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『東アジア資本主義史論Ⅰ 形成・構造・展開』堀和生(ミネルヴァ書房)

東アジア資本主義史論Ⅰ 形成・構造・展開

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 2008年6月17日のこの「書評空間」で、先に出版された『東アジア資本主義史論Ⅱ 構造と特質』をとりあげ、「本書の「総論」の「提起」以上の評価については、この単著[Ⅰ]の発行を待たねばならない。そこで、地域研究者の社会経済史とは違った「生産、貿易、消費の展開過程と現状」がみえてくるかどうか、期待したい」と結んだ。わたしの期待にはこたえてもらえなかったが、「学界の通説「アジア間貿易論」の歪みを正し、戦後の東アジア台頭を新しい視点から照射する」試みは、充分説得力をもって伝わってきた。


 その成功の基本は、貿易統計の整理にある。著者、堀和生は「あとがき」でつぎのように述べている。「本書の資料はほとんどが貿易統計であり、入手自体はそれほど困難ではない。であるから、研究作業の大部分はデータのコンピュータ入力と、入力ミスのチェック、誤植探しに充てられた。経済史研究者が誰でも使う『日本貿易精覧』のデータを全部入力してみると、価額のみで誤植が500以上もあり、数量の誤植数は計り知れないことがわかった。この『精覧』は品目データが国別データとクロスしないことがわかり、結局使うことができなかった。他方、『日本外国貿易年表』は1882-1943年間の国別と商品別の全集計においてわずか1銭1厘のずれもなく、その正確さに驚愕した。このことから貿易統計の魅力にとりつかれて、しだいに朝鮮、台湾、満洲の貿易統計の整理に没頭するようになった」。先行研究の成果に振り回されることなく、データ整理という地道な作業を通じて、自分自身の基本データをもったことが、著者の最大の強みになったことだろう。そして、なにより使い物にならなかったデータを含め、作業を行いながら、頭のなかで試行錯誤を繰り返したことが、著者の財産になったことだろう。


 本書の課題は、「序章」冒頭で以下のように明確に述べられている。「本書の課題は、東アジアにおける資本主義の成立発展の過程を、長い時間的スパンのなかで歴史的に解明してゆくことである。すなわち、まず19世紀末から第二次大戦にかけて、日本に勃興した資本主義は、一方で東アジアにおいては中国の国民経済形成と対抗しつつ非常に閉鎖的な帝国圏を膨張させていくとともに、他方で世界市場に対して工業製品を輸出することによって特異な発展を遂げた。このようにして、1930年代東アジア地域には日本を中心として一つの個性をもった東アジア資本主義が成立することになった。さらに、第二次大戦後から1950年にかけての日本帝国の解体と植民地の独立、社会主義の成立と東西冷戦の展開、等のドラスチックな政治構造の転換によって、戦前期に成立していた東アジア資本主義は大きな影響を受けた。しかしながら、それでもなお戦前期に成立していた非対称的な資本主義的分業関係の本質は強固に存続し続けたのみでなく、戦後的な条件によって1960年代以降に再編成されて新しい東アジア資本主義として再登場した。そして、この東アジア資本主義の発展こそが、戦後東アジア地域の経済台頭をもたらしたのであった。本書はこの長期にわたる東アジア資本主義の形成と発展について、経済史学の手法で解明しようとするものである」。


 本書の課題は、いまや近代アジアの国際経済関係に関する通説となっている杉原薫の「アジア間貿易」論への疑問から出発している。著者は、この学説をつぎのように理解し、要約している。「1980年代半ばに登場したこの学説は、本書が対象とする東アジアにとどまらず、東南アジアや南アジアまで含んだ広範なアジア地域について、その長期的な経済発展を「アジア間貿易」の形成と発展という枠組みで捉える。その要点は次のようである。まず、ウエスタンインパクト、とりわけアジアの対欧米一次産品輸出が起点となって、アジア内に必需物資の広域交易の連鎖が急速に形成されていく。この「アジア間貿易」と名付けた貿易環節の束の高い成長率こそが、ラテンアメリカやアフリカでは見られないアジアの特徴であったとする。そしてこの「アジア間貿易」のなかで、綿業基軸の工業化型貿易が生まれ、さらにアジアの工業化が推し進められたと結論している。雄大な構想を持つこの学説は、折からのアジアブームとあいまって広く受け入れられ、現在では近代アジアの国際関係に関する通説的な位置を占めている」。しかし、著者は「この杉原の提案は、戦後歴史研究が積み重ねてきた成果をまったく無視した側面が多々あるといわざるを得ない」とし、「長期にわたる各地の貿易統計の分析を通じて、東アジアにおける資本主義の形成と発展の過程を解明」し、「アジア間貿易」論に対置する見解を、本書を通じて主張している。


 本書は、「序章 課題と方法」、3部11章と「結論」からなり、それぞれの部の冒頭で課題を明確にし、各部の終わりで「まとめ」をしている。各章においても、「はじめに」と「おわりに」で課題と成果をわかりやすくしている。「本書は、誰よりも杉原氏に書評していただきたいと願っている」と、著者が「あとがき」に書いているように、杉原氏が書評しやすいように、構成し書いたということができるかもしれない。杉原氏だけでなく、「アジア間貿易」論を絶賛した研究者の書評も読んでみたい。


 本書の結論は、「結論」を読むまでもなく「序章」でだいたいのことは書いてあるが、著者はつぎのように締めくくっている。「19世紀末以来100年以上にわたる複雑でダイナミックな過程をへているのであり、それらの多様性を組み込んだ包括的な概念がどうしても必要である。これが東アジア資本主義という新たな歴史概念を提起する所以である」。


 本書の結論は明確だが、気になることが「はしがき」に書いてある。「かつて筆者が学会において本書の一部を発表した時に、韓国の著名な経済史研究者から、このような反動勢力に利用されるような研究は断じて許すことができない、と面罵されたことがあった。その時には、自分の研究の未熟さを残念に思い、さらに実証を深め説得力のある理論を構築しなければならないと痛感した」。正当な学問的成果であっても、日本が植民地にしたり、戦争に巻き込み占領したりした地域の人びとに不愉快な思いをさせ、「反動勢力」に変に利用されることがある。著者がいうように「さらに実証を深め説得力のある理論を構築しなければならない」以外に、われわれ研究者にはすることがないように思うのだが、それでも不安は消えない。東アジアや東南アジアの近現代史を研究する者にとって、微妙な問題がまだまだたくさん残されている。


 本書で明らかになった結論から、新たな研究課題がたくさん浮かびあがってくることだろう。そのひとつが、日本の経済界の帝国化である。著者のいうように、戦前の東アジア資本主義が日本帝国のもとで帝国内分業のうえに成立していたのであれば、その膨張性が日中戦争を泥沼化させ、「大東亜共栄圏」構想へと発展させていったと考えることができる。このことは、「大東亜戦争」勃発後の占領地において、日本の企業が積極的に軍からの受命を期待したことと結びつく。さらに、戦後は戦争責任を逃れることによって、再び日本企業主導の東アジア資本主義を復活させた。著者のいう「戦前と戦後を通じた長期にわたる経済発展をトータルに把握」するためには、戦中と敗戦直後の日本の企業の動向を追う必要があるだろう。


 「アジア間貿易」論が発表されて以降、それを前提とした個別研究が発展したように、本書によって提示された「新しい歴史像」に基づいた個別研究によって、東アジア近現代経済史研究は新たな段階に入ることだろう。そのとき、消費まで視野に入れた社会経済史研究も発展することを期待したい。


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