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『人権について』ジョン・ロールズ他(みすず書房)

人権について

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「人権をめぐる名講義集」

この書物はアムネスティ・インターナショナルが毎年オクスフォード大学で開催している連続講座の一冊で、一九九三年の講義を集めたものだ。毎年開催されているこの連続講座はかなり読み応えのあるもので、今回はいかにもアムネスティらしい人権というテーマで考察する。

最初のS・ルークスの講義「人権をめぐる五つの寓話」は、さまざまな政治理論における人権の概念の位置をさぐるもので、開講講座としてふさわしい。ルークスは五つの政治国を分類しながら、人権を認める国と認めない国がある背景を考察する。功利主義に依拠する功利国(ユーティリタイア)では、最大幸福を重視する幸福計算がすべてであり、人間に人権というものを認める余地がない。次に伝統と共同体における生活を重視する共同国(コミュニタリア)では、人権という概念が社会的な伝統に反する意味をそなえているために、人権を重視しない。マルクス主義の無産国(プロレタリア)では、階級闘争を重視するために、普遍的で平等な人権というものも無視される。これらの三つの政治哲学では、人権の概念は基本的に不要なのである。

人権がその存在意味をもつ国としてはまず、リベラルな自由国(リバータリア)がある。この国では個人のもつ所有の自由、市場の自由などが重視されるのであり、人権もまた優先される。ただしこの国では既存の社会的な不平等を是正する手段が欠けるという問題がある。次に平等国(イガリタリア)では、すべての人々の平等な権利を認めるために、人権がもっとも確立された国となる。ただし個人のアイデンティティの違いをどう処理するか、経済的な成長と平等の関係はどうなるかなどと困難な問題がでてくるのである。ルークスは「平等主義のプラトー」(p.48)を維持しながら、現代の人権をめぐる問題を解決していくことを唱えるのである。

この講義でルークスが主にアメリカの政治哲学のシーンに依拠しなから、どのような論争を背景にしているかはすぐにわかるだろう。ロールズあり、テイラーあり、マッキナンタイアーあり、センありといったところだ。こうした背後の論争を考えながら読むとおもしろいだろう。

次のロールズの「万民の法」では、無知のヴェールの理論が作られた根拠がはっきりと語られていて、わかりやすい。ロールズアリストテレス以来の正義の理論の伝統を背景に、新しい正義の概念を構築するために、普遍的なものに依拠しない方法を探し求めたのだ。ライプニッツやロックの学説は、「神の権威であったり、神の理性であったり」(p.55)、ともかくある普遍性なものに依拠する。

しかしロールズは「いかなる場合にも権威をもつ普遍的な第一原理」から出発するのでは、対話のうちで相手を説得することのできるリベラルな正義の理論と「万民の法」は作り出せないと考える。そして相手に、「自由かつ平等な市民の代表として当事者にとっての公正な条件とみなしうるもののモデル」を作ることを誘いかける(p.65)。そのためには自分も相手も、社会のうちでどのような地位にあり、どのような財産をもっているかがまったく分からないと想定して、最善のリベラルな社会を作るための条件を考えようとするのである。

この無知のヴェールという表象装置を適用することで、万民が守るべき最低の規定について合意を調達できるとロールズは考える。その最低の規定は7件ほど列挙されているが(p.68)、これはカントの言うように、悪魔でも合意できる条件として提示されているわけだ。現代の国際社会において発生している問題は、この方法で合意された最低規定ではとうていカバーできないものとなっているが、合意の獲得の方法としてはよく理解できるものだろう。

K・マッキノン「戦時の犯罪、平時の犯罪」は、フェミニズムの視点から、人権について考察する。フランス革命の人権宣言において「人間」という語に女性が含意されていなかったことについてはすでに長い研究があるが、マッキノンは人権の概念が考えられるところでは、つねに男性の人権が暗黙のうちに前提されていることを衝く。「人権の原理は経験に基づいていますが、それは女性の経験ではありません」(p.104)。アウシュヴィッツで女性が虐殺されたとき、それは女性としてでなく、ユダヤ人として記録される。女性であるかとどうかは問題の本質にはふれないと考えられるからだ。娼婦の死体が川に浮かぶと、それは女性だから犯罪の対象になったのだと軽視される。娼婦の死が「人間の受難の記録から完全に除外されます」(同)というのは言い過ぎだと思うが、「女性に起こることは、一般化するには特殊すぎるか、特殊とみるには一般的すぎる」(同)という指摘は鋭い。

あとリチャード・ローティの「人権、理性、感情」は、カントの根源悪の概念に依拠して、プラトンの『国家』に登場するトラシュマコスのように、悪そのものを擁護する人間は「怪物的」であるが、他の人間はたんにそれに感染しているだけだという二分論からスタートする。そのため最後は感情教育の重要性という迷路に入り込んでしまう。

それからリオタールの「他者の権利」はすばらしい。沈黙することの重要性について、他者を沈黙させることの犯罪性について、語る能力をもたないインファンスについて、これほどの短い文章のうちで雄弁に語る文章は、リオタールのものとしても久し振りだ。ハーバーマスの対話的理性の理論をリオタールは批判したが、じつはハーバーマスとリオタールは深いところで通うところがあるのではないか。

書誌情報

■人権について : オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ

■ジョン・ロールズ他〔著〕

■スティーヴン・シュート,スーザン・ハーリー編

■中島吉弘,松田まゆみ共訳

みすず書房

■1998.11

■304,6p ; 20cm

■4-622-03667-3

■2900円

掲載講義の一覧

□人権をめぐる五つの寓話 S.ルークス

□万民の法 J.ロールズ

□戦時の犯罪、平時の犯罪 C.マッキノン

□人権、理性、感情 R.ローティ

□他者の権利 J-F.リオタール

自然法の限界と邪悪のパラドック A.ヘラー

□多数決原理と個人の権利 J.エルスター

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