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『思考のフロンティア 教育』(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「教育」という言い古された言葉が、なぜ「思考のフロンティア」シリーズの1書のタイトルになるのか、不思議に思った人がいるかもしれない。しかし、本書を読めば、教育が常に時代の最先端を歩まなければならない、宿命のようなものがみえてくるだろう。

 著者は、近代教育の基礎となっていた「普遍的・超越的な原理」がグローバル化とともに崩壊し、現在「教育」という思想の危機があると認識している。1980年代に近代教育の制度では現状に対応できなくなったことから、新たな教育学の枠組みの模索がはじまり、その「一つの解としての新自由主義教育改革」が進行しつつある。そこでのキーワードは、縦軸として「個人化」と「グローバル化」、横軸として「社会化問題」と「配分問題」であると説明されている。個人と制度との関係が逆転した今日、社会性のない青少年が増え、教育機会や知識の配分に格差が生じている。また、グローバル化にともなって国際理解教育や多文化教育への取り組みが本格化すると、文化的独自性が強調されるいっぽう、国民国家像が曖昧になるという問題が生じてくる。さらに、国際間の経済競争下で、財や資源の配分の問題もでてきた。このような現状のなかで、現在教育の現場で、複雑化する社会に対応するだけの理論と実践が必要となってきているのである。

 本書を読むと、教育がいかにすばやく現状を認識し、長期的に未来を見据えて対応しなければならないかがわかってくる。教育が常に「思考のフロンティア」でありつづけなければならない所以である。しかし、教育は現場からの反応が早く、顕著であるだけに、問題に気づきやすいという「恵まれた環境」にあるということができるかもしれない。学問分野によっては、時代の流れや要請に応えることなく、旧態依然の研究に満足していることに気づかない恐れがある。

 この「思考のフロンティア」シリーズは第㈵期全16冊・別冊1(1999-2002)につづいて、第㈼期全13冊・別冊1が2003年から刊行されている。正直言って、このシリーズのなかにはまずタイトルからしてわからず、なかを読むとさらにわけがわからなくなるものがあった。その原因は、わたし個人の能力にあるのだろうが、新しいキーワードが充分に成熟していないことから、その分野になじみのない者に理解されにくいということもあるだろう。その点、本書は教育学という長年の学問的蓄積のうえに論を展開しているだけにわかりやすかった。新しい学問には想像を超える論の展開があって啓発されることも多いが、この教育学のように着実に学べるという安心感はない。そう感じたのは、学問的性格だけでなく、本書の著者によるものも大きいだろう。

 著者広田照幸は、自身を「理論家というよりも実証研究者である」と「あとがき」の最初で述べている。旧来の原理が崩壊しているようなとき、大切なことは「実証性」を離れた「空論」がひとり歩きすることを避けることだ。その点、本書には、安心して読むことができるだけの「実証性」があった。それでいて「既存の教育学の理論を足場にしてこれからの教育学を考えるかぎり、既存の理論では考えられてきていない範囲にあるものが見えなくなってしまう」という観点から、大学院生と「ずいぶん風変わりなテキスト」を読んでいるという。このような教師の下なら、「教育の未来に向けて」「一つの代案」を出せる人材も、着実に育っていくことだろう。

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