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プロの読み手による書評ブログ

『「気づき」の幸せ』木村藤子(小学館)

「気づき」の幸せ

→紀伊國屋書店で購入

「もっと静かで激しい音楽を
 もっと穏やかで過激な生活を
 Frail, Wretched, Closer」


ある本にこう書かれていました。

「たとえ何かを感知しても、許可されていないかぎり、それを明らかにする権利はあなたにはありません」

歩くスピ−ト感、リズム、立ち位置、距離感

飲食の仕草、品、指先の輪郭、皮膚感、外観

表情、目、頬骨、口元、覇気、そして、コツ

本当のことは、決して言ってはいけない

一瞬の表情に、気づいていてもいなくても

言ってはいけない

今、何が起きているか、毎日、何が進行しているか

決して言ってはいけない

分っていてもいなくても、本当でも嘘でも

言ってはいけない

そこの置物を壁に投げつけたくなる衝動にかられても

投げない

これはかなり難しい条件を課せられて

確かに厳しい修行です

Love is not enough...

***

学生時代に毎日のようにかよった喫茶店があります。

大岡山のガールトーク、自由が丘のチャーリーブラウン、そして学芸大学の珈琲美学です。その内、3番目の珈琲美学だけが今も残っていて、今、その珈琲美学でこの原稿を書いています。かれこれ30年ぶりでしょうか。

ガールトークビル・エバンス、チャーリーブラウンはスティーブ・ルカサー、珈琲美学はモーツアルト、それぞれいつもそんな曲が流れていました。

・・・と、そんな文章を書いて3ヶ月が経って、どうしてもしっくり行かず、そのままにして来ました。その辺の話はまたいつかしましょう。

当時の私は青臭くて「観えているか?」をいつも繰り返し自問自答していました。それは30年以上経った今でも同じで、何も平たい表現にする必要はなくて、未だに「観えているか?」の繰り返しです。

You can't change anything in the end...

年を取れば取る程、学生時代のモチベーションレベルをキープするには、表向きは穏やかでも、気持ちは増々過激に、そこの置物を叩き付けるが如く青臭さをキープする状況にあります。それは余程の状況にならない限り、表には出しませんけど、それでも、もっと静かで激しい音楽を、そしてもっと穏やかで過激な生活を、とモーツアルトを聴きながら想います。観えていない**はいりません。

Terrible lie...

でも、これを読むと、その自分の嘘っぽさに恥ずかしくなります。青臭さをキープしているのではなく、未だもって昔から進歩していないからということが分ります。

私は何もこれと言って特別な修行をしている分けでもありませんし、特別な宗教を信じている分けでもありませんし、時折サディスティックにストイックになりながらも何も見えている分けでもありませんが、生きていること自体が修行であることに変わりはありません。

出世しなくても良いと言うかもしれませんが、うだつが上がらないのは、はっきり言って**でしょう。徳を落とさない、引きを落とさないノウハウは、自分でエスタブリッシュして行かなければならないことですが、今までの様々な状況の中から、それはサイエンティフィックではなく、かなりアーティスティックな所から、またはサディスティックな所から、自分なりのノウハウがあって、それからすると、毎日の生活の中でよく徳を落としている人を見かけます。つまらないことで、その歩き方でその表情で、ああ残念だなあと思います。かと言う私も気づかない内に落としているのでしょう。さらに私の問題は、その落とさないということが、どうしても自分の為、つまり自分のことしか考えていないところに、まだ修行の甘さがありまして、どうしても自分のこと、少なくとも家族のこと、と思ってしまい、修行の身でありながら自我から抜け出せない自分が今の一番の悩みです。

気づかなければいけない事にさえ気づけない

幸せになるかどうかは、自分のカルマに気づいているかどうか

自分を正当化する、自分は悪くない

そのことの重大さに気づいていない

見ている人は見ている

人を許す事は何と幸せな事か

カルマの汚れの積み重ね

自分で自分の運命を閉じている人

道を閉ざしてしまう人

汚れた運命を作る人

グチ三昧は

自分の甘さや考え方の間違いに気づかないまま

自分自身を醜くする

自分はすぐれている、という意識

つねに自分が正しい、という意識

体内の血がごうごうと逆流しているような状態になって、更年期障害を重くし、そのいらいらがまた、悪循環を起こす

本来は子供のころに身につけてもらいたかったこと

burning, burning, burning...

一方で

マイナスになりそうなことでも、プラスに転化していくことはいくらでもできる

・・・でもここでポジティブなことを言うのはやめましょう

物事が上手く行かなければ

それは誰かのせい、何かのせい

それではいつまで経っても状況は変わらない

自分に何か問題があるのではと気づくこと

I don't know, I don't know...

雑然と並べられた表現に、何時しか共通項に気づく

我々は知らないということを知らない

私は言いました

we do not know what we do not know

彼は言いました

don't you f**king know what you are ?

描かれた例は、例であって、それも普通の例が多くて、後は自分で気づきなさいという話で、どうするかは自分でノウハウを蓄積しなさい、と読めます。

極端に言えばどんな家でも、悪いことをした祖先がいるはずです、と言われて、ところが、ここで新しく示唆されたことを一言で言えば「先祖ではなく今の自分」というポイントです。あくまでも私個人に取っての示唆ですが、でもこれは目から鱗(うろこ)でした。明け方に観る夢も違って来ました。今までに見た事のない夢を見るようになりました。幸運の兆しかもしれませんし、または全くその正反対かもしれません。

それから、身体をどれほど苦しめたとしても、心ができなければ得る物は何もない、ということです。どんな厳しい訓練をしても、人間の心ができないと、深い部分での心の交流はできない。心をつくらずして修行をしても神は認めてくれない、自分のカルマは自分の心で汚れ落としをするべき、と。

doesn't that make you feel better ?

Sカルマ氏の犯罪は

赤い繭は衝撃だった

・・・かもしれない

そしてこれは正直、普通の本です。

決して難しいことが書かれている分けではありませんし、流れるような内容でもありません。でも、そんな普通の日常の内容をどう読むかで自分が試されているような気がして、だから私はまだ、自分のことしか考えていないところに、まだ修業の甘さがある、と思っています。

でも、ここまで言うと、明日気をつけなければいけません。

誰かのせい、何かのせい、と考えるのをやめる

自分に問題はないか

自分の態度や言葉に間違いはないか

身の回りに起こる事の原因は全て自分にある

私の身の回りに起こる事の原因は全て私にある

徳を落としていることに気づいている人といない人

引きを落としていることに気づいている人といない人

そういうことを分っている人とつきあいたい

遠回りせず

いつまで経っても「観えているか?」で

観えていない**はいりません

come on tell me

you make this all go away

you make this all go away

I'm down to just one thing

and I'm starting to scare myself

you make this all go away

you make it all go away

I just want something

I just want something I can never have

throw me away...

私はいりません


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