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気がついた気になる雑誌<br>『広告批評』<br>288号「2004広告ベストテン」<br>(マドラ出版)

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「部活、夏合宿、
  今になって分かる事」

「お前のスパイクは、いつまでたっても体が流れるなあ」
これは4年でレギュラーになっても、どうしても直らない私のくせだった。

nikeに「部活」というCMがある。
昨年の「広告批評」の広告ベストテンでは、adidasのLaila AliがClint EastwoodのMillion Dollar Babyを彷彿させる勢いで優勢だったが、私個人としては今年はこの「部活」を気に入っている。曰く、「立ち止まるな、絶対に止まるな、どこまで行けるか」・・・「不可能なんて、ありえない」もいいが。

この時期、猛暑の夏休みになるとその「部活」を思い出す。
高校の時は受験で2年で辞めてしまった部活。その借りを返そうと、大学の部活は高校までのバスケではなく、松平ジャパンの勢いもあって、バレーを始めた。根本的に何が違うかというと、大差で負けていても逆転があるということ。そして、バスケのシュートは体が前に流れて走り抜けても良いが、バレーのスパイクはそうも行かないということ。
何れにしても「部活」には今になって分かる事が沢山つまっていた。

スポーツ選手は「あのシーン」というのを鮮明に覚えている。あの時の打ち抜いた手の感触、走り抜けて見た仲間の顔、見上げた観客席。私も、スポーツ選手という範疇の末席(はしくれ)にも入れないが「あのシーン」だけは鮮明に覚えている。

対戦相手はどこだったか。最後のリーグ戦、場所は渋谷の国学院だったか。
最終学年の私は、強烈なレフトスパイクを打つ新入生、丸野が入って来たので、裏レフトに降格していた。とは言え、何も気持ちは同じ。レフトクロスのレシーブは絶対取ってやると信じていた。バックセンター2年大関には毎回セットプレー毎に「全部行くぜ!」と土声をかけていた。大関も「お〜!」と答える。彼はレギュラーで一番背が高かった。膝が弱かったが、テーピングで歯をくいしばって、体を低くしてレシーブしていた。

あれは水谷のサイン。ネットに背を向け、私と今井の目を見て、膝の少し上で両手の指で「これで行くか?」と2人にサインを出す。3人はそれぞれ目配せで内容を確認する。バックの3人も確認する。
バックセンター大谷のサーブレシーブ、そして水谷のセットアップ。センターに入る今井がその長い手を振ってAクイックのおとりに飛ぶ。私はレフトから今井と水谷の後ろを回って右バックセンターから左のアタックライン内側に打ち抜く移動攻撃。相手ブロックは全部今井についていた。
体は前に流れ、タッチネットを避けながらライトに走り抜ける。肩の振り抜きは左奥だったが、あんなに高く肩がクロスに回ったのは、あれが最初で最後だった。そのまま走り抜けてコートに戻る。大谷は「原〜、今の高け〜」とコンタクトの目を細めて手のひらを出す。丸野も「原さん、今の凄いッス!」と来る。観客席にはほとんど人はいないが、控えのやつらの歓声が聞こえる。そんなこんなでそのセットは、15対10で快勝した。
レシーブのシーンはいくつか思い浮かぶ。でも本業であるはずのスパイクに限って言えば「あの1発」を打ち抜いた手の感触しか覚えていない。でも何かそれで「部活」だったなと思い出せる。

夏の合宿は本当に死ぬかと思った。
礒村に「人間て、簡単には死なねえなあ」と言ったことを、良く覚えている。
夜の練習が終って、1日が終って、皆、体育館の床にボー然と大の字になって寝ていた。

昼休みは皆、体育館の床に近い高さ30センチ程かの横長の通気マドの近くに、へばりつくかの様にゴロ寝する。そこだけは風が通る。この昼寝がポイント、午後の特打の為にも重要だった。そこからのぞき見える、畑の風景は、我々の合宿とは関係のない夏休みの1日だった。
そうもすると、地元のおばちゃんが、農作業そのままの格好で茄子の漬物とか届けてくれる。「あんたらどっから来たん」とか言われているのだろう。昼寝を起こされた我々は、方言で実は何言っているのか全く分からないまま「すみません、ありがとうございます」と頭を深く下げて頂く。
おばちゃんは「何の何の」とか言いながら、手を後ろ腰に組みながら、少し前かがみで炎天下を帰って行く。これが夕飯のテーブルに並ぶ。

入部したての合宿、あれは十和田湖だった。着いた初日に10キロの山下り山登りマラソンで足がつった。
合宿所に戻り、新入生は2段ベットの上、天井が間近に見える。
朝の起床の放送が「若者たち」だったりで、「何でなんだ」と毎朝自問自答した。

だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

だのになぜ 何をさがして
君は行くのか あてもないのに


汗を出し切って、練習着が乾き始めると体全体がしびれてくる。脱水症状だ。
中学高校とは「水は飲むな!」の練習だったが、大学ともなるとゲータレード全盛。ところが特打の途中で補給は出来ない。
スパイクの打ち込み、特打は一人で連続30分以上にもなり、野球の千本ノックのようなレシーブもしかり、ラスト10本からが長い。
「もうダメか?」「やめちまえ!」なんて怒声も関係なくなる。そんなのに答えられるようなら、まだ十分余力がある。
「この野郎!」「バカ野郎!」とは自分に言う罵声、決して他人に言っているものではない。

「ラスト1本!」になると、逆に自分が満足するまでやることになる。「まだまだ!」とか言いながら、もうジャンプなんか、ほとんどしていない。渾身の力でスパイクをコートに入れると「ヨーシ、あがれ!」とか言われるのもつかの間、そのまま体は床にころがって大の字になる。「ま〜だ体が流れるなあ〜」とか言われて「ハイ」とか荒い吐く息に合わせてしか返答できない。
高い天井のシミを見ながら「これでも死なないんだなあ」とか思いながら。

いつの頃からか、スポーツ選手のことをアスリートと呼ぶようになって、何かアーティストのような、そんな意味はないにせよ、何か表現する者のようなイメージがあって嬉しい。
私なんか、そんな余裕もなく4年間が過ぎてしまった。
「お前のスパイクは、いつまでたっても体が流れるなあ」そう言われ続けた。
自分で出来ない事。自分だけでは出来ない事。いつまでたっても「部活」は貴重な経験だ。
「立ち止まるな、絶対に止まるな」
「どこまで行けるか」
その意味が分かるのは30年後かもしれない。
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