書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『Good Luck』(ポプラ社)

14good →紀伊國屋書店で購入


「だめだこりゃ
 ・・・なんてね(後編)」

自慢ではないが、この手のベストセラーをリアルタイムで読んだことがない。
ところが「Good Luck」に至ると、発行からちょうど1年、先月には同著者の「Letters to Me」が発売され、この「Good Luck」もまだヒラ積みされていて、150万部は通過点に過ぎないような、リアルタイムといえばリアルタイムかもしれない。
でも、読んだところで、正直見え見えで、当たり前の展開に読んでいる方が照れてしまう、と照れ隠ししながら、でも時に目からウロコだったりで、それもひた隠しにしながら、しかし、こういう書評を書かせている時点で、この本は私に勝っていたりして、勝ち負けの問題ではないけれど。
そうなったら、あまりウダウダ言わず、キッパリ一先ずウロコのセンテンスをそのまま書き並べて、最近はやりの「声に出して読みたい日本語」じゃなくて「あらすじダイジェスト」的で雰囲気は十分伝わると思う。逆にこれで読んだも同然かもしれない。

まず初っぱなに
「運と幸運とは、まったく別のものなんだ。」
と結論を言われてしまう。これは各章末に出て来る「本章まとめのセンテンス」ではないが、見え見えのストーリー、と斜に構えていた私の背筋を伸ばさせた一言。お〜、そう言い切ると来たか・・・と。よくよく考えてみると、これは「引き」の感覚に通じるものがあって、そう見ると各章末に書かれているセンテンスは、そのほとんど全てが「引き」の一言に集約される。

確かに「運」の確率は皆平等、ところが「幸運」の確率は人によって違う。「運」はころがっているけど、「幸運」は確かにいつも気持ち高い所、少し手の届かない所にある感じ。なので人間も犬も、歩けば当たる「運」と違って、自分の内面からレベルアップして確率を高くしてから得られるのが「幸運」で、おのずと「引き」の意味が違ってくる。

で、その「引き」だが、運や目標に綱(つな)をかけて、自分の方に「引き寄せる」とか、手を振ってこっちを向いてくれるタイミングを待つものではなくて、その綱をたぐって自分をその目標まで「引き上げる」ことにある。運を求めて、成果を求めて、出会いを求めて、「運」は誰にでも来るが、「幸運」は「幸運」にふさわしい用意なくしては得られない、とは「Good Luck」の根幹をなす。
綱を握りながら、綱をたぐりながら、綱を引くには引くが、目標を手元に引っ張って来ると言うより、くいで打たれた目標にロッククライミングのように自分の体を引き上げて行く感じ。
小学校か中学校かの校庭や体育館にあった、体育の授業にいやな思いをした、上に登って行く棒とかロープ(あれ何て言ったけな?)を思い出せば良いかもしれない。これが「引き」の違いで、目標が運良く自分の方に近づいて来ても、所詮、自分のレベルが変らなければ「運」にすぎない。自分が「幸運」のレベルに到達して、初めて「幸運=高運」となる。
なので「運」の確率は皆平等、「幸運」の確率は自らのレベルアップで高くなり、それでおのずと「引き」が強くなるということになる。ただ自分の方に「引き寄せる」のと、自分を「目標に引き上げる」感じ。その違いは大きい。

そう言いたいんだろうな、と思って「Good Luck」のセンテンスを読むとそう読めてくる。
「誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのはほんのひとにぎり。」
「幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。自ら下ごしらえをする必要がある。」(下ごしらえ、以外に妙訳はなかったのかなあ?)
「幸運を作るというのは、つまり、条件を自ら作ることである。」
「幸運のストーリーは、絶対に偶然には訪れない。」
等々。
あとの文章はどう読もうと読者の勝手で、感じ方も人それぞれ。私はひねくれているから、見え見え、と照れ隠し。

ちなみに
「どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと。」
と言われても、私は最近、燃え尽きないようにSlow Foodならぬ、Slow After Hoursで、明日出来ることは今日やらない、という感じで来まして、だからか、最近占いのランキングが低いのは・・・。

理工系の表現をすれば、データは装置が取るものではなくて人間が取るもの。その「引き」はデータを取れるレベルまで自分を「引き上げる」ことにあったりする。
よく授業やオリエンテーションで学生さんに言うのですが、勉強のできる人、頭の良い人って山ほどいて、でも学校出て、大学出て、実社会に出ると、それって基本的に必要だけど、もっと違うファクターが半分以上を占めたりする。
これは人との出会いとかも同じで、いわゆる「引き」がないとつまらないし、科学技術の業界でもそれがないと致命的だったりで、どの業界でも才能とか努力とかって必要だけど、もちろんその時、その状況によって「引き」の良い時と悪い時の山谷はあれど、「引き」の違いで人生違うのは、この「運」と「幸運」の違いに帰着する感じ。

ついでですが
「欲するばかりでは幸運は手に入らない。ひとつのカギは、人に手をさしのべられる広い心。」は、新作の「Letters to Me」の予告編。

ここで話は前編に戻りますが、晩年、いつも穏やかだった長さん。ベースを弾きながら、ベースだけは分かってくれる、なんて感じで。
俳優としては素人同然だからと、孫みたいな年齢の織田裕二さんに教えを乞う。
そんな長さんでも、覇気のない人とか、人の気持ちを重くする人とか、自分はいつも正しいと思う人とか、そして「引き」の弱い人とか見ると、自分の経験からポツリと独り言を言うんだろうな・・・
「だめだこりゃ・・・なんてね」 と。

→紀伊國屋書店で購入