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『図書館力をつけよう』近江哲史(日外アソシエーツ)

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 図書館が便利で使いやすくなると、著作権をもっている者にとって、敵になるのか味方になるのか。電車の中で本を読んでいる人を見て、こんな本まで図書館で借りて、「買えよ」と言いたくなることがある。この本を読んで図書館力をつけられると困る、でも最新の図書館事情も知りたい、そんなことを考えながら本書を開いた。


 著者、近江哲史は、略歴によると、「社史・自分史の制作・研究、市民としての図書館利用問題などに関心・関与」とあり、『図書館に行ってくるよ』(日外アソシエーツ、2003年)の著書もある。本書を読むと、「最寄りの図書館に出入りする「初級」から、いろいろな図書館を知り、日々読書にいそしむ「中級」、調べもののため図書館を使いこなす「上級」へ、図書館力をアップし」、やがて「市民の立場で運営に参加、仲間と共に改善提案・実践する「達人」の域に」達することのできる「実践的図書館使いこなし術」が学べるという。しかし、たんなるハウツーものではない。本書の特色は、「中級」にあるだろう。古今東西の図書館、公立図書館から特定の本を集めた私立図書館、内外の小説に登場する図書館まで紹介してある。


 なにか欠けていると思ったら、大学付属図書館がない。今日、国公私立を問わず、市民に開放している大学付属図書館は少なくない。たいていは、登録料(カード作成料)だけで利用できる。とすると、大学付属図書館も、本書でとりあげられた図書館と同じか。ここで考えなければならないのが、司書の問題だろう。本書でも、「一九九九年現在、全国で大学短大を併せて一九四校が司書養成の課程を持っている」「資格を取得した人の数は年間一万人以上に上るが、実際に図書館に就職した人の数は七四校で二一〇人である」「通常、国家資格にはつきものの試験がともなわない」などと、司書のことがほかの本から引用して書いてある。日本では、司書の資格は容易に取得できるが、職に就いている人は少ない。それにたいして、欧米では図書館学の学士号や修士号がないと、図書館員とはよばれないことが多い。たとえば、アメリカではほとんどの図書館員が、図書館情報学などの修士号をもっている。われわれ研究者の専門的な問いにたいしても、手紙やメールで答えてくれるので、ほんとうにありがたい。


 本書でとりあげられたいろいろな問題も、多くは図書館学の専門家がいると解決できるものであって、利用者の「実践的図書館使いこなし術」は必要ない。本書が存在すること自体が、日本の文化的貧困さを証明しているとも言える。本書の副題は、「憩いの場を拡げ、学びを深めるために」である。これが、著者の考える図書館の存在意義だろう。しかし、私立図書館はともかく、公立図書館はこれだけではすまないだろう。社会に基本的情報を提供するという公共性が、もっとも重視されるはずである。とは言っても、公立図書館でも県立図書館と市町村立図書館分室では、その目的も利用者のニーズも違うだろう。大学付属図書館は専門性が問われることになり、一般利用者もそれを心得て利用し、受験生が自習室として使うことは遠慮すべきだ。そのようなそれぞれの公共性、専門性にかかわることができる図書館員を配置しておくことが、まず必要であって、そういう図書館員が本を選択・収集、配架して、はじめて利用者の要求・要望に応える体制を整えることができる。


 そうすると、本書の「初級」「中級」「上級」「達人」は、もっと違ったことになる。たとえば大学付属図書館では、人文科学系の「初級」は差詰めレファレンス・コーナーの存在と自分の専攻分野の図書の配架場所を把握し、利用することだろう。全学共通科目の学習ために利用できるようになることも、忘れてはいけない。「中級」は、自分の大学付属図書館を使いこなし、専門科目のレポートが作成できることだ。「上級」になると、自分の大学付属図書館の長所短所を理解し、他大学の図書館や国会図書館、さらには国内の専門文書館が使えるようになることだろう。この「上級」資格がとれれば、立派な卒業論文が書けるはずである。


 最初に戻って、図書館力は著作権をもつ者にとっての敵か味方かであるが、味方になると考えたい。図書館力を身につけて、読書力と調査力がつけば、さらにそれらの力を高めようとして、本を買うようになるはずである。本がいつも身近にあり、書き込みをしたりすると、理解力がまるで違うことがわかる。そして、本を買うことによって、本にたいする目利きができるようになる。下手な本を買い、読むことは、お金と時間の無駄だからである。その「達人」の領域に達するには、失敗して本を買うという「授業料」も必要となる。


 ところで、専門性が強くなり特定の本となると、それほど多くの読者はいない。大学付属図書館の所蔵図書で、見覚えのある字で書き込みがあったりすると、それまで尊敬していた先生や先輩に大いに失望することになる。図書館の本に書き込みをすることは、マナー以上にその人の人間性を問われることになる。「使いこなし術」以前の問題である。


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