書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『<民族起源>の精神史-ブルターニュとフランス近代』原聖(岩波書店)

<民族起源>の精神史-ブルターニュとフランス近代

→紀伊國屋書店で購入



 

 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 本書は、2002年に開催された審議会で、民営化されたフランスを代表するテレビ局TF1のルレー社長がブレイス語(ブルターニュ地方のケルト系の言語)で「前置き」をするところからはじまる。このブレイス語での「前置き」は、「公的な場所でのフランス語の使用を義務づける「トゥーボン法」に抵触する」。1994年に成立したこの法律は、フランスの国民統合の強化と国際語としてのフランス語の地位低下を食い止めるためとされるが、このような法律をもってしても世界的な地方分権化の波は防ぎようがなかったようだ。本書は、そのような時代や社会を背景として、近代の歴史観が通用しなくなった事実を、読者に思い知らしてくれる。


 本書は、「民族起源論がブルターニュの中世にいかにして生まれ、近代から現代へといかにして引き継がれてきたか」を、「知識人たちの精神史として描い」たものである。著者、原聖が当初目指した「「ケルト」概念の脱構築を歴史的に展開する」という「些末な問題」を扱った一地方史から、「ヨーロッパ知識人論」へと発展したのは、近現代史を専門とする著者が「前近代についてまともに論述」したからである。さらに、「日本においてヨーロッパの地方を研究対象」とする強みで、「社会学であれ民族学であれ、また言語学であれ、関係するいろいろな研究領域に踏み込まざるを」えなかったからである。本書を読んで、日本のヨーロッパ史研究者が、「「専門」の歴史家の禁欲さ」のために、狭い専門領域(時代、地域、分野)に束縛されて「些末な問題」ばかり扱って、いつのまにか時代に取り残され、新しい時代の歴史観の必要性に気づかなかったことから、ようやく解放されつつあることを感じた。こういう研究が出てくると、地域や時代を超えて歴史学として、さらに学際的研究として議論できる地場ができてくる。


 著者が、ブルターニュ地方を研究対象として選び、「些末な問題」から解放されることになったのは、偶然ではないだろう。それは、著者がこの地方のもつふたつの利点をつぎのように説明していることからもわかる。「ひとつ目は、地域としてのブルターニュの成立起源がブリテン島にかかわりをもち、英仏両国の民族起源論とリンクしている点である。ただたんに二国にまたがっている、というだけでなく、この二国がヨーロッパの大国であり、近代ヨーロッパの形成に関しても大きな役割を果たしていることも重要だろう」。「ふたつ目は、ブルターニュに関連する民族起源論が、九世紀という古い時代から存在するということである。それは英仏両国の王国(民族)起源史にも関係し、それと同一レベルで論じることができる。周縁的な一地方であるにもかかわらず、古くからの民族的精神史が書き継がれてきた例外的な地域といえる。・・・こうした周縁的地方での長期にわたる民族起源論は、大国の起源史を相対化する意義をもつだろう」。コナン伝説、トロイア伝説、アーサー王伝説、ガリアやケルトといったヨーロッパ世界でなじみのある伝説上の人びとやことば、土地がキーワードとして登場するブルターニュだからこそ、時代や国を超えた拡がりをもつ議論が可能になったのだろう。


 本書から、著者のいう「ヨーロッパ性」というものが、古代ローマの影響やキリスト教社会、王侯・貴族ネットワークだけでなく、共通の伝説や言語があると信じていることにもあることがわかった。そして、ナショナル・ヒストリー(公定史観)から解放されたことが、周縁から見た民族・国家の形成過程を研究することを可能にしたこともわかった。だが、その「ヨーロッパ性」そのものについては、わからなかった。ある地域やある時代だけを研究対象とすれば、その地域や時代が相対化できないから、なにが特殊かがわからないはずだ。ヨーロッパだけを対象にして、なぜ「ヨーロッパ性」ということがいえるのだろうか。日本人にとって、日本民族や日本という国家は自明のものであって、民族や国家が「形成」されるということはよくわからない。ましてや、意図的に「つくっていく」いくという「精神史」は、思考の範囲にないかもしれない。この「ヨーロッパ性」を世界史や歴史学の枠のなかで考えると、もっと奥深い「ヨーロッパ性」が見えてきそうだ。また、日本人に理解しやすいように、日本研究との比較をすれば、「ヨーロッパ性」が違ったかたちで見えてくるかもしれない。日本にも豊かな伝説・伝承の世界がある。


 古い時代の「些末な問題」の「西洋史」から解放されて、新しい時代・社会を念頭においた本書のような歴史の書き直しがおこなわれると、人びとは歴史研究の時代性と社会性に気づくことになるだろう。そして、フランス(ヨーロッパ)の「民族差別の起源」の一端もわかってくるかもしれない。


→紀伊國屋書店で購入