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『「出会う」ということ』竹内敏晴(藤原書店)

「出会う」ということ

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「<劇評家の作業日誌>(49)」

竹内敏晴さんが亡くなった(9月7日)。享年84歳だった。


 演出家であり、教育者としても大きな足跡を残した彼は、死後、一冊の本を残した。それが「出会い」をテーマにしたこの本で、文字通り遺著となった。

 1975年に初めての著書『ことばが劈(ひら)かれるとき』(思想の科学社、後にちくま文庫)を刊行して以来、竹内が出した本は十数冊に及ぶ。からだを解きほぐすレッスンを考案し、多くの受講生たちと一緒にワークショップを積み重ねながら、思考を深めていった。それが次々と刊行される本につながった。

 障害を持った子供たちのからだを診、不登校に陥った少年たちと対話を重ね、差別や偏見にさらされた定時制の高校生たちと演劇を通じて生きることの意味を探る。さらに晩年近くに開始された新しくもがくような生活。その集大成ともいうべき思考の痕跡が、この一冊に結実した。

 本書のキーワードである「出会い」とは何だろうか。

 

「出会い」ということの本質的な部分は実は、話し合って何かがわかるというよりも以前に……からだとからだ、或いは、存在と存在が響き合うような次元のことで、言い換えれば「言語以前のからだ」の次元でおこっている、(マルティン・)ブーバーの言い方に従えば「全存在の集中と融合」においておこることではないだろうか……(44頁)
 

竹内は、「からだ」という言葉を好んで使う。それは物質的な肉体と言葉が合わさって「からだ」と言っているのであり、両者を二元論的な対立と考えていない。コミュニケーションの根幹をなすのが「からだ」であり、ほんらい言葉と身体は不即不離なのである。

 

わたしにとって生涯最大に転機の一つ、「ことばが劈かれたとき」……劈かれたのは、今気がついてみれば、「ことば」=「声」ではなかった。外の風に吹きさらされて立ったのは、「からだ」、声を、叫びを発出する基盤、ことばを生み出す源のからだである(84頁)

 竹内の探し当てた鉱脈は、70年代半ば以降の「身体論」ブームを引き起こした。野口三千三の『原初生命体としての人間』(三笠書房)や市川浩の『精神としての身体』(勁草書房)と並んで、当時の演劇界にもっとも大きな刺激を与えたのが『ことばが劈かれるとき』だった。 

 竹内の本は実に平明な言葉で書かれている。一つ一つの課題を自分に向かって確認していくように思考を進めていくからだ。その言葉は内に向かうとともに、他人に向かって語りかけているように思われる。子供の頃、耳の障がいに悩まされ、青年期に言葉をようやく喋れるようになった経験が大きくものを言っていると彼は幾度も述べている。メルロ=ポンティの『知覚の現象学』や『眼と精神』、あるいはイヴァン・イリイチの『生きる思想』といった難解な書物も、彼は自分のことばで読み解き、読者に噛み砕いて手渡してくれる。それが他に比類なき「身体論」を構築した。

 メルロ=ポンティは、言葉を二つの段階にわけている。情報伝達のための言語と今まさに出てくる「なま」のことば、後者が第一言語なら前者は第二次言語となる。これを踏えて竹内は

うまくことばにならない身悶えや呻き声や叫びなどを第0次言語 (15頁)
と呼び、発語されるされる手前のことばもふくめて言葉と考える。それらは身体に帰属する。そこから彼にとって「ことば」が劈かれるとは、「からだ」が劈かれることなのだ。

 しかしことばは他者に対して

「ひらかれる」だけではなく、「自分を防衛するために周りに壁を作り出すのがことばである」(47頁)
とも言っている。そこから生まれることばの「嘘」と闘うこと、それもまた彼が生涯追求していたことでもある。

 では竹内が終生こだわった演劇における「出会い」とは何だったろうか。

 

劇場を出たときに、世界がなにか今までと違って見える、見知らぬものとして立ち現れる。そのようなことにならなければ、舞台を見てもらう意味がない。世界を一つ通過したときに存在が変貌する、それが舞台。出会いとは相手を理解するということではない。その人に驚かされる、驚かされたとたんに裸になっている。相手の前に見知らぬ自分が立っているという、むしろ相手に突破されてしまう。そういうことが出会いということだろうと思う(218~9頁)

 人に出会うことで、ひとは武装解除される。自分を覆っていた鎧が脱げ、自分をよく見せようとする卑しさが無化される。

 観客という他者は、竹内が考える「出会い」のもっとも具体的な相手である。しかも舞台という虚構性のなかでこそ、人は生き生きと生きてみせることが可能なのだ。

 

わたしにとって生きているとは、この非現実感の上に漂い、これに抗ってもがいていることだった (97頁)

 だとすれば、舞台で演じるとは、現実と一線を画すことで現実を対象化し、虚構の舞台だからこそ、嘘を演劇上のウソとして料理し、その瞬間を戯れ楽しむこと、それが「いま・この時」を「からだで生きる」ということではないか。

 この本はこれまでの著作と一線を画している。それは「生きる」ことへ実践的に一歩踏み出した感があることだ。「虚無感が消えた」という章では、1945年8月15日の体験が記されている。これまで信じてきた価値観が一挙に崩れ、実感のない、非現実の世界に放り出された経験が語られる。戦争を信じこまされ、動員されていった多くの若者たち。

だが敗戦後もまた同様の欺瞞が国中を覆う。

テンノウヘイカバンザイに代わるマッカーサーバンザイ、アメリカ万歳、として目の前を通りすぎてゆく (99頁)

戦後民主主義社会。この虚無感から脱出するには、やはり「からだ」の発見なくしてはありえなかった。

 その際、判断の基準は「嫌なことをしない」という原則である。これを彼は

「マイナス型の自我」(208頁)
と名付けている。さらに次の段階をゼロ地点に立つことと捉え、「裸になること」を求めている。

 その先で行き着いた言葉が「祝祭」である。

レッスンにおいてより深く生き生きと交わり裸になってゆくことをめざす (146頁)

 「からだ」の発見から自己を取り戻すこと、しかしそれは決して個人のレベルで成し遂げられるものではない。必ず他人という集団を必要とする。それが演劇という表現方法に結びつく理由がある。

 竹内は毎年「8月の祝祭」というイベントを行なってきたのも、そこに根拠がある。

 

彼は今年の8月29日、武蔵野芸能劇場で、『からだ2009オープンレッスン 八月の祝祭』を上演した。テーマは戦後を引き裂いてきた「戦後民主主義」を問うものだったという。車椅子に乗りながら演出した竹内は、この舞台に最後のエネルギーを投入し、燃焼し尽くした。その9日後、彼は世を去った。


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