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『豚と真珠湾 幻の八重山共和国』斎藤憐(而立書房)

豚と真珠湾 幻の八重山共和国

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 舞台は、1945年11月の沖縄の石垣港近くの料亭で始まる。登場人物は、「サカナヤー(料理屋)「オモト」の主人」「武部隊。海南新報記者」「小学校教師」「中学校の歴史の教師」「密貿易業者」「台湾人の元暁部隊隊員」「日系二世の兵士・通訳」「戦災孤児」「海人」「予科練あがりの特攻隊員」「警察官」「戦災孤老」などで、これらの人びとの口を通して、沖縄の歴史、沖縄と本土の関係、沖縄本島八重山諸島の関係、八重山諸島の歴史と文化が語られる。多少八重山諸島のことを知っている者なら、よくぞここまで凝縮して語ることができるものだと感心してしまう。しかし、知らない者には、ちんぷんかんぷんの別世界のお話だろう。


 主題の「豚と真珠湾」は、ハワイに移住した沖縄人が、豚を飼う野蛮人だといわれてバカにされたところからきている。副題の「八重山共和国」は、終戦マラリアが蔓延するなか無政府状態に陥った八重山諸島で発足した自治会(1945年12月15日~46年1月24日)の俗称である。


 台詞の端々から、八重山諸島の人びとが、その歴史と文化を背景に、終戦直後をいかに「助け合いながら、自分たちの生きる方向を模索」したかが伝わってくる。その一部を、つぎに抜き出す。

 「この島だけで年寄りが百人も残された。」「戦災孤児じゃなく、戦災孤老か。」

 「台湾に疎開した六千人が基隆埠頭で、引き揚げ船を待っとるさあ。」

 「若い人たちが自治会作ってね。部落から芋を集めて、身寄りのない家に配ってるさ。」

 「俺に人殺しをさせたヤマトの兵隊が、学生に化けてんのか!」

 「もし日本が特攻基地を作らなかったら、石垣島は爆撃されていなかったでしょう。」

 「我々は日本国国民として生きることを望んでいない! 平和に生きてきた琉球民族の国家を再建し、海洋の民として生きることを望む!」

 「沖縄にはたくさんの島があり、別々の方言を喋っています。黒島の小学校を出て石垣の中学に進んだ子どもは、初めて電灯というものを見ますが、石垣の言葉がわからず馬鹿にされました。沖縄本島の県立高校に進むと首里言葉がちんぷんかんぷん。大学のある東京では、地下鉄が走っとった。……町には「朝鮮人琉球人お断り」って張り紙。方言は文化ですが、共通語は文明です。私はウチナーグチの教科書を作ることには反対です。」


 最後の舞台は、1950年9月になっている。著者は、「あとがき」で、「千三百頁を超える講談社の『昭和史全記録』の「沖縄」「琉球」の項には五年の空白がある。敗戦直後に日本の新聞が取り上げたのは、一九四六年六月一日「GHQが、琉球列島の日本の行政権を停止した」という小さな記事だけだ」と書いている。著者は、歴史から消されたその空白を語りたかったのだろう。


 その著者、斎藤憐の略歴は本書に記されていない。劇作家として、あまりにも有名だからだろう。本書では、略歴のかわりに巻末に20冊あまりの著書の広告が載っている。1940年に朝鮮の平壌で生まれた著者は、1980年に「上海バンスキング」で岸田國士戯曲賞を受賞し、その後菊田一夫演劇賞紀伊国屋演劇賞鶴屋南北戯曲賞を受賞している。平壌生まれの影響か、港と港から繋がる外の世界を描いたものが目につく。


 それにしても、「あとがき」の最後の4行は、さらりと読みすごすには、あまりに重い現実を言い表している。「ロケーションを沖縄本島に採らなかったのは、本島はあまりに悲惨すぎ、僕のようなヤマトの人間には贖罪の気持ちが先行し、人々の生活をありのままに描けなくなるからだ。」「それに、サバニ(小船)を操って、この列島に米も豚も芋も運んできた海洋民の楽天性とアナーキズムをぜひ描きたかった。」気持ちよく聞いている沖縄の歌の意味に気づいて、ドキッとすることがある。「楽天性とアナーキズム」に潜む現実を著者は知っているから、この戯曲は書けた。

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