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『体験と経験のフィールドワーク』宮内洋(北大路書房)

体験と経験のフィールドワーク

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 文献史料に乏しく、あっても研究対象を主体的に語っているとは限らない、海域東南アジアの民族史を専門にしているわたしにとって、フィールドワークは文献史料を補うだけでなく、まったく別次元の歴史観を教えてくれる、もうひとつの「史料」収集手法である。しかし、生態系の観察だけでなく、ときには価値観も考え方もまったく違う人びとと真っ正面から向き合うこともあり、それがトラブルの原因になることがある。外国での調査では、その土地の人びとや社会的状況を充分にわきまえている、良き助言者を見つけることが第一の仕事になる。このことを怠ると、フィリピン南部ミンダナオのような紛争地域の調査では、文字通り命取りになる。わたしのように文献史学に逃げる術をもっている者はまだいいが、臨地研究(フィールドワーク)を中心に調査・研究をおこなっている地域研究者は、どのようにしてこの問題に対処しているのだろうか、あまり知らない。すくなくとも、文章になって公表されたものは、あまりお目にかからない。


 著者、宮内洋は臨床発達心理士である。近年、従来の研究分野に「臨床」という文字を加えたものが、目につくようになってきた。臨床医学に加えて、臨床工学、臨床心理学、臨床社会学臨床哲学、臨床人類学、臨床政治学に、臨床経済学と・・・。これらすべてを統合すると、臨床人間学になるという。かつては、「客観的・根源的立場」を基本として、調査対象者と一定の距離をおいて観察するのが、調査方法の主流であった。それが、いまや観察者として参加する参与観察から、「主観的・操作的立場」で積極的に調査対象者のなかに入って、社会の「病根」を治療するための提言をするようになっている。専門知識をいかしての提言は大いに意味があるが、それがうまくいかなったときには調査として取り返しのつかない致命傷になるだけでなく、調査対象者に多大の迷惑をかけることになる。調査がうまくいったとしても、研究者が作為的に結果を導き出したという非難を浴びることも、容易に想像される。「臨床」という新たな学問の試みには、まだまだたくさんの問題があるようだ。


 著者は、その数々の問題にすでにぶつかり、本書でその経験を愚直に語っている。本書は、「私は、三つの異なる修士論文を書くという体験をしている」からはじまる。普通ひとつで、たまにふたつという人は知っているが、三つははじめて聞いた。このことは、フィールドワークの成果が、すんなり論文として発表できない難しい問題を孕んでいることを物語っている。このような「貴重な」体験を最初にした著者は、その後も「社会調査」「フィールドワーク」で、いろいろな疑問に直面する。たとえば、調査対象者を「どのように呼べば良いのだろうか?」「もしフィールドワーカーが、フィールドワークで生じる人間関係において、恋愛の当事者になった場合はどうすればいいのだろうか」などが、第二章と第三章でとりあげられる。第四章では、自ら補助教員として教育活動の一端を担いながら、小型ビデオカメラをまわし、「録音・録画機器を用いた」「幼児同士の「トラブル」に見る説明の妥当性について」考える。繰り返し見ることができるために、通常では気づかないことに気づいてしまったのである。そして、最後の第五章「フィールドワーカーと時間」では、「フィールドワーカーとしての寿命」を考える。その答えとして、著者は「フィールドワークにおいて様々な体験や経験を経ることによって文脈を理解する力を高めながら、一方で、初めてのフィールドワークの際に感じた恐れ、脅威、敬意などの感情を忘れることなく保持し続けることが、フィールドワーカーとしての「寿命」を延ばすことに繋がるように思える」と記している。


 「臨床」という手法をとることは、調査者自身が調査対象の一部になるということである。そうなると、「研究者にプライバシーなどない」という「驚くべき主張」にもなる。著者は、それには賛成しないが、「社会調査やフィールドワーク当時の人間関係の痕跡を、どこかに忍ばせておくことは、読者の読解のためにも必要なのではないだろうか」と述べている。本書を読んでいると、「臨床」手法が、考古学の発掘調査と同じく、二度と同じ状況で調査できない「破壊活動」であると感じた。「臨床」は人間関係であるだけに、考古学の発掘調査よりも怖いとも感じた。


 個々人の関係が重視される時代になって、「臨床」という研究手法が有効になったことはよくわかる。しかし、その危険性も充分に考える必要があるだろう。研究手法の確立のためには、本書のような具体的で、愚直な問いかけが必要だと感じた。失敗を自分だけの秘密にしないで、公表する勇気も必要だ。


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