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『川辺川ダムはいらない-「宝」を守る公共事業へ』高橋ユリカ(岩波書店)

川辺川ダムはいらない-「宝」を守る公共事業へ

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 ものごころついたときから川べりを歩き、泳いだり、釣りをしたりした川は、もうない。瞼を閉じれば、川面は浮かび、石の形まではっきりと思い出される。1957年に、突如、新聞報道でダム計画を知らされ、37年余の反対運動は95年に「終わった」。ダムは2005年に完成し、500戸近くが移転を余儀なくされた町の人口は700余世帯、2000人余まで減少し、町村合併で町の名は消えた。人生の大半を反対運動に捧げた人びとのほとんどは、解体されたわが家を地中に埋められ、町内に残ることなく散り散りになって、見知らぬ土地でさみしく人生を終えようとしている。


 この水没地区には、尺鮎もいなければ、急流下りもない。全国的に知られた子守歌もない。人びとは自分の食べる米を自分で作り、味噌も醤油も自家製で、四季折々に川で漁をし、すこしでも時間があれば山に入った。造り酒屋もあった。コンニャクをつくる者もいれば、ミツマタを栽培する者もいた。そこには、たしかに「ふるさと」があった。その「ふるさと」を、納得のいかない理由で失った。建設省や県の説明を聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、合点がいかなかった。やれることは、なんでもした。活動家がやってきて、「なにをしてあげましょうか?」と「親切に」言ってきたこともあった。やがて訳のわからぬ住民を離反させる工作がおこなわれ、ひとの和も失った。


 本書に書かれている以上のことが、全国各地で巨大公共事業の名の下に、おこなわれてきた。わたしは、母の実家で、その様子をずっと見聞きしてきた。そして、ダム建設がたんに「ふるさと」を失った以上に、深刻な問題であることに気づいた。本書の著者、高橋ユリカも、そのことに気づき、「エピローグ」でつぎのように書いている。「地方への富の分配手段であった必要な土木公共事業が、その役割を終えても、政策転換できず、自然を壊し続けた十数年だった。宝を壊す莫大な公共投資は、生産性に結びつかないゆえに明らかに日本経済失速の原因にもなり、ことに地方に暮らす人々から幸福感を奪っている。土木公共事業については、地方自治体にも中央と同じ構造的課題があり一筋縄ではいかない」。


 問題は、日本にとどまらない。世界銀行や日本のODA(政府開発援助)は、世界各地でダムを造ってきた。無駄な公共事業が世界に「輸出」されるだけでなく、世界の自然や環境問題にも悪影響を及ぼす虞れがある。すべての公共事業が悪いわけではない。助かった人もたくさんいる。しかし、時代や社会によっては、住民にも、国にも地球にも必要のないものがある。巨視的な眼でみることが必要な時代になった。だから、外国の日本研究者も黙ってはいない。日本の公共事業の論理が世界中に広まり、自分たちの生活を脅かすかもしれないから。


 本書の内容については、カバー見返しに、つぎのように要領よくまとめられている。「二〇〇八年九月に発表された蒲島郁夫熊本県知事による劇的な「川辺川ダム計画白紙撤回」宣言。しかしここに至まで、四二年前に国が決めた、無駄な公共事業の象徴ともいわれる巨大ダム計画に住民たちは翻弄され続けた。人々が川を財産として生業としてきた漁業や観光を立ち行かなくさせ、ときに生命と生活すら脅かす巨大ダム。受益者である洪水体験者も農家もいらないといったダム計画にあくまで固執したのは、国交省農水省だった。清流の流れる故郷を未来に残すため、誇りをかけて闘った多くの人々に長年にわたって寄り添い、その声を伝えながら、地域を再生させるこれからの公共事業のあり方をさぐる渾身のルポルタージュ」。


 政権が民主党に移り、早速八ツ場ダム問題がとりあげられた。事業仕分けでも、ほかの公共事業にメスが入れられた。ひとつ気になるのは、「はじめに結論ありき」で、一方的に説明されることだ。八ツ場ダムもはじめから中止が前提であり、事業仕分けも廃止・削減が前提のようだ。そもそも採算性や効率性が悪くても、しなければならないことをするのが税金ですることで、それをいいことに必要もないものに多額の税金を使ってきたことが問題で事業仕分けをする必要がでてきたのだから、調査すればどの公共事業も採算性や効率性が悪いはずだ。大所高所に立って、判断するだけの力量があるかどうかが、民主党に問われている。「はじめに結論ありき」で一方的に決定し、状況が変わっても力ずくで押し通そうとするのであれば、旧自由民主党政権と同じことをしていることになり、民意は離れていくだろう。官僚に訊くのではなく、受益者に訊くことも必要である。官僚いじめで英雄に見える「仕分け人」も、受益者が相手だと「弱い者いじめ」に見えるかもしれない。

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