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『キリスト受難詩と革命-1840~1910年のフィリピン民衆運動』レイナルド・C.イレート(法政大学出版局)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 フィリピン、否第三世界の誇るべき歴史書が、優れた日本語訳によって読めるようになった。まずは、長年にわたって翻訳作業に携わった監修者、訳者(清水展・永野善子、川田牧人・宮脇聡史・高野邦夫)の労苦に報いる感謝のことばを述べたい。さらに、この難解な専門書の出版を引き受け、監修者・訳者とともにわかりやすい日本語訳に努めただけでなく、フィリピン語のわかる専門家に微妙なニュアンスを感じとれるようにルビを頻繁にふるなど細やかな心遣いをされた、編集者(勝康裕)のプロの仕事に敬意を表したい。

 著者イレートは本書によって一躍有名になり、アメリカのアジア研究学会よりハリー・ベンダ賞を受賞、日本でも第2回大平正芳記念賞を受賞するなど早くから注目された。本書の内容については、優れた「解題」で言い尽くされており、ここで繰り返す必要はないだろう。ここでは、なぜ本書が「第三世界の誇るべき歴史書」なのかについて述べたい。

 まず、本書は優れた「ナショナル・ヒストリー」であることを強調しておきたい。前回でとりあげた入江昭氏が述べるように、一国中心史観は「現代の世界においてあまり役に立つものではなく」、「時代錯誤」である。しかし、なぜ「ナショナル・ヒストリー」が重要であるのかを充分に意識し、学問としての歴史学の冷静な分析のうえに、世界史認識を踏まえて語るのであれば、それは偏狭な一国中心史観とはまったく異なる評価になる。

 著者は、「英語に堪能であることが子どもたちの将来を最大限保証する」という家庭教育、「英語でなく現地の言葉を話しているのを見つけられたら五〇センタボの罰金を課せられた」アテネオの学校教育、そしてアメリカのコーネル大学で「アメリカ流社会科学の頑なさと、ときとして、その無意味さに耐える数年」の大学院教育を受けた。そのかつての宗主国アメリカで、ベトナムに軍事介入する姿を直に見て、反戦運動に参加していった。そして、博士論文を書き始めたとき、母国フィリピンでは戒厳令が施行されていた。この戒厳令に反対する政治運動にかかわっていた著者が、博士課程を修了することが運動にたいする最善の貢献のしかたであると論されて書きあげたのが、本書の基となった博士論文である。

 まず、著者の受けた教育への反発と反体制運動が、執筆の原動力となったことの理解抜きには、本書を理解することはできないだろう。そして、著者をタガログ語の民衆の意味世界へと誘ったのは、義父の診療所にやってきたさまざまな生活体験をもった人びととの会話であり、スペイン、アメリカ、日本との戦いを「生きぬいた(そして苦難を経験した)大変すばらしい女性」である義祖母の記憶であった。さらに、従来歴史資料として顧みられなかったタガログ語のキリスト受難詩など、「利用できる限られた史料からどのようにして最大限のものを搾り出すのかを示してくれ」たのがコーネル大学のウォルタースの研究だった。コーネル大学では、インドネシアなど周辺諸国の研究だけでなく、歴史学を相対化できる学際的研究からも多くのことを学んだ。本書が、歴史学に留まらず学際的研究としても評価され、フィリピン以外の研究者にも大きな影響を与えたのは、たんなる「ナショナル・ヒストリー」ではないからである。欧米主導の近代の学問手法を充分に理解したうえで、その手法ではフィリピンのような第三世界の、とくに民衆の精神世界の研究はできないことを示し、独自の研究手法でみごとに脱コロニアルに成功した研究は、欧米の近代教育の呪縛から脱することができず苦悩していた第三世界の知識人に大きな影響を与えた。その意味で、本書は「第三世界の誇るべき歴史書」ということができるのである。

 本書によって、フィリピン民衆の精神世界が可視化された。20世紀の公文書を中心とした文献史学が対象としたひじょうに限られて歪な歴史空間から、文献史料に乏しい地域や社会、人びとを対象とする歴史空間に一気に拡がり、その可視化によって従来の歴史も姿を変えて見えるようになった。「ナショナル・ヒストリー」はその殻から抜け出せない偏狭さのために非難されるが、本書のように新たな「ナショナル・ヒストリー」の出現によって、全体史やグローバル・ヒストリーへの発展に貢献するなら、話はまったく逆である。20世紀の文献史学で主役を演じることのできなかった、また別の「ナショナル・ヒストリー」の登場を期待したい。

 最後に、1946年生まれの著者が67年に大学を卒業し、その秋に渡米、73年末に博士論文を完成させるに至る過程で、本人がまったく触れていないことがあることを指摘したい。19世紀後半のミンダナオ島イスラームの歴史を扱った修士論文のことである。なぜこの研究を継続しなかったのか、個人的に訊いたことがある。「ことばの問題だ」、と著者はことば少なに答えた。このことは、著者のような卓越した研究者をしても、なお難しい問題がフィリピンの「ナショナル・ヒストリー」にあることを如実に物語っている。マニラを中心としたタガログ語の世界を超えた「ナショナル・ヒストリー」の出現には、まだまだ時間がかかるようだ。フィリピンの歴史研究の現状を理解するためには、あわせてつぎの論文集を読むことをお薦めする:レイナルド・C・イレート、ビセンテ・L・ラファエル、フロロ・C・キブイェン著、永野善子編・監訳『フィリピン歴史研究と植民地言説』(めこん、2004年)。

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