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『戦後60年を問い直す』『世界』編集部編(岩波書店)

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 本書は、1945年12月に創刊された雑誌『世界』が、ともに歩んだ戦後60年を、「改めて「戦後」の原点とは何であったか、私たちは何を目標とし、何を成し遂げ、何を誤ったのか、ここで検証したい」との問題意識のもとに開催したシンポジウム「戦後六〇年 私たちはどう生きてきたか? そしてこれからは?」の記録である。前半は、「政治、安保、国際関係、憲法などを中心に」、後半は「経済、社会、教育、労働などを中心に、基調講演とそれぞれ四名ずつのパネリストの討議」からなっている。


 正直言って、前半はがっかりした。雑誌『世界』が検証する戦後60年であるならば、前半で当然1949年3月号『世界』に掲載された「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」のことが話題になると思っていた。この「声明」は、1948年7月13日にパリのユネスコ本部で発表された「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、八人の社会科学者によつてなされた声明」にたいして、初代『世界』編集長である吉野源三郎が日本の科学者に呼びかけて実現したものだった。まず、この呼びかけに応じた安倍能成大内兵衛仁科芳雄の3名が主唱者となって研究会を組織し、自然科学者を含む当時代表的な科学者50名あまりが参加した。そして、7つの部会に分かれて討議をおこない、清水幾太郎が綱領(草案)を作成し、加筆・修正を経て「声明」の発表に至った。


 この書評ブログ2006年1月17日でとりあげた『ビルマの竪琴』の著者竹山道雄は、「戦争責任」を「戦争指導者の政治的責任」「国民の戦争責任」「戦争批判をしなかった知識人の不作為責任」の3つの層位から構成される、とした。竹山のいう「知識人の不作為責任」という考えから、この「声明」の知識人の「戦後責任」についても問うことができる。この『世界』に掲載された「声明」では、理想的な平和思想が語られるだけで、竹山と同じく戦後の知識人には戦場としたアジア、とくに東南アジアについて具体的なイメージがなかったことがわかる。本書の前半で、わたしが期待したのは、『世界』が世に問うた「戦後責任」についてであった。とくに帝国間の戦争に巻き込まれ、戦場となった東南アジアなどの弱小国・地域の人びとの戦後の生活再建について、考えが及んでいたかどうかである。しかし、そのことにかんするものはなく、「賠償は基本的に国家に対する賠償であり、それは現実には、アジアで当時現存していた寡頭支配・独裁政権への援助」や「日本ではアジアが非常に遠く見える」という指摘に留まっている。「戦争責任」「戦後責任」の問題が今日まで尾を引いているのは、この60年間、なにかが日本の知識人に欠けていたからであり、そのことこそが問われなければならないだろう。それが問えるのが『世界』だと、わたしは勝手に思いこんでいた。だから、前半を読んでがっかりした。


 中国や朝鮮については、数多の専門家がおり、中国や韓国の知識人の声もしばしば聞こえてくる。ここでは、わたしの専門とする東南アジアについて述べたい。まずもって、戦場に行った日本人は、東南アジアの歴史や文化について無知であった。竹山のように、歴史も文化もない野蛮な人食い人種が住んでいるというイメージしかなかっただろう。そんなところを戦場にして、人びとの生活を乱しても罪悪感は乏しい。東南アジアの歴史や文化を尊重する知的基盤がなかったという点では、一般の日本兵も知識人も同じだった。「声明」の作成に参加した科学者のなかには、蝋山政道のようにマニラなどの「戦場」に行った者もいたが、戦後の個々人・社会にたいする戦後責任を考えるには至らなかった。それは、研究対象として現地の人びとや社会を見ていたにすぎなかったためだろう。尊重すべき歴史や文化を創造した人間や社会として見ていないことが、現実の人間・社会不在の国家間の形式的な賠償に留まった原因と考えられないだろうか。


 では、本書から、「声明」の科学者とは違う、今日の科学者の見方が感じられるだろうか。いま必要なのは、東南アジアの臨地研究(フィールドワーク)を通して、歴史と文化を創造した人びとや社会を尊重したうえで、日本とアジアの新たな関係を築くことを考えることだろう。「戦争責任」「戦後責任」を乗り越えるためには、研究対象としてのアジアではなく、ともに生き・交流するためのアジアの人びとや社会の理解が必要である。戦後の知識人には、それがなかった。それができる若手研究者が、現在育ちつつある、と期待したい。


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