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『ワイナートダイアリ』(美術出版社)

20_1_winart.jpg ワイナートダイアリ →紀伊國屋書店で購入

「wine diary
 message in a bottle」

「たとえばラフィットの矜持、ラトウールの豪奢、オーブリオンの寛容。ワインの形容を自ら探し、意味を問うのは、趣味の内奥に足を踏み入れるための基本である。」
出だしからしてこう言われても、私にはチンプンカンプンで、何語をしゃべっているのかも分からない位だが、結構、こういう蘊蓄(うんちく)が言えれば格好良いんだろうな、とか憧れてしまう。

ちなみに「矜持」は「きょうじ」、自負、プライドのことらしい。「豪奢」は「ごうしゃ」、贅沢、派手、を示すらしいが、何となく字面(じづら)から感じられないでもない。「寛容」位は分かるが、「内奥」は「ないおう」って読めば良いんだろうな。と、久々にマルゴーを一口、久々に国語辞典、いや漢和辞典を調べてしまう。

「マルゴーAOCのワインとは本来、陰と陽、剛と柔、拒絶と抱擁といった矛盾の統合物」と言われても、そう思ったこともなかったし「ただ美味しいなあ」位で「飲と酔う」のは分かるとか不謹慎に茶々を入れる。
「マルゴーは長いあいだ、本当のマルゴーではなっかた」と、言われてしまったら、「へえ〜そうだったんだ」と分からないような分かるような。

でも、そんな蘊蓄、そんな言葉の綾(あや)が何ともワインらしくて嬉しいし、自分では分からない憧れ。正直、本当に憧れ。

・・・
マルゴーには特別な思い入れがある。
でも、私はワインに詳しい訳でもないし、蘊蓄は語れない。
その思い入れはマルゴーと共に自分の頭の中のダイアリに潜めておくが、正直、蘊蓄を聞くのが好きという。ヘ〜色々あるんだ、歴史とか地理とか良く知ってるなあ〜、と聞きながら、決して覚えてはいないが、酔いが回る前にとにかく味わいだけは味わっておこうと。

学会などで出張に出ると、たいていの人は、人と飲みに出る。私も例外ではない。でも、タイミングを見計らって、コソコソゴソゴソとエスケープして、ここぞとばかりに閉店間際のデパ地下に出向き、美味しそうなお弁当と、適当なチーズと、そしてちょっと贅沢で、マルゴーの小ボトルを買う。学会用のネクタイスーツ姿で、帰宅途中なんだな、みたいな感じで明日の分もみたいな感じで食材を少し多めに買ったりする。
コソコソゴソゴソよりも、そういう意味ではイソイソとホテルに戻り、7時のNHKニュースとか、野球中継の音を控え目につけながら、ゴソゴソとチーズを切り出す。自慢じゃないが、実は自慢だが、コンテ(チーズ)とフランスパンがあれば後はどうでも良かったりする。桑田が1ゼロで負けてる?それはどうでも良くないが、それも人生だ、と思えるワイン。本当はDVDか何かで気に入った映画とかサッカーのゴールシーンとかがあればマッチベターだが贅沢は言えない。いつも次回こそは・・・とか思いながら、出張前に鞄に詰め込むのを忘れる。でも次回こそは・・・。

「美味しいマルゴーが手に入ったから来週末にでも飲みましょうか」
と言って去って行った人がいる。
思い入れというより、何かその人柄というか・・・思う所がある。

ワインでダイアリを綴りたいと思ったことがある。
でも何か文章に書き出すと、秘かな楽しみがなくなって、何だか飲んでいる時だけ、飲んでいる自分だけで良いかな、と思ってしまう。

一つだけ、いやその思い入れに加えて、もう一つだけ、ワインのダイアリに残したいことがあって、それはドイツのマインツ大学のリングスドルフ教授のこと。
リングスドルフさんは、我々の業界では「超分子」という分野でノーベル賞クラスの先生で、我々の研究室にも名誉研究員として何回か滞在して頂いたりした。リングスドルフさんはソムリエ顔負けにワインに詳しいことでも有名で、お兄さんがワイナリを持っていて、毎年、自分の研究室ラベルのワインを作り、ビジターにお土産で配っていた。また、数十本と並ぶラベルを隠したボトルを前に、小さなコップで2〜3種類ずつ比較するリングスドルフさん主催のワインテイスティングパーティもレアながら有名で、OHPを使いながら毎回同じジョークの落ちの蘊蓄を聞きに、私も3回程参加させて頂いた。
毎回同じ落ちでもいつも笑わせる蘊蓄。例えばワインを開ける方法のお国柄、フランスはコンコルドで引っぱり、日本は空手チョップ、**は念力、のような。それよりも何よりも、味と風味の比較は、時折ドイツ語が入って分からないが、チーズとフランスパンだけで数時間〜夜半まで楽しませてくれる。

そんなリングスドルフ先生(ここから先生)に、今から10年位前に、研究上の私の新しいアイデアを話したことがあった。それまで、人には中々分かってもらえない内容だったが、リングスドルフ先生は聞くや否や「そいつは凄い。歴史的に全く新しい発想だ。」と握手しながら初めて理解してくれた。そして次の日、鞄からおもむろに小ボトルを取り出し「Congratulations!その君のアイデアに乾杯だ。ただし成功してからな。」と貴重なワインを私に手渡してくれた。
それはマルゴーでもボルドでもないが、未だに冷蔵庫の引き出しに眠っている。夜中にゴソゴソと冷蔵庫をあさりながら、いつも横目でボトルを見ながら、これを乾杯する時を実現しなければ、と思う。

リングスドルフさんとは、7〜8年前に中国で会ったきり会っていないが、お元気だろうか?
ボトルを見ては、いつもリマインドされる。
いつのことだったか日付も忘れたが、そのワインにはそんなダイアリが潜んでいる。

→紀伊國屋書店で購入