虚ろです。
「班長」
「なんだい」
「僕たちはなにを焼いているのでしょうか」
「さあ、俺にもわからん」
「そうなんすか」
「言われたことをやるだけだよ」
孤独に耐えかね、伴侶なきままに「自動出産機」を使って赤ちゃんをつくる彼の行為は果たして愛なのでしょうか。そうやって生まれた赤ちゃんは、はたして人間なのか、ロボットなのか。単行本に収録されたすべての物語を読み終わって、この第2話を思い返すとき、私は戦慄してしまいました。
すでに2巻も出ているそうです。すぐにでも買って続きを読みたいと思います。