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『フィリピン関係文献目録(戦前・戦中、「戦記もの」)』早瀬晋三(龍溪書舎)

フィリピン関係文献目録(戦前・戦中、「戦記もの」)

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 研究分野の発展には、専門研究書・論文だけでなく、研究・教育工具の充実も必要である。歴史学のような基礎研究では、とくに重要な意味をもつ。研究・教育工具が充実している分野は、研究をはじめやすく、研究者の数も多い。そして、研究・教育工具をつくるときは、多くの研究者の協力を得てつくられる。しかし、近現代フィリピン・日本関係史のような分野では、研究者はほとんどおらず、本文献目録の編集にあたってもひとりでせざるをえなかった。それだけに、国会図書館に勤めていた吉久明宏さんには、多くのことを教えられ、勇気づけられた。感謝の言葉もない。


 本文献目録は、目録を作成することを目的とした成果ではない。近現代フィリピン・日本関係史では、近代文献史学の手法が有効な制度史のような研究はできない。市井の人びとの言動に耳目を傾け、断片的な文献や口述史料に頼らざるをえないが、なかなか自信がもって論文を書くことができなかった。そこではじめた作業が、資料や刊行物を丸ごと理解することだった。フィリピン行き渡航者名簿、日米比貿易統計、「領事報告」、月刊誌『比律賓情報』の記事などから、データを整理したり、目録や索引をつくったりして、研究・教育工具、さらに大学の授業で教科書として使えるものを出版してきた。すべて、単編著でさみしいが、これらの研究・教育工具を利用して、卒業論文を書いている学生がいると聞くとうれしくなる。


 本文献目録の前半は、戦前・戦中に日本で発行されたフィリピン関係図書の目録である。30年間以上にわたって収集した成果であるが、とくに旧高等商業学校の所蔵図書を求めて全国を歩いた。小樽商科大学山口大学大分大学などで、収穫は多かった。雑誌記事とページ数ではほとんど変わらないパンフレット類が整理されて並んでいる書棚を見たとき、思わず図書館員の人たちに手を合わせたくなった。いっぽうで、無造作に段ボール箱に詰め込まれているだけのものもあった。ひとりで目録を作成したようなことを書いたが、これらの地道に図書を整理している人たちがいて、この目録も作成できた。その人たちからよく言われたのが、あまり使われない文献を遠路遙々訪ねてきて、使ってもらえて文献も喜んでいる、という言葉だった。もちろん、喜んでいたのは整理した人たちで、それを利用できたわたしも喜んでいた。そして、この文献目録を出版したことで、喜んでくれる人がいることを願っている。


 後半は、フィリピン関係の「戦記もの」の目録である。寄贈された「戦記もの」を、国会図書館や地方の公共図書館で見ることができる点数は限られている。現在もっとも多く、まとまって開架式で閲覧できるのは、奈良県立図書情報館の戦争体験文庫コーナーである。募集して集めた「戦記もの」など約5万点の資料が閲覧できる。靖国神社にある靖国偕行文庫や厚生労働省戦没者遺族の援護施策の一環として1999年にオープンした昭和館の図書室にも、戦友会や遺族から寄贈された自費出版の「戦記もの」が書庫に多く所蔵されている。2006年にオープンしたしょうけい館(戦傷病者史料館)にも所蔵されている。大学では、立命館大学国際平和ミュージアムの国際平和メディア資料室に集められている。これらの図書館・図書室を何度も訪ね、フィリピン関係だけで1300点ほどの「戦記もの」を確認した。これだけの点数が書かれた意味と背景を、じっくり考えたいと思っている。


 こういう工具を作成するには、多くの時間が必要だった。しかし、その時間はけっして無駄ではなかった。文献ひとつひとつと対話しながらの作業だったからである。そして、その対話は広がり、繋がっていった。資料や刊行物は、自分の研究と直接関係のある部分だけをつまみ食いして利用しがちである。だが、丸ごと理解することによって、研究テーマを相対化することができた。なにより、資料や刊行物が書かれた時代や社会の息吹を感じることができたような気がした。同じ体験をすることができる若い研究者が現れることを願っている。

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 これで終わりにしようと思ったが、ひとつ重要なことを書いておかなければならないと思い直した。みなさんのなかには、1300点ほどの「戦記もの」の現物確認に、なぜこれほどこだわったのか、疑問に思った人がいるかもしれない。わたしの趣味や性格からと思っている人がいるかもしれない。だが、そんな単純なものではないことを知ってほしい。戦争について、日本人が書くことの重みが、そうさせたのである。


 わたしも、はじめ戦争のことにかかわりたくなくて、日本・フィリピン関係史は1941年までと決めていた。東南アジアを研究する者にとって、どうしても東南アジア側の視点で書くことが優先され、戦争については公平に書くことなどとてもできないと思っていた。それが、いつしか日本人として書くことを避けては通れないものであると認識するようになった。でも、なかなか書けなかった。書けば、東南アジアの人びとからは日本人の自己弁護のようにとられ、日本人のなかには「自虐史観」ととらえる人もいるだろう、と思った。


 そんななかで大切なことは、いかに客観的な事実に基づいて語るかだった。しかし、「戦記もの」のようにいろいろな経験、立場から書かれたものは、より扱いが難しい。とにかく、全体像を把握しなければと思い、ひとつひとつ現物確認をしていった。予想をはるかに超える数が出版されていたため、手間取ったがなんとかここまできたというのが実感である。現物確認できていないが、情報としてもっているものがまだまだある。「もう勘弁してください」という思いで、打ち切った。本文献目録を見て、これも抜けている、あれもない、と気づく人がいることは承知している。「全体像」ではないが、これである程度「客観的」に語ることができるものは提供できたと思う。それでも、日本が戦場とした地域の人びとのなかには、日本人が戦争について語ることを許さない人がいるだろう。日本人のなかには、恣意的にとって、都合のいいように戦争を語る人がいるかもしれない。危惧すれば切りがないが、避けて通れば時代が前に進まない。戦後が終わらない。この文献目録の出版を通して、日本人が戦争を語ることの重みを、感じとってくれる人がひとりでも増えることを願っている。そうなることで、戦後の終わりが一歩近づく。そう信じたい。

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