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『グローカルネットワーク-資源開発のディレンマと開発暴力からの脱却を目指して-』栗田英幸(晃洋書房)

グローカルネットワーク-資源開発のディレンマと開発暴力からの脱却を目指して-

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 「グローカル」という言葉を聞いて、10年以上になる。大学の授業でも、はじめは詳しく説明したものだ。それが、だんだん身近になってきて、学生にも説明しやすくなった。その理由は、グローカルネットワークが、「ローカル、ナショナル、グローバル、それぞれのレベルで相互に補完・強化し合いながら、急速に影響力を強めてき」た結果であることが、本書からよくわかった。


 本書の目的は、「鉱業を事例として、開発主義が「持続可能な開発」制度の奥深くまで食い込み、制度を変質させていることを明らかにした上で、開発主義を克服するための具体的な変化としての新しいグローカルネットワークの可能性と課題について提示しようとするものである」という。しかし、林業資源などのように、鉱物資源が再生できるのだろうか。どのようにして「持続可能な開発」ができるのか、まず疑問に思ってしまった。


 本書の構成は、著者、栗田英幸が「はじめに」で要約してくれているので、わかりやすい。4部からなり、Ⅰ部「分析のフレームワーク」では、「「持続可能な鉱業開発」に関する先行研究を、促進派、否定派の2つの立場からそれぞれ整理した上で、それぞれの分析ツールの問題点を明らかにし、本書で用いる分析ツールについて提示し」ている。Ⅱ部「グローバルネットワークと鉱業制度の変遷」では、「「南」鉱業国の時間差を含んだ同質の鉱業制度の展開過程に注目し、鉱業制度に対する多国籍企業、「南」政府、地域住民3主体間の影響力バランスのグローバルな変遷過程を描き出し」ている。Ⅲ部「フィリピン地域住民を取り巻くグローカルネットワーク」では、「Ⅱ部で描き出したグローバルな影響力バランスの変遷と、ナショナル、ローカルでの制度との連関について論じ」ている。そして、終章のみからなるⅣ部「グローカルネットワークの機能と開発主義克服への課題」では、「これまでの分析から、グローカルネットワークと鉱業制度との関係を描き出し、グローカルな史的変遷の中に現在の状況を位置づける。この作業を通して、「持続可能な開発」制度の問題点および問題を克服する上で必要とされるグローカルネットワークのあり方を提示」している。


 「自然科学(工学)から社会科学」へ転換したという著者は、自然科学者らしい技術面にかんする考察がみられ、人文・社会科学を専門とする研究者にはみられない特徴がある。学際・学融合的研究には、いかに自然科学の基礎知識が必要であるかを具体的に示した好著といえよう。さらに、4つのグローカルネットワーク(メジャー独占、ナショナリズム多国籍企業NGO)と3つの制度(英米法、資源ナショナリズム、「持続可能な鉱業開発」)をバランスよく論じることによって、「開発主義を越えるグローカルネットワークの可能性」を探っている点は、説得力がある。そして、最後に「貧困故の妥協の克服」「社会不安定化の克服」「利害関係からの超越」をあげることによって、今後の課題としている。


 本書の問題としては、人文・社会科学的な基本事項の確認の甘さをあげることができる。『諸蕃志』の「麻逸」はミンダナオ島ではなく一般にミンドロ島に比定されており(書名も間違っている)、フィリピン第一の国民英雄リサールのスペルも間違っている。日比友好通商航海条約の調印は1960年、批准は73年で、条約の名前も年も間違っている。このほか、著者の専門ではないフィリピンの基本的事柄についての間違いが散見される。地名・民族名なども、一般的なカタカナ表記とは違っているものがある。これらは、すべて『フィリピンの事典』(鈴木静夫・早瀬晋三編、同朋舎、1992年)で確認すれば、わかることである。このような明らかで単純な間違いは、本題ではないにもかかわらず、本書全体の不信感に繋がる。フィリピンを専門とする地域研究者からは、評価されないことにもなりかねない。残念だった。また、本書では、表が多用されているが、地図は1枚もない。学際・学融合的研究成果の発表の仕方も、そう簡単ではない。


 ところで、本書で実例としてとりあげられているWMC社のタムパカン・プロジェクトにかんして、わたしは1996年に西オーストラリア州都パースのWMC社で、当地の人類学者らとともに説明を受けている。映像など視聴覚資料での説明は、まだパワーポイントなど知らないときで、プレゼンテーションとはこういう風にするのかと感心したので、よく覚えている。鉱山開発によって、地元住民のバラ色の将来が約束されているような、素晴らしい説明だった。このように、地元住民にも説明しているのだろうと思った。同時に、WMC社には協力する人類学者もいたが、フィリピンのミンダナオ島の実情を知っているのだろうかと疑問に思った。案の定、この計画は、2002年1月にWMC社が撤退を表明したことで終わった。そして、いまWMC社は、買収される話で鉱業界に話題を振りまいている。


 この計画の失敗の第一の原因は、ミンダナオに公平な社会正義がないことだ。本書で示されている通り、ミンダナオでは3G(銃、私兵、金)がまかり通る社会で、富の分配が不公平である。そこにWMC社が目をつけて、3Gでなんとかなるだろうと思ったのだろう。しかし、グローカルネットワークによって、3Gが従来ほど機能しなくなっている。新たな時代に入ったことは、確かなようだ。それはわかったが、それが「持続可能な鉱業開発」とどう具体的につながり、地域の住民が公平な富の分配に預かれるようになるのか、いまひとつわからなかった。


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