『40歳からのピアノ入門』(講談社)
「Closer to God」
私の求める音は年と共に増々過激になって、自分でもこうなるとは思いもよらなかったのですが、この10年位は、通常のいわゆるハードロックでは何とも感じなくなってしまっていました。いわゆるロック不感症、かなり重症でした。客に媚(こ)びないロック、それも徹底的に叩きのめすだけ叩きのめす、弾きつぶすだけ弾きつぶすロックが何て少なくなったことか。40ならぬ50が見えて来たこの歳になって、さらに上から下まで黒ずくめで、ダイブこそないけれど、ステージ間近のスタンディングで、放水される水を浴びながらヘッドバンギングと垂直ジャンプでリズムを取っているとは、勿論誰も知る由もなし、ましてや学生さん達には見せられない(見せてもいいけど)。ましてや、ライブに合わせて髪を剃って(時には実は減量までして)いるとは誰も気づいていないだろう(という自己満足)。日本では中々そうも行かないし、思わぬトークの落ちが観客に受けて、バカらしくなってそのまま帰ってしまうことが度々あった。こんな受けを聴きに来たんじゃないって。ところが、海外のライブでは、私よりももっと年季の入ったヘルスエンジェルのようなジャラジャラバキバキの皮ジャンのおじさん達がいて、私何ぞはヒヨッ子に過ぎなく気が楽になる。ミュージシャンはともかく、ハードロックの観客は中々日本には育たない、ということで、それはそれであきらめた。でも70年代はそうでもなかったし、客を突き放した演奏、疎外感こそがロックだった、とノスタルジックも善し悪し。まあ未だにミーハーも好きだけど。
それは私が以前からいつもイメージすることで、壁と床の境に打ちのめされて、そのまま痛みをこらえながら1日が過ごせたらどんなに楽なことか。ロックとは、たとえ静かな曲でも、そんな状況に対しても圧倒的で、打ちのめして、トドメを刺してくれなければロックではない。そんな全ての音がむなしい中で出会ったNine Inch Nails (NIN) はまさに私の救世主だった。詳しい事は言うまい。分かる人には分かる、分からない人には分からない。それがロックだ。
(とは言え、元はと言えば、オリバーストーンのNatural Born Killers (1994) からだったのでNINマニアにしてみればDownward Spiralの頃からになるので偉いことは言えない。)
そして突然、転機は訪れた(=音連れた)。
2002年にリリースされたNINのライブAnd All That Could Have Beenの初回プレスには、ボーナストラックならぬボーナスCDがあって、それが歴史的名盤 (少なくとも私個人には運命的な)stillだった。それはunplugged、unleddedならぬ、生ピアノ、アコースティックな編集で、とうとう私を最後の最後まで圧倒的に打ちのめしてトドメを刺してくれた。それはハードロックの窮極に出会った瞬間だった。要は、NINのトレントが言うまでもなく、最後の勝負に出た作品、ロックの一つの結論だった。詳しい事は言うまい。分かる人には分かる、分からない人には分からない。否、分からなくていい。それがロックだ。
そして私のメモには数ページに及ぶ、書評が書かれている。
通勤電車の中で読みながら、人目をはばからず書き綴った書評がある。
ピアノを弾きたい。
でも今、多くを語ると野暮ったくなりそうで、でもこの本から「勇気」もそうだが伝わる「想い」をもらっている。言いたい事は沢山ある。9頁位ある。でもやめておこう。
私には、やり残していることがある、それがロックだ。
いや、それはどうもピアノかもしれない。
窮極のハードロックは、健さんのように復讐に燃える、振り絞るような押さえた情念。
その姿はアコースティックなピアノに現れる。
分からないでもいい。いや簡単には分からないでいてくれ。
→紀伊國屋書店で購入