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『ミャンマーの国と民-日緬比較村落社会論の試み』髙橋昭雄(明石書店)

ミャンマーの国と民-日緬比較村落社会論の試み

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 「ミャンマービルマ・緬甸(めんでん))研究を始めて三〇年、訪問したミャンマー国内の農村は優に二〇〇を超える。私は一介のミャンマー研究者として、と同時に、日本の農村で生まれ育った、専業農家の長男として、いわば二つの顔を持ちながら、通訳なしに直接ミャンマー語で無数の村人と語り合ってきた。本書は日本の農民の子供であるミャンマー研究者が見たミャンマー農村社会に関する叙述である」。


 こんな出だしで始まる本書は、「房総半島の南端に位置する農村に生まれた農家の長男で末っ子である」著者だからこそ書けたミャンマー農村の素顔であり、その素顔を見たからこその日本村落社会論である。


 本書の目的を、著者はつぎのように述べている。「まずミャンマーの村を日本の読者に紹介することである。本書で語られるのは、私が農村で調査を始めた時から続いてきた社会主義政権、軍事政権といった抑圧的な政権のもとに置かれたミャンマーの村と村人たちのお話である」。


 「第二の視点」は、「日本の村とミャンマーの村、日本の村人とミャンマーの村人との比較である」。その違いを、著者は「心の問題としてではなく、日本とミャンマーの村の構造の違いに起因するものであるという観点から考えてみたい」という。具体例として、第二次世界大戦中、「食糧や家畜そして労働力を紙くず同然の軍票で挑[徴]発し、町や村を破壊し、多数のミャンマー人を死に追いやって、ミャンマーの人々に大迷惑をかけた」ビルマを占領して戦場にした日本軍兵士が、這々の体で逃げてきた時にミャンマーの村人たちが優しかったことをあげて、比較を試みている。「ビルマの人々は仏教の慈悲をそのまま実行するとか、素朴で純真であるとか、村人の心情も情景も戦前の日本とそっくりであるとか」言って、「ビルマが好きで好きでたまらないという「ビルキチ」」の旧兵士は、「ミャンマーの村人と村のすばらしさを褒め称えた」が、「戦争中敵国アメリカの兵士が日本軍に終[追]われて逃げ込んできたら、日本の村人は優しくアメリカ兵を迎えたであろうか」という著者の問いにたいして、「村八分」になると答えている。そこには基本的構造の違いが存在しているのに、なぜ「そっくり」だと旧日本兵は感じてしまうのか。


 「本書の第三の目論見は、日緬の農村比較を通じてミャンマー農村の特質を抽出し、ミャンマー村落社会論の構築を試みることである。そして、さらにはミャンマーの心に迫ってみたい」。「抑圧的な体制下にありながら村人たちはなぜ「自由」であるのか、という問いに、日本の農村との比較のなかから答えていきたい」という。この問いにたいして、第2章「ミャンマーの村と村人たち」のなかで、つぎのように答えている。「農地は国有で売買、譲渡、小作、相続、質入等が禁止され、国が指定した作物しか作れない」が、末端役人を「抱き込めばそれがすべて可能になる。こんな行為はもちろん違法であるが、ナーレーフム[なあなあでやる]があるから大丈夫だと農民は言う。供出に関しても、農地の権利移転に関しても、厳しい国家統制はこのようにして末端で緩和されてきたのである」。


 第一の目的、第二の視点については、第4章の最後で、つぎのようにまとめ、「あとがき」でも同様の内容を繰り返している。「生産の共同体でもあり、生活の共同体でもあった日本の村では、生産の共同体の崩壊とともに生活の共同性も希薄になった。仮に生活の共同性だけでも存続させようとするならば、代々家を継ぐとか村の慣習を守るとかという発想を棚上げして、今こそ、やりたい者がやる、参加したい者が参加する、やりたくなくなったらいつでも離脱できるといった、ミャンマーの村のように個人が自由に考え行動することができる村落コミュニティが構想されるべきであろう」。「日本の村はすべて共同体であるという「共同体」ではなく、ミャンマーのような出入り自由な個人が独立したコミュニティを、村だけではなく家においても創造する時が来ているように思われる」。「個人を束縛する共同体から着脱自由なコミュニティへ、生産と生活の共同体から生活のコミュニティへと向かう日本の村々」の「モデルがミャンマーには無数にある」。


 これまで「あれこれと問題点ばかり指摘してきた」著者には、「ミャンマー農村に住み込み、村人と話し続けることによって、私自身が生かされてきた、という感覚」があり、それが「豊かなミャンマー、貧しい日本」にいきつき、自然とミャンマーから学ぶという視点が生まれたのだろう。著者が伝えるミャンマーの素顔から、日本社会の問題点もみえてくる。


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