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『東大英単』東京大学教養学部英語部会(東京大学出版会)

東大英単

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「受験生のみなさまへ」

 ほほ~。いいんですかねえ、こんな本を東大の先生が出しちゃって?


という声が聞こえてきそうな本である。実際、冒頭はふるっている。すなわち、

これは受験参考書ではありません。

いやいや、そんなこと言ったって、このタイトルはどう見ても受験生向けでしょ。それに、この冒頭の一言からして、意識してることがバレバレじゃないですか?そんな断り書きするくらいなら、タイトルを変えればいいのに~。やだなあ、先生、商売うまいねえ!

なんて。

 しかし、冒頭の言葉は嘘ではない。人気イラストレーターによる「にゃん猫」の挿し絵だけ見るとターゲットは女子高生か!?とも見えるが、内容は受験生用の単語集にしてはちょっと高級。語の定義は英英辞典風に英語のみだし、例文もレベルは高い。対象は高校生や浪人生というより、大学生以上だろう。練習問題つきで、教科書として使われることも想定しているようだ。でも、それでは受験生には早すぎるか、というとそんなことはない。単語そのものは受験までに知っておいていいものばかり。というか、日本の教育状況では、受験で覚え損ねた英単語は、その後十年くらいは覚えない可能性があるので、是非学んでおくべき単語ばかりと言ってもいい。もちろん、大学生、社会人なら、なおさらである。

 それにしてもこの本、つくる側はそれなりの覚悟が必要だったろうなと思う。単語に焦点をあてた英語学習本というのは、なかなか地味だ。渋好み。しかも「たった280語」に絞っているという。でも、何やら趣向がほの見えるのもそのあたりだ。たった280語と言われると、「ほほ~」という気になる。

 そこで当然、じゃ、いったいどんな単語をお選びですかね?と訊きたくなる。そこまで絞るからには、それなりに選りすぐりの単語なんでしょうねえ?と。で、ざっと単語を見渡した筆者の印象は、「むむ」である。予想とはちょっと違った。

 280語で一冊にするんだから、よほど厳選されているはず。それも英語の芯を射抜くような単語ばかりのはず。ということで、筆者が想像したのは動詞や副詞、前置詞を主に集めた、いわゆる用法中心の単語集だった。英語を読んだり書いたりしているときにつくづく感じるのは、何より難しいのが動詞や動詞句周辺の扱いだということだ。動詞は英語文章のいわば心臓部。血流や呼吸も、動詞の立て方で決まってくる。読むときにもその辺のドクドクいう感じに乗っていけないとリズムはとれないし、書くときだって(そして、しゃべるときも)動詞部がなめらかに出てこないと、セロテープでつぎはぎしたみたいな英語になる。動詞部分になじむということは、すなわち構文全体への目配りが自然と効いてくるということだろう。

 ところがこの単語集、実に名詞が多いのである。これはいったいどういうことなんでしょう? civilization, context, framework, investment, condition, circumstance, symbol, ideology...たしかに重要な単語には違いないのだが、こういう単語は言ってみれば覚えればすむもの。日本語訳をつけておしまいにしていい単語もある。もっと言えば、名詞というのは、頭でわかればすむものではないか? 英語で本当に難しいのは、頭でわからない部分、つまり身体で感ずるかのようにして習得するしかない部分ではないか。そういうのは動詞句のあたりに集中しているのではないか。二八〇語に「厳選」した以上、そういう所に的をしぼって解説してもらえるのかと思っていましたよ~!というのが筆者の第一印象。

 しかし、ちがうのだ。この本はそのあたりは、実に柔軟である。見出しに立てた語が名詞であっても、その派生語はもちろん、単語の周囲にうまく網が広がって、ひとつの語から芋蔓式に、しかし、あくまで簡潔に解説がつながっていく。たとえばstressという語の説明は次のような具合。

「ストレスが大きい」などと言うときの「ストレス」は、英語のstressをそのまま用いたものであるが、日本で日常語として用いられる「ストレス」がもっぱら心理的な圧迫や緊張を意味するのに対して、英語のstressはこのような人間の精神にかかる圧力の他に、物質にかかる物理的な圧力も意味として含んでいる。また動詞として用いられた場合には、「強調する」という意味になり、emphasizeと同じである。put(lay, place, etc) stress on...(…を強調する)、under the stress of ...(…の圧力を受けて、…に駆られて)などの熟語がよく用いられる。

こうした説明なら当然、stressという名詞だけでなく、その周辺にある動詞的環境にも目がいくだろう。用法にもつながる。それに「主語と動詞の相性」とか「証拠の確実性」(suggest, prove, indicate, demonstrateなどの使い分けのこと)といった、いかにも英語を書いているときに引っかかりそうな動詞的な問題については、しっかり「コラム」でとりあげている。

 いや、それだけではない。先ほど筆者は、名詞などというものは頭でわかればすむものではないか、と言ったが、実はこの本に名詞が多いのはまさにそのためでもある。これは英語の学び方の根幹とも関わる問題である。近年の英語教育はどうしても天気予報のリスニングだの、パーティでの自己紹介だのといった、実際の状況に応じた「反応英語」のようなものが中心となっていて、ほとんど体育の授業なんじゃないか、と思ってしまうような、頭を使わないトレーニングが主流となっている。「スキル」skillのような言葉がやたらと使われるのもそのためだろう。英語をしゃべるためにそういうトレーニングが欠かせないのは確かなのだが、その副作用として、あまりに頭がからっぽの英語が横行していることは間違いはない。いくら血流がよくなっても、栄養分がとりこまれなければ話にならない。

 この本に名詞が多いのは、そういう状況に対するメッセージがこめられているからなのである。英語という科目は体育とは違います、楽しく頭を使うための科目なんですよ、と。もっと栄養分をとりこみましょうよ、と。たとえばこの本にはroleという語が入っている。たった280語しかないのにroleですかあ?と言いたくなるかもしれないが、その解説は次のようになっている。

かつてシェイクスピアの時代に、芝居をする際に役者に配られたのは台本ではなく、その役者の分の台詞を書き抜いた巻紙(roll)だった。このrollからroleという言葉が生まれた(発音は同じ)。「役」「役割」の意。play a roleはplay a partと同義。

いつもでなくていいが、ときにはこういう解説があるのはとてもいい。わざわざ英語をやるなら、そうか、もっと勉強しようぜ、と思う気になる方がいいに決まっている。頭を使って勉強するには、その手続きを踏むための語も必要となるが(本書で言えばcontroversy, fundamental, hypothesis, strategy, debate...など)、何より覚えたての単語を出発点に、概念やその歴史に切れこんでいくのが楽しいのだ。本書では、たとえばsignificanceの項ではソシュールの言語論がちらっと出てくるし、essentialの項ではサルトル実存主義に、implicationではヴィトゲンシュタインに話題が及んだりする。principleやpolicyについての解説もなるほどと思ったし、transcendについてのコメントも良い。

類語として、surpass, excel, outdo, outshine, rise aboveなどがあるが、これらの語が一般的には能力や業績、あるいは美しさなどの属性に関して使われるのに対して、transcendは通常の経験や意識の範囲を超えるという意味で、哲学や神学に関する文章によく出てくる。なお、out-は上記のoutdo、outshineのように「…を超える、凌ぐ」という意味合いの多くの複合語を形成するが、この他にもoutlive、outlast(…より長生きする)などがある。さらに固有名詞と結びついた興味深い表現として、シェイクスピアの『ハムレット』に由来するout-Herod Herod(残忍さにおいてヘロデ王を凌ぐ)という成句はよく知られているが、同様にout-Lincolned Lincoln(リンカーン以上にリンカーンのようだった)といった言い方もできる。

transcendは哲学や神学に関する文章によく出てくる」なんて話、昔なら授業中に先生が雑談として話し、さらにエマソンとか何とか言ってくれたものだが、今みたいに機器を使用する授業が増えてくると、そういうヒマはない。elementaryの解説に次のような一節があったりするのも、ヒマがあればこそ。

なお、友人などから「君、すごいね」と言われて、"Elementary, my dear Watson."(そんなのは初歩だよ、ワトソン君)と返す、というパターンがある。

 先にもふれた全部で14ある見開きコラムは、こうした雑談的な隙間を思い切り広げてみせる試みである。語彙や用法をまとめたものを中心にしつつ、英語の歴史、翻訳の原理などにも話題は及ぶ。ただ、どのコラムも目のつけ所は洒落ているのだが、ときどき読んでいてノリが悪いというのか、かえって単語ごとの解説の方が凝縮していて歯切れがよかったなと思わないでもなかった(全部ではないけど)。「よし、じゃあ、ご説明しよう」とくつろいで長話モードになったときに、英語・日本語混在の文章というのは、うまい読み物になりにくい。ちょっと冗長だったり、内容的にあちこちいきすぎて、悪い意味でアカデミックモードになってしまったり。流れがつくりにくいのかもしれないが、そこを何とか、こういうところで、するっとすぱっと読めるようなコラムだったらもっとよかったのになあと思った次第である。(分量を縮めるのも手か?)

 いやあ、これから東大入試をつくる人はこの本を意識しちゃってたいへんでしょうねえ、なんてよけいな心配はしないでおこう。もっとポジティブに行くべし。こういう本、いっそ大学から受験生へのメッセージととらえるべきなのだ。ここに満載した知への入り口を知的におもしろがれないようなあなた、大学入ってもいいことないかもしれないですよ? 「アカデミック難民」になるだけかもよ?というような。

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