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『在留日本人の比島戦:フィリピン人との心の交流と戦乱』藤原則之(光人社)

在留日本人の比島戦:フィリピン人との心の交流と戦乱

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 光人社はといえば、多くの「戦記もの」を出版してきたことで有名で、かつてこれらの「戦記もの」は書店の1階に大きなスペースを確保していた。その光人社が、終戦50年を機に刊行をはじめたのが、NF文庫である。自費出版の復刻を含め低価格で読むことができることはありがたいが、フィリピンが戦場であってもフィリピン研究に役に立つものはあまりなかった。日本人兵士が、フィリピンについてあまりにも無知であったからである。


 ところが、本書は違う。著者、藤原則之は昭和5年(1930年)にフィリピンに渡航した在留日本人である。在留日本人といっても、皆が皆、フィリピン語を話し、日常的にフィリピン人と交流をもったわけではない。ダバオやマニラの日本人社会に埋没し、現地の人びとのことも社会のこともまったくわかっていない人も少なくなかった。


 著者は、昭和7年から日本人人口の少ない地方で暮らし、「まえがき」冒頭でつぎのように説明している。「私は、昭和五年三月から昭和二十一年十二月まで、フィリピン群島に居住していた。自由移民としてミンダナオ島に渡り、マニラ麻生産に従事していたが、世界的不景気のためルソン島に兄貴を頼って移住し、兄貴の経営していた陶器製造にたずさわり、焼物に必要な薪の切り出し作業を主な仕事として、伐採跡地に陸稲(おかぼ)を栽培し、パパイア、バナナなどを作り、野菜を蒔(ま)き付け、農業者として現地人(タガログ族)と一緒に熱帯の大地に生きてきたのである」。「私はピリピノタガログ語でフィリピン人のこと)が好きである」。


 戦争勃発後の履歴については、つぎのように記されている。「[昭和]17年1月、軍道路隊、長谷川部隊(安藤隊)に通訳要員として勤務。同年7月、軍政監部土木課、ロスバニョス砕石工場に転勤。19年3月、リパ憲兵分隊に勤務。同年9月、黒宮支隊に現役入隊。20年3月、リサール州アンチポロ町において、黒宮支隊玉砕。21年12月、名古屋港に引き揚げる」。


 本書のなかで、フィリピン研究として、もっとも資料的価値があるのは、ガナップにかんする箇所だろう。ガナップとは、1933年に結成されたサクダル党(右派民族主義運動団体)が38年に党名を変更したものである。サクダル党は、即時・絶対・完全独立などを唱え、アメリカ庇護下での独立を嫌い、党首のベニグノ・ラモスは日本に期待して、「亡命」し武器調達を図った。日本軍のフィリピン占領後、日本軍に協力し、形勢が不利になった後も日本軍と行動を共にした、といわれてきた。


 本書では、まず1935年のサクダル党の蜂起について簡単に語られ、45年3月の著者の所属支隊玉砕後に、なんどか避難中のガナップ党員・家族が在留日本人とともに、「特殊部隊と思われる部隊の指揮に従って」行動している様子を記している。そして、犠牲になった具体的な様子も書かれている。

 そのほか、フィリピンで生活する者の視点で書かれた記述には、多くの「戦記もの」とは違う「戦争」が描かれている。カタカナ表記のフィリピン語会話が頻出し、フィリピン語のわかる者はその場の雰囲気が、より具体的にわかる。「戦記もの」を読むのは嫌だという人も、イメージが変わるかもしれない。

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