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『東京少年』小林信彦(新潮文庫)

東京少年

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「戦時下の小学生の疎開体験がリアルに伝わってくる」

 遠出だというのに、読みかけの本を忘れて家を出てしまった。鞄の中には一冊も本がない。新幹線に40分乗るだけなのだが、帰りの電車のことも考えると、本がない日帰り旅行はいかにも辛い。発車時間が迫っていたが、新幹線改札口の手前にある、小さな本屋に飛び込んで、1分ほどの間に目に付いた本書を「えいっ」と書棚から抜き出した。小林信彦が『週刊文春』にずっと連載しているエッセイは毎週必ず読んでいるし、大学生のころに『ビートルズの優しい夜』という短編集を読んで深い感銘を受けたことを記憶しているし、最近でも『うらなり』の巧みさに唸ったばかりだ。だから彼の小説なら楽しめるだろうととっさに判断したのだ。


しかしそのような判断はあまりにも甘かった。そんな気楽な本ではなかった。読み始めて、あまりの衝撃に私は深く打ちのめされ、帰ってからも読みかけの本に戻れなくなってしまった。これは、小林信彦の戦時中の疎開経験(昭和19年秋から半年余の「集団疎開」と東京大空襲で実家が焼失したため続けて1年半余の「縁故疎開」という二重の経験)に関する、ほとんどノンフィクションとも言うべき自伝的小説である。むろん小林少年の疎開経験に関しては、彼のエッセイや評論で何度か読んだ覚えがある。しかし本書は、そこで私が感じていたような、「きっと大変な経験だったのだろうな」というぼんやりとした感想を根底から覆すような、圧倒的なリアルさを持って、当事の子供たちの疎開生活の不安定な心理や飢えの感覚などを伝えてくる。どんなふうにか。例えば・・・

 疎開先で出る粗末な食べ物の味わい(「ズイキの欠点は、食べたあとで喉がえがらっぽくなることだった。無数の細かい針が刺さったような感じで、食事が終ると、みんな、縁側に出て、空咳の競争をした。」101頁)、飢えて赤蛙を取ってそれを料理していくときの詳細な描写(「皮をはがれた蛙は、ぶよぶよした桃色の肉に黒いビーズのような目がついた奇妙なものになるが、それでも思慮深げに目ばたきをしたりする。」77頁)、親から内密に差し入れられた大和煮の缶詰をむさぼり食うときのリアルな様子(「ふるえる手で、まず大和煮の罐をあけた。うすく小さい肉片を口に入れると、痛みが頬の内側を走った。・・・・・それからあとは夢中だった。」56頁)、自分を苛める同級生の心理分析(「子供でも、いや子供であるがゆえに、人間はかぎりなく狡猾になり得ることは、一か月で学んだ」63頁)、新聞の戦果をめぐる虚偽報道をかぎつける洞察力(「航空母艦(轟沈・撃沈)十一隻というだけで、三年近く前のあの真珠湾攻撃よりもはるかに驚くべき戦果である。なのに、心が一向に弾まないのはなぜだろうか。」84頁)。

 何しろ、これらが、小林の小学6年生のときの経験を記述したものだというから驚きだ。いくら成人してから後の知識で補ったとしても、そのような大人びた感触で疎開体験や苛める子供の心理や戦況の変化をそのとき感じていなければ、とてもこのような詳細な描写はできないだろう。そうした小林少年の観察力と洞察力と冷静さに、私は読みながらひたすら恐れ入るしかなかった。いや逆に言えば、繊細な小林少年にとっての疎開体験は、そうした大人びた深い洞察を必要とするほど追い詰められた辛い体験だったということかもしれない。今でも小林は、日常生活のなかで「集団疎開について訊かれると、焼け火箸でも近づけられたように、あわてて大ざっぱな答えしか」できないと書いている(358頁)。その焼け火箸のように触れたくない外傷的体験をあえて記憶のなかから掘り起こしてここに「証言」として残そうとする、その強い覚悟のありようが、読者をして居住まいを正させるような迫力をこの小説に与えている。

 ということで、どこもかしこも印象的な記述ばかりなのだが、二つほど挙げておく。まず冒頭で小林少年が疎開に出発するときの持ち物のなかに、スイス製の腕時計や製図用具と共に「中学受験用の問題集」が含まれていることである。疎開先で小林少年が問題集をやるときには、他の少年が偵察に近づいてくるので、最初のページをやっている振りをしたとまで書いている。これには驚いた。戦前の東京のモダニズム文化はかなり進んでいたという事実は、他ならぬ小林信彦のほかの著作などで学んではいた。しかしどうしても昭和34年生まれの私は、戦後の民主主義の青空の下という明るい感じに比べて、戦時下の人びとの生活は戦争一色で暗かったのだと、他人事のように片付けてしまいがちなのだ。しかし「中学受験用の問題集」という一語によって、昭和40年代に中学受験を体験した私は、戦時中の生活を一気に身近な世界として感じることができた。決して他人事ではないのだ、と私ははじめて戦時下の小学生の生活をリアルに想像した。

 もう一つは、老舗の和菓子屋の店主だった小林の父親が、自分の拠り所だった店を空襲で失った後の心理状況を冷静に観察し、描写しているところである。敗戦後、新潟県の親戚の家に居候したまま、なかなか東京に帰ろうとしない父親に、小林少年はだんだん苛々するようになる。日本橋の店は焼けてしまったとはいえ、青山には母親の実家があるので帰京することは不可能ではない。そこで新しく商売を始めればよいではないか、と小林少年は考えるが、父親は行動を起こそうとはしない。老舗の家長だった父親は、母親の実家で居所を失うのも、新しい仕事を始めるのも共に恐かったのだ。「家を焼かれ、暖簾の権威も消滅して、父はひとりで物事を決められず、ぼくたちの前では、家長らしくふるまっていたい。その矛盾が、そろそろぼくには見えてきた。」(302頁)そしてやがて父親と母親の力関係は逆転し、母親の実家の助けと母親自身の意思と才覚で、小林一家は東京に帰ることになる。

 

 最初は、なんて父親に冷たい描写なんだろうと私は思った。ここまで父親の気弱さを底意地悪く書いていいものだろうか、と。だが、やがて私は気がついた。これが敗戦した日本の普通の男たちの惨めさだったのではないかと。アメリカに勝つぞと勇ましく戦争していたが、結局負けてしまった。だから敗戦当事、男たちは誰しもが権威を失い、自信を失っていた。ただ多くの男たちは見栄を張ってアメリカになびき、ショックを押し隠していただけだ。そう考えたら、正直な小林の父親に私は親近感を持つことができた。実は私もまた、彼と同様に自信がないのだ。もしいまの職を奪われたり、家を焼かれたりしてしまったら、彼と同じように私は煮え切らない態度を家族のなかで取るしかないだろう。そして事実、リストラされ、国家の助けもなく、自信を失って彷徨っている人びとがいまも大勢いる。だから小林少年の父親の状況は、決して敗戦時の遠い出来事ではなく、真っ直ぐに現代の私たちの状況にも(前回の『貧民の帝都』にも)繋がっている。つまり、ここには人間というものの普遍的な弱さが描かれている。だから彼に私は共鳴できる。小説が力を持つ、とは恐らくそういうことなのだろう。


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