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『日本断層論-社会の矛盾を生きるために』森崎和江・中島岳志(NHK出版新書)

日本断層論-社会の矛盾を生きるために

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 1927年朝鮮生まれの詩人で作家である森崎和江の生きざまを、その時どきの作品とからめて、1975年生まれの近代政治思想史研究者である中島岳志が聞き出したのが、本書である。すでに森崎作品に慣れ親しんでいる人、とくに2008年に刊行された『森崎和江コレクション-精神史の旅』(全5巻、藤原書店)を読んだ者には、それほど目新しいものはない。しかし、中島の用意周到な聞き上手もあって、これまで断片的であったものが、ひとつにつながって理解できる。


 本書の要点を、中島は「はじめに」で要領よくまとめている。すこし長くなるが、引用したい。


 「森崎は自らが植民地下の朝鮮に生まれた日本人の娘であることにも、鋭いメスを入れた。彼女は教師である父の仕事の関係で一七歳まで朝鮮で育ち、進学のため戦中に福岡に引き揚げた」。

 「自ら育ててくれた朝鮮の人と大地への想い。しかし、その深い愛着が日本の帝国主義の土台の上にあることへの贖罪(しよくざい)意識。帰ってきた日本での居場所のなさと存在論的不安-」。

 「彼女は「私には顔がない」と書き、日本社会との隙間(すきま)を感じながら、植民地育ちという「原罪」を背負って生きた」。

 「森崎は幻想的なアジア民衆との連帯を表現する谷川[雁]に対し、具体的な植民地統治の過去を突きつけ、自らの(そして日本人の)「原罪」をより深く追求する必要性を訴えた。しかし、その望みは繰り返し拒絶された。それでも彼女は「問い」を発し続け、自らの意思で朝鮮との交流をはじめた」。

 ・・・

 「ウーマンリブサバルタン・スタディーズ、ポストコロニアル批評……」。

 「のちに横文字の概念が入ってくることで認識される問題群を、森崎は一人で開いていった。「それ」に名前が与えられないままに」。


 中島は、「なぜ森崎だけが、未知の領域に分け入ることができたのか。なぜ、あまりにも先駆的な表現を紡(つむ)ぎだすことができたのか」を問い、つぎのように結論づけた。「そんな自己を切り裂く作業を経由したからこそ、日本/アジア、先進/後進、都市/地方、エリート/サバルタン、男性/女性……といった無数の断層を乗り越え、表現を紡ぎだすことができた。新しい批評の世界を切り開くことができた」。


 森崎は、まず詩人であった。ついで、北九州の炭坑で文筆を通した活動家になった。そして、NHKのラジオやテレビの台本などを書き、日本各地を歩きながら人びとの日常を描く旅人になった。森崎は、本書を総括して、「あとがき」でつぎのように述べている。「生誕地の天地風土をむさぼり愛した原罪を、可能なかぎり心身から剥ぎ捨てたいと、私は全く知らなかった「方言の世界」で働き暮らす方々に会いつづけて来ました。その方々の呼吸を身に浴びることで生き直したいと、列島を南へ北へと歩きました」。そのなかで数々の断層に気づき闘ってきたが、森崎にとって、「最も深く対決の思いが宿ったのは公娼制度」だった。


 森崎は、国家の中央から人間性を無視された人びとと同じ位置に立ち、自分のこととして捉えた。もっとも印象深い人びととして、「北海道に引き揚げたサハリンの少数民族」をあげたのも、朝鮮で生まれ育った自分が日本国籍をもつというだけで、居場所のない日本に住んでいることに納得できなかったからだろう。日本社会になじんだサハリンの少数民族は、もはや日本との関係抜きに生きていくことができなかったために、故地を捨て一度も行ったことのない北海道に「引き揚げた」。


 森崎は、学者ではない。だから、学術用語で評価することはできない。同居した谷川雁が、計算づくで発したメッセージが読者に届いたかどうかを気にし、現実と乖離したのにたいして、森崎は「自分の感じたままで生きて」、感じたままを書き、その矛先を自分自身に向けて傷ついた。それでも、逃げなかった。それが読者の共感をよび、読者は森崎から受け取ったものを学問に、闘争に、生活に、それぞれ自分のために活かした。中島は、本書を「今と自己を見つめるために」「若い世代に読んでほしいと願っている」。森崎が聞きながら、語りながら、歩きながら、闘いながら、そして書きながら、どれだけ他人の痛みを自分のものとして苦しみ、「どう生きるの?」と問い続けてきたのかがわかれば、森崎のいう「断層」の意味もわかってくるだろう。

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