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タイム・フォー・ブランチ<br> はなの東京散歩

はなのWalkie-Talkie

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BGM(Chicago/Chicago Transit Authority(1969))

「クリスト&ジャンヌ=クロードがやってくる
 そういう世界があることを知って下さい
 世の中の半分以上を知らない位もったいない」

 中学の頃、Chicagoのロバートラムが好きな子がいて、Simon & Garfunkelの新しさを知っていて、でも今でも聴いているかな。道に迷ったら、その子の通(かよ)った道にいて。
 高校の頃、Genesisを知っている正直な子がいて、でも結局はハードロックは苦手で、でもそれも嬉しくて。道に迷ったら、いつもそこにいて。

 小学校の同級生のあいつの家には、Beatlesのレコード全部と、そしてあいつのお姉さん達もとにかくZeppelinで、「あ〜原君?」ってコンタクトをつけていないと顔の目の前まで来て「聴いてってよ」って歌詞カードに日本語訳まで書いてあって。

 道に迷い続けても、私の原点はその辺りにあって。

 私のハードロックは、その子は苦手で、それで良かった。


「曲を書けば書くほど、新鮮なものを書くのが難しくなる

 そしていろんな事を学ぶんだ」ロバートラム


 Chicagoのテリーキャスはドンジョンソンの自宅のパーティで、それまで弾が込められていなかったはずの拳銃を頭に向けて死んだ。そしてピートセテラもいなくなって、でも一晩もあれば説明しますけど、時間ないですよね。


 今年の夏は5000キロ位は走ったかと思います。いや、その、ジョギングじゃなくてドライブで。日帰りの富士スピードウエイでは渋谷陽一さんにも会えたし、五輪真弓さんのバック以来のラリー・カールトンも3m位で見えたし、渋谷AXでのAIとジョイント以来のチャーも5m位で見えたし、Jeff beckは10m位で、もう理性を失いました。新幹線とか飛行機に至っては何回使ったか覚えていませんが、その単位時間当りの移動距離とその目的意識は相対性理論からすると今年の夏は少しは若返ったような気がします。東京JAZZもありましたし。


 そう言えば、早朝の海岸線や深夜の高速に合わせてCDを選びますけど、先日は深夜〜早朝の渓谷のlong and winding roadという珍しいシチュエーションにあのピアノソロという、ただ、真っ暗な夜道のハイビームに、何か違う気配を感じて、何か暗い原風景を見るような気配で、確かに誰かがいたような気配で、いや、その、確かにそこにいて、そして気がつくと、あの数10キロに及ぶwinding roadは、かつて巨大なパラソルを並べたクリストの「アンブレラプロジェクト」のラインを走っていました。本当に行くまで知りませんでした。これは呼ばれたのだと思います。

 クリストを呼んで、近くの学校で講演会も行って、そして裏の庭園でパーティを開催したのが原美術館でした。今でもよく覚えています。庭園パーティでクリストに直接色々な質問をして、今考えると信じられない貴重な体験でした。普段は授業をさぼることのない?私が唯一いちご白書で授業を抜け出して出かけたのが、原美術館主催のクリストのイベントでした(正確には後楽園球場の解体前の最後の巨人戦も授業の後半に出てしまいましたが)。

 六本木のプレイボーイクラブの会員(当時海外では簡単な紹介で入会できた)もそうでしたが、うちら夫婦の自慢、と言っては何ですけど、原美術館の会員であることの密かな自慢、品川の本拠地以外にも伊香保のアーク(野外美術館)に何回も行っていることが自慢と言えば自慢です。どうも日本のプレイボーイクラブのイメージというのは、何か同伴で行く社交場というのとは少し違う感じで、2人でアレッ?みたいな感じで、その辺はまたいつかお話ししましょう。

 とはいえ、常連は「原美術館」ですが、はなちゃんも素敵に紹介してくれています。その後、細い道を抜けて、大使館の横を通って急坂を大崎側に抜けて五反田の裏を抜けて、そして実家に行くというパターンです。庭園美術館〜白金通りも良いのですがあまりにも定番で、原美術館はもう我々の、そして私の密かな定番で存在自体が私の気持ちのよりどころになっています。


 えっ? そんなこんな画廊鑑賞的生活を知らない?それはもったいない。

 いや、その、それは生きててもったいないですよ。

 世の中の半分以上を知らない位もったいないですし、それを知らない生活からは何も言えそうもないもったいなさ、です。是非ともこのはなちゃんの本を読んで、そういう世界があることを知って下さい。


 目白から西に向う目白通りの徒歩の散策も、都内とは言え、かつて池袋モンパルナスと言われた所以があります。何かと自転車の多い狭い商店街を抜けると、山手通りの手前に佐伯祐三の旧アトリエがあります(ピーコックの裏には 中村彝氏の旧居跡があるそうですが)。昔の建物の半分になって小さな公園になって、お勝手とその奥に見えるアトリエの前でここにいたのかと思うとグッと来ます。何でそこまで追いつめたのかと。ここで佐伯が下落合の風景を描いたのかと思うと、年月が経っても霊魂とそのストイックな根性を感じます。

 うちの奥さんは「SAIKIってサインが残ってる」とか変なものを見つけて、「へ〜ここにいたんだ」と史跡プレートを覗き込む。ベンチに座りながら「良かったね、見つかって、写真撮っといたら良いわよ」と、そんなことを知らなかったのが嬉しかったりする。

 そのまま先に進むと有名なトキワ荘の跡地につながります。子育地蔵の左裏と言いますか、分かりにくいところですが、彼らが通ったラーメン屋さん中華松葉がまだあります。その左のお肉屋さんの真正面の路地の突き当たりがその場所です。日本の漫画の原風景でもあります。「ここだったんだね」2人してグルグル同じ裏路地を何回か回りながら、当時使ったであろう井戸を見つけて「これ本当に使ってたかもね」と散策する。

椎名町ほっとプロジェクト参照)


 ちょっと渋いですけど、上野毛多摩美の裏手前にある五島美術館も良かったりします。和風と言えば和風で門構えからして渋いのですが、こじんまりとした庭園に見えて実はこじんまりとしていない庭園はそこそこ歩けて、そこで少し文庫本なんかを読んで空を見上げると、経団連に似合わない?五島氏が選んだ土地柄を感じたりする訳です。そこで何かいつもの私の西洋かぶれの生活から純(準?)和風になってしまいます。そして五島美術館を後にして、路地を曲がった先に次に向うのがアメリカンのサンドイッチ屋さん、アンクルサムだったりする訳です。実はこのルートはやはり大学の時、上野毛で家庭教師のバイトをやっていた時のお決まりのルートでした。

 アンクルサムでブランチした後、そのまま上野毛駅の横を抜けて、高級住宅街を抜けて(車ですけど)目黒通りに出る角の紀ノ国屋に買物に行くのが嬉しかったりします。でも正直高いです。でもそのたまの贅沢が何ともこの一つ位は一点豪華主義で買ってもいいかなという庶民の葛藤を感じつつ、結局いつかは使うだろうパスタのソースどまりだったりする訳です。所詮、緊張して紀ノ国屋に行くうちら夫婦は、あ〜あの人、何も気にせずカゴに入れてる、とかいう羨望の気持ちを抑えつつ、その緊張感を楽しむのでした。

 その後、環七に出て、見逃しがちな南の交差点を右折して、昔住んでいた大岡山商店街に抜ける手前の雷神堂のおせんべいを買います。「来るといつも開いてなくて」と聞くと「休日はお昼過ぎに開けてるんで」という元祖ロハスの返答に心もゆるみます。


 Saturday in the Park, Hard to Say I'm Sorry, 25 or 6 to 4...

 Now being without you

 Takes a lot of getting used to

 Should learn to live with it

 Chicagoの曲が流れる


 77年から78年にかけての質問は

 Chicagoから10年遅れても

 朝の4時までにはまだ時間がありそうで

 崩れそうな気持ちを笑顔に変えて

 自分が今本当に上手く行っているのかどうかは

 10年か20年か30年経ってみないと分からない

 だから今を大切に積み重ねる


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