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『草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』清水展(京都大学学術出版会)

草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略

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 本書は、著者、清水展(ひろむ)が1997年から2009年までの12年間に毎年必ず1度は調査村である北部ルソン山地のイフガオ州ハパオ村に出かけ、集中的な調査をおこなった成果である。本書の論述と考察の中心は、ふたりの男の活動と語りである。「一人はハパオ村で植林運動を推進するリーダーのロペス・ナウヤックであり、もう一人は世界的にも著名な映像作家キッドラット・タヒミックである。英語によるアメリカ式の高等教育を受けたキッドラットは、考え方や感じ方までアメリカの影響によって染めあげられてしまった自分を真のフィリピン人として作りなおすために、ナウヤックを「魂のグル」あるいは心の師と仰ぐ」。


 著者は、ふたりとの出会いを通して、自分自身の研究対象がどのように変わったかを、「あとがき」でつぎのように述べている。「ハパオ村に興味を持ったのは、ナウヤックが主導する植林運動、とりわけ「グローバル」というネーミングと意味づけの仕方に説得力があり、バギオの彼の自宅で初めてお会いした際に魅了されたからであった。また、キッドラットの運動への関わり方とナウヤックに学ぶ姿勢にも啓発された。当初の研究テーマは植林運動と棚田・環境の保全であった。後に開発に関する、次いで文化資源に関する科研プロジェクトのメンバーに加えていただいたことにより、関心の対象が広がった。しかし時間の経過とともに拡大(拡散?)していった関心が、最終的には書名が示すようにグローバリゼーションを考えることを主テーマとして収斂していったのは、初心に戻ったということであろう。それは、ナウヤックとの出会いの際の新鮮な驚きという初心であるとともに、自身の研究テーマの初心である出来事への注視という回帰でもある」。


 著者がふたりの男の活動をきわめて興味深いと感じたのは、つぎの3つの点においてだった。「まず第一には、キッドラットがナウヤックの理念と言動に深い敬意と関心を抱き、二〇年近くにわたって、その植林と文化復興の活動をドキュメンタリー映像として撮影し続けてきたことである。フィリピンにおける英語教育の優等生として自己形成してしまったキッドラットにとって、ナウヤックは、魂の脱植民地化を成し遂げ、自己のアイデンティティをいったん解体し再構築するための模範やインスピレーションの源泉となっている」。


 第二に、「ナウヤックがグローバル化の進行という時代状況のなかで村人たちが固有の文化を保持する先住民として誇りを持ち、豊かに生きてゆく方途を探り実践していることである。ハパオ村にまで迫り来るグローバル化の大波を拒んだり、それから逃げたりするのではなく、それと対峙し積極的に便乗し利用してゆくチャンスとして捉えている点が興味深い。歴史を振る返ると、フィリピンがスペインに植民地化されて以来、イフガオもまたグローバル大の政治・軍事パワーの代理勢力による遠征介入を断続的に受け続けてきた。それらに対する果敢な抵抗は、先祖伝来の地を守るための陣地防衛戦であった」。


 その観点から、著者は自身がかれらに受け入れられた理由をつぎのように解釈している。「彼らから見れば私は、かつては山下[奉文(ともゆき)]将軍に率いられた大軍を送りこみ、しかし今は経済的に豊かになりJICAが気前の良い援助をしてくれる日本から来た、利用価値がおおいにありそうな人間であった。本書は、そのことを直視し、私自身が巻き込まれやがては支援者や同伴者として深く関与してゆく植林運動について、その渦中で見聞し入手した情報や資料に基づく報告と考察である。すなわち、ハパオ村を中心とするフンドゥアン郡およびイフガオ州の一帯をコンタクト・ゾーンとし、古谷[嘉章]の言う「人々が自らの文化をめぐって他の人々と交渉」してきた歴史のなかで、人類学者として私自身もまたそうした交渉の一端に巻き込まれ、日本からの支援の獲得に深く関与したことの記録である」。


 そして、第三の点は、「ナウヤックを発起人かつリーダーとして住民主導で始められ進められてきた植林と社会開発、文化復興ならびに住民のエンパワーメントを目指した運動が、参加型開発の可能性と問題点を具体的に示していることである。ナウヤックは、北部ルソンの山奥の辺鄙な村をグローバルな関係の広がりのなかに位置づけ、とりわけ日米両国と歴史的に深いつながりを持つことを強調する。それによって、私自身を運動の同伴者や協力者として引き込み、日本のNGOやJICAから資金援助を得るために巧みに操り、一九九〇年代の半ばに手弁当で始めた草の根の植林運動を、郡庁や州政府まで巻き込んだプロジェクトとして拡大展開することに成功した。二〇〇〇年から八年間のあいだに日本から獲得した助成金の総額は八〇〇〇万円を超える」。


 著者は、これら3つの側面を、学問的に「それぞれ、表象、グローバル化、社会開発とコミットメント、というキーワードを核として、大きな広がりを有する問題系と直接に結び」つけ、つづけてつぎのように説明している。「いずれも重要であり、それぞれ個別に章を設けて報告し考察を加えてゆく。が、本書のタイトルで示しているように、この小さな村の事例が何よりも興味深いのは、二〇世紀の終盤に至って加速度を増しながら進むグローバル化という事象あるいは問題系に関して、フィリピンの山奥という途上国の辺境に暮らす先住民の側から、もうひとつの視点と視界を提供してくれるからである。それはニューヨークやロンドンや北京や東京などのグローバルな中心からでなく周辺からの、そして多国籍企業や帝国のパワーエリートたちによる上からではなく下からの、貧しく小さな者たちに主導された新たなフローへの着目と理解である」。そこには、「巧みに操」られながらも、著者自身の戦略も存在している。


 以上のことを簡潔に理解しようとするなら、本書の第1章のタイトルとそのなかの3つの節のタイトルをみればいいだろう:「第1章 北ルソンの山奥でグローバル化を見る・考える-応答する人類学の試み」「1 山奥でグローバル化に対峙・便乗する二人の男-そこに巻き込まれ、深く関わる人類学者」「2 グローバルとローカルが接合する人類史」「3 山奥から見えるグローバル化の風景」。この第1章につづく4部9章の概略を理解しようとするなら、4頁にわたるカラー写真の口絵をみればいいだろう。それぞれの頁には、つぎのようなタイトルが付されている:「1995年に世界遺産に登録されたイフガオの棚田」「木を植える男、ロペス・ナウヤック」「日本の草の根の国際協力と交流」「海外出稼ぎの形でグローバルに散開出撃する村人たち」(キーワード?のフォントが大きい)。


 著者が本書の結論として言いたいことは、最終章である「第10章 草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編」にまとめられている。その課題と展望は、つぎの6つの節のタイトルからうかがえる:「1 宇宙船地球号イメージ」「2 共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3 暗い未来に抗して」「4 グローバル化と地域社会」「5 「グローカル」な生活世界」「6 遠隔地環境主義の鍛え直し」。そして、つぎの文章で本書を終えている。「北部ルソン山地のハパオ村で進行する草の根のグローバル化は、個々人の出稼ぎやNGOとの連携をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークによって、人々の生活をグローカルに再編成している。それがもたらす、地球を超えた地球大の規模でのつながりの自覚は、地球環境の深刻化という危機に対抗する活路を開き、あるいは国際市民社会を創り出すための草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。


 著者の思惑通り、グローバル化をこれまでとは違う視点からみることができ、学ぶことがひじょうに多かった。さらに本書で明らかになったことを理解するには、本書で何度も強調される「山奥」も、海域世界に属しているということに目を向けることだろう。ムラユ(マレー)世界ともよばれる海域東南アジアは港と後背地の関係が深く、歴史的に海域が騒がしくなるとその後背地も大きな影響を受けた。フィリピンではスペインによる植民地化、アメリカによる植民地化、日本軍による占領などがその時期にあたる。流動性の激しい海域世界では、後背地のヒトやモノもさかんに動いた。それは「巻き込まれた」わけではなく、ここをチャンスと外へうって出たからである。近年のグローバル化にたいしても、主体性をもって巧みに利用している。その意味で、グローバル化は中央から周辺へという近代システムと違い、周辺からも中央やほかの地域への発進力があるということだろう。


 そこには国や組織を超えた個人と個人との人間関係、信頼関係に基づいた判断、行動がある。たとえば、本書では、フィリピン共産党の軍事部門である新人民軍が活動拠点として入り込んで問題が起きたときに成立した停戦合意を、当事者であった郡長は、つぎのように説明している。「新人民軍とある種の停戦協定を作るための話し合いを始め、合意に達しました。それは文書に書かれたわけでなく、フィリピン政府や国家警察軍が認めたものでもありませんでした。しかし国軍も国家警察軍も、直接に関係する部隊は密かにその合意を尊重してくれました。それは一ヶ月ごとに、新人民軍と国家警察軍が交替でフンドゥアン郡内で自由に活動するというものでした。一方が活動しているあいだは、他方は部隊を引揚げ、いっさいの干渉や攻撃を控えるというものでした」。このことは、「重要なことは口頭で」という人と人との信頼関係に基づいた海域世界の論理が有効であったことを示している。


 また、著者もこのことを理解していて、つぎのように述べている。「グローバル化の弊害は、極論すれば、流動的で暴走しがちな資本が引き起こす。その悪影響への対抗策となりうるのが、国境を越えて活動するNGOのネットワークであり、それをハブとしてさらに広がる草の根レベルの対抗的・主体的なミクロなグローバル化の動きと可能性である。本書で紹介したハパオ村の「グローバル」植林運動も、そのような視点から見直せば、将来に向けたひとつの可能性を示してくれている」。


 実際、国家が暴走したことで取り返しがつかないと思われた人間関係も、草の根の交流によって修復された例が、とくに日本人にとってうれしいことが、本書でつぎのように紹介されている。「ハパオ村の一帯は、戦争末期に大量の日本兵が逃げ込んできたために、村人たちは山の奥深くに避難し多くの犠牲者を出した。イフガオの側では戦争の記憶がまだ鮮明に残り、語られているのに対して、戦後にハパオ村まで訪れる日本人は遺骨収集や山下財宝探しを目的とするグループか棚田見物に来る少数の観光客以外は、ほとんどいなかった。だから日本と日本人のイメージは日本兵のイメージと結びつけられており、必ずしも良いものではなかった。平地民と異なり、海外出稼ぎ先として日本を訪れたものはハパオ村で一人もおらず、現代の日本に関する情報は限られていた」。「ところが、日本人の一橋大学新潟大学立命館大学の学生(略)が村に住み、植林と環境保全と生活向上のためにいろいろと工夫をして手伝ってくれた。実際に植林活動や社会開発にどれほど役に立ったのかは別として、村人たちの共通の評価は、「彼女たちの行動を見ていると、無償の奉仕、友愛の気持ち、一所懸命さを強く感じるし、それが確かに伝わってくる。それで、日本人が大好きになった、日本人のイメージがすごく良くなった」という言葉に集約される。等身大の若い女性、生身の、優しい、まっとうな日本人と身近に接し交流できたということが、村人にとってはとてもうれしく、日本人と日本に対する具体的なイメージと好感を抱く大きな要因となった」。


 ハパオ村の人びとは、世界遺産となった棚田をもっている。木彫りの技術ももっている。それらをもって、「巻き込まれる」という消極的な受け身ではなく、ここをチャンスとグローバル化の波に泳ぎだしている。著者も恰好の「獲物」として巻き込まれた。その「文化実践と生活戦略」の具体例を、「元気が出る民族誌」である本書から学ぶことができた。

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