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『歴史和解と泰緬鉄道-英国人捕虜が描いた収容所の真実』ジャック・チョーカー著、根本尚美訳(朝日新聞出版)

歴史和解と泰緬鉄道-英国人捕虜が描いた収容所の真実

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 正直言って、この手の本はあまり好きではない。まず、主題の「歴史和解」は、いくらがんばっても無理だというのが、わたしの基本的な考えだ。つぎに、副題にある「真実」というものもないのが大前提で、ある一定の見方で「真実」だと思っていること、と理解している。「歴史和解」をしてほしい、そのために「真実」を伝えたいという新聞社系の出版社の本らしいタイトルだ。


 日本兵の目を盗んで描き、大切に隠しもっていた記録画は、どこかで見たことがあると思っていたが、「訳者あとがき」でカンチャナブリの泰緬鉄道博物館にあると知って、思い出した。この博物館はイギリス人が中心となって建てたもので、泰緬鉄道にかんする博物館は、このほかにオーストラリア人、タイの僧院、タイの財閥が建てたものがある。それぞれが、泰緬鉄道の「真実」を伝えている。


 イギリス人捕虜が描いた収容所の「真実」から、歴史和解は可能なのか? それは、だれのための、なんのための和解なのか、読む前に疑問をもたざるをえなかった。そして、本書を読み始めて、わたしの危惧は的中した。「家族が精妙で美しい日本の芸術に興味」をもち、自身「日本人の芸術分野での業績に、大いなる喜びと称賛の念を抱き続け」ていた著者が、「戦争に投げ込まれ、やがて日本軍の捕虜となり、日本人の残虐行為を目撃し、自分も残虐に扱われ、むごい目に遭わされ、友人たちが殺害されるのを見るようになり」、日本に裏切られたと思うようになった。その最初がシンガポールでの体験で、その記述から「和解」を感じることはできなかった。


 王立美術学校絵画学部を卒業した著者が描いた本書収載の100点超のカラー画を見ていると、日本兵の残虐性と捕虜の悲惨さがよく伝わってくる。と同時に、風景画からは戦争をまったく感じさせないのどかなタイの様子が伝わってくる。当時、タイ人が戦争とは無縁の日常生活を送っていたような錯覚に陥ってしまう。


 このわたしの違和感を、ビルマ史研究者の根本敬が、「鼎談 泰緬鉄道とアジア」でつぎのように代弁してくれている。「泰緬鉄道をめぐる和解ということになれば、一番の基本は泰緬鉄道の舞台となったビルマやタイ、それからもちろんマラヤ、シンガポールが、それぞれ単なる「風景」ではなくて、そこに人がいて、タイを除けばそこが列強の植民地だったこと、そこに日本軍が入っていったこと、そこに人が住み、その人たちがどうなったのかということを考えないといけないと思うのです。泰緬鉄道をめぐって、いくら日本とイギリスの関係者だけが和解に努力しても、実は大事なものを忘れてしまっているのではないかと私には感じられます」。


 同じような「和解」の試みは、ボルネオを戦場とした映画「最後の弾丸」(1994年)でも描かれていた。玉置浩二演じる日本兵とオーストラリア人歌手ドノバン演じるオーストラリア兵が、戦後年老いて再会して「友情」を暖めあっていた。しかし、戦場となったボルネオの住民は、無邪気な乙女がちょこっと出てくるだけである。


 「歴史学習の場で和解を考える」ことの難しさは、「鼎談」でも語られている「ショッキングな話や写真というのは諸刃(もろは)の剣」というだけでなく、帝国史観で戦争を語ることにもなってしまう危険性がある。日本人の戦争にたいする無知にかんしての逸話は、数えあげたらきりがないが、知ろうとしたときに、どのように学べばいいのか、歴史教育として重要な課題といえる。本書の日本語への翻訳は、「解説」と「鼎談」があってはじめて、意義があるものになったということができるだろう。ということは、原典の英語版が、この「手記」だけであるなら、問題としなければならない。


 冒頭で述べたとおり、「歴史和解」は無理だと思っている。しかし、「歴史和解」を試みることに異を唱えているわけではない。「歴史和解」を試みた結果、無理だということを知ることによって、戦争を起こすことが取り返しのつかないことだと認識できるようになる。「歴史和解のために、今できること」のひとつが、本書を読んで考えることである。

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