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『村を癒す人達-1960年代フィリピン農村再建運動に学ぶ』フアン・M・フラビエ著、玉置泰明訳(一灯舎)

村を癒す人達-1960年代フィリピン農村再建運動に学ぶ

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 訳者の玉置泰明は、「今ごろなぜ一九六〇年代のフィリピンの農村開発の記録を取り上げる価値があるのか」、気にしている。しかし、副題にある通り、「学ぶ」ことがあり、それを他人にも説明できて「学ぶ」ことを共有できるなら、古い新しいは問題ではない。訳者の「学ぶ」説明の前に、本書および「フィリピン農村再建運動」について説明をする必要があるだろう。


 本書は、「一九六〇年代に一民間団体[フィリピン農村再建運動PRRM]によって農村に派遣された青年医師の村での経験を描いた記録である」。「続編として、同時期の体験を著者の出会った印象深い村の人物を中心にまとめた」もの、「二冊の好評に応えて未収のエピソードを集めた」ものがあり、三部作として、「フィリピンで広く長く読まれ続けている」。その後、著者のフアン・フラビエは、1977年にPRRM総裁、92年に保健大臣となり、95年から上院議員上院議長などを歴任した。


 フィリピン農村再建運動は、1952年に中国人学者イェン(晏陽初)によって創設された。「イェンの「郷村建設運動」の基本原理は、「民の中へ その中で生活し 彼らから学び 彼らと共に計画し 彼らが知っていることから始め 彼らがすでに持っているものを基礎として建設する」というモットー」に集約される。「イェンは、貧農の基本的な問題は貧困、非識字、病気、市民的無気力の四つにあるとし、この四つは相互につながっているとして、四つの要素からこれらを改善する統合的なアプローチ(略)が必要だとした。四つの要素とは、「貧困と闘うための生計向上、無知や迷信と闘うための教育、病気と闘うための保健衛生知識、無気力と闘うための社会組織と自治の技術」である」。


 「イェンは一九五二年に「国際平民教育運動促進委員会」を代表してアジア諸国、中東などを回り、その一環としてフィリピンを訪問した。その際のマニラ周辺の大学での講演で、若者に都市を離れて農村で働くことを訴え、熱狂的な歓迎を受ける。三〇〇〇名がボランティア志願し、二〇〇名が試験プロジェクトで働くことになった。そしてそのうちの二四名を中心として、一九五二年七月にPRRMが発足した。発足時のキリノ政権および次のマグサイサイ政権は、農村部における反政府ゲリラである「フク団」への対抗組織としてPRRMを重視し、最大限の支援を行なう」。本書の著者、「フラビエは、一九三五年に生まれ、一九六〇年にフィリピン大学医学部卒業後、医学部で講師をしていたが、誘われてPRRMの活動に参加した」。イェンは、「彼が影響を与えた世界の農村リーダーの中でもフラビエに最大限の評価を与えている」。


 訳者は、「本書から学ぶ」ことについて、「大きく言えば、まず古くて新しい農村開発の諸問題であり、さらには、異文化=他者を見る眼であるといえよう」と述べ、具体的に「村に「滞在する」ということ」「村での居住と調査での注意点」「土着知(ローカル・ナレッジ)、文化・社会的価値への視点」「農民を美化しないこと」の4つをあげて、それぞれ説明を加えている。


 「村に「滞在する」ということ」では、「まずPRRMの農村との関わりで現代にも十分訴えかける点は、その時間的なスタンスである。著者は、町から来て、村々への短時間訪問を繰り返していた若い殺虫剤セールスマンとの出会いから説き始め、「PRRMでは、農民たちと過ごすことに時間をとって、彼等のやり方を理解しなければ効果はないことを見出した。彼等のやり方に理由を見出し、彼等に歩み寄るとき、変革のための適切なアプローチが明らかになる」と指摘する」。


 「村での居住と調査での注意点」では、「著者が列挙している村に住み込む若いワーカー(RRW)への具体的な留意事項は現代のワーカーあるいは研究者、学生にも十分通用するものである」と述べ、「ワーカーが住む下宿の選定は非常に重要であり、一般的指摘として、ホストの家が村の中心に近く家主が尊敬される家族であるべきこと、家族がゲスト(ワーカー)を負担と感じるようにならないため支払いに関してきちんとした取り決めが必要であること、下宿先を移るときには非常に気配りが必要であること、などを挙げている」。


 「土着知(ローカル・ナレッジ)、文化・社会的価値への視点」では、「著者は、学校教育をほとんど受けていない農民たちの固有の知識への素直な驚き、共感を表明している」。「村の年長者が時計を持たずに花や葉の開き方から時刻を言い当てたり、水の入った瓶の外側についた水滴から雨の降る方角を言い当てたりするのに素直に驚き感心した後、「農民の生活について洞察したいなら、農民のやり方を理解しようと努力することが重要だ。外部の者が何か変化を起こそうとする時、大きな落とし穴の一つは、それを行う本人の生活様式や標準、先入観を人々に押し付けようとする傾向である」と指摘する。これは当たり前のようだが、二一世紀に入っても重要性を失っていない指摘である」。


 最後に、訳者は「農民を美化しないこと」をあげる。「著者の農民および農村社会への深い共感・理解が価値をもつ理由の一つは、彼がそれを「美化」していないことである。第二章で彼の農民への理解の基本的スタンスが述べられる。「農民とは何だろう? 私にとって農民は、もう一人の人間にすぎない。恐れも希望ももてば、徳も悪徳ももち、憎しみも心もある人間だ。彼は村という状況でこれらを組み合わせたものにすぎない。彼は、固有の環境で、固有の状況とニーズに反応しており、他の人間と異なっているところはない。基本的なことは、彼をあるがままに理解することであって、我々と同じように理解することではない」。


 そして、訳者は「訳者による長い後書きと解説」の「おわりに」をつぎのようにはじめ、まとめている。「前述のように、初期PRRMの開発手法自体は、たしかに今となっては「古い農村開発」として批判され、乗り越えられるべきものであるかもしれない。しかし、著者フラビエや若きワーカーたちの住民との「ラポール」の築き方、そして現地の文化への深い共感と理解は、現在の農村開発ないし開発援助に多くの示唆を与えてくれる。それは、一九九〇年代以降、長らく「過去のもの」として忘れ去られた戦後日本の「農村生活改善運動」が再び注目されて、様々に研究され再評価されている事実とも通じる面があると言えよう」。


 さらに、つぎのようにも述べている。「このような運動の記録は、食糧自給率の向上や農村の再開発が必要とされる現在の日本にとっても非常に有益であろう。また、閉塞感が広まり、氾濫する情報に振り回されている若い人達にとって、大切なものは何かを考えなおすきっかけにもなるだろう」。


 訳者のいうとおり、本書からわれわれが学ぶことは限りなくある。それは、現代のわたしたちと同じ立場に1960年代の著者が立って、自国の農民を見ていたからともいえる。フィリピンは、それだけ都市のエリートと地方の農民との距離が大きかった。現代の都市の日本人も、農村との距離が大きいともいえる。TPPが論議されている今、日本の農村の現実も理解する必要があるだろう。このままでは、補助金によって農民の生活は維持できても、農村自体が成り立たなくなってしまう。自立できる「農村再建運動」が今の日本にも必要で、そのためにも本書から学ぶことは実におおい。

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