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『隣人が敵国人になる日-第一次世界大戦と東中欧の諸民族』野村真理(人文書院)

隣人が敵国人になる日-第一次世界大戦と東中欧の諸民族

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 第一次世界大戦中に民族自決が唱えられ、帝国から解放された民族を中心とした近代国民国家が成立して「めでたしめでたし」、という国民教育のための近代史が単純に語れないことが、本書からわかる。


 オーストリアハンガリー二重帝国、ロシア帝国オスマン帝国といった多民族社会のなかでマイノリティとして生きていた人びとのなかには、すぐに民族国家を思い描くことのできた人びともいれば、しばらくして思い描くことができた人びと、いつまでたってもまったく思い描くことができなかった人びとなどがいた。近代国民国家の形成に翻弄された人びとがいたにもかかわらず、EUの成立、グローバル化のなかで、その意味がなくなろうとしている。第一次世界大戦を契機として、近代とはなんであったのかを問うことのできる地域として東中欧があることを、本書は教えてくれる。


 著者、野村真理は、つぎのように「はじめに」で述べる。「ロシア帝国の後継国家はロシアであり、オーストリアハンガリー二重帝国の後継国家はオーストリアハンガリーだが、いまのロシア人やオーストリア人、ハンガリー人は、第一次世界大戦の共同通史を書くことにほとんど「国民」的意味を見出さないだろう。細かいことをいえば、そもそも第一次世界大戦が始まったとき、オーストリア人など存在しなかった。当時のオーストリアで、ドイツ語を日常使用言語とする者はドイツ人であり、現在のオーストリアで、ドイツ人とは異なるオーストリア人というアイデンティティが一般化するのは、第二次世界大戦後しばらくたってからである」。


 「ドイツやフランスでは、第一次世界大戦戦没者は英霊となり、戦争墓地や戦争記念碑は国民的崇拝を集める聖地となったが、東中欧の諸国家では、第一次世界大戦それ自体は「国民」的記憶とはなりえない。むしろ東中欧第一次世界大戦は、西ヨーロッパに遅れること一世紀にして、そのような記憶の担い手となるべき国民と、その国民の国家創設史の最初に記されるべき出来事と位置づけられよう」。


 本書では、「オーストリア帝国領ガリツァアの、とくに東ガリツァアに限定」し、「論述の整理上、そこでのポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人の経験を別個に追う」が、つぎのような人がごく普通にいたことを忘れてはならない、と著者はいう。「東ガリツァアの寒村でポーランド人の父とフツル人[おもにカルパチア山脈南東部に居住する少数民族]の母から生まれた」彼は、「ポーランド語とウクライナ語を話し、父はカトリックポーランド人だったが、自分はギリシアカトリックの信者だからウクライナ人だと、何となく思っている」。


 ポーランド人やウクライナ人にとって大切だったのは、独立して「国民」になることより、民族文化を守ることだった。第一次世界大戦の前夜、三分割されたポーランドの再興をめぐって三派にわかれたとき、親ロシア派も親オーストリア派も、まず民族文化を守ることを考えていた。親ロシア派は、「万一ロシアが敗北してポーランドがドイツの支配下に入った場合、ドイツ領ポーランドで強行されたドイツ化政策がポーランド全土におよび、政治的、経済的のみならず、文化的にもポーランド民族の破滅を招くという強い危機感を抱いていた」。親オーストリア派は、「ドイツ領やロシア領と異なり、オーストリアポーランドでは一八六七年からポーランド人の大幅な自治が実現し、クラクフとルヴフに大学を擁して、ポーランド語による学術・文化活動も制限を受けることなく開花した」ことを思い起こしていた。


 しかし、ユダヤ人にとっては、ポーランド人やウクライナ人のように「ユダヤ人国家を設立することなど、考えられない選択肢だった。ユダヤ人は、まとまった居住地域をもたず、点々と、東中欧のさまざまな都市や町にかたまり住む人々だった」。したがって、「あくまでも現在の居住国でユダヤ人に民族自治の権利が与えられることを求めた。そのさい、まとまった居住領域をもたないユダヤ人の自治の重点は、ブンド[リトアニアポーランド・ロシア全ユダヤ人労働者同盟の略称]がユダヤ人の民族言語と見なすイディッシュ語で教育を受ける権利など、文化的自治におかれた」。「だが、彼らの空腹を満たすには、イディッシュ語で教育を受けるより、帝国の支配言語であるドイツ語か、ガリツィアの行政言語であり、文化的支配言語でもあるポーランド語を習得した方が、はるかに大きなチャンスを手にすることができた。ガリツィアからウィーンに出たユダヤ人は、必死に働いて子どもたちにドイツ語教育を受けさせ、やがて彼らがウィーンで一流の商人や、博士の称号をもつ弁護士や医者になる日を夢見た」。


 「未完の戦争としての第一次世界大戦」は、ポーランド人やウクライナ人が求めたような結果をもたらさず、「第二次世界大戦後の国境の引き直しと住民交換、住民追放により、第1章で述べたポーランド問題とウクライナ問題は最終的に解決された。ユダヤ人という、東中欧で領域的解決のしようがない少数民族問題についていえば、それがホロコーストによるユダヤディアスポラ社会の消滅によって解決をみたことは、説明を要しまい。さらにユダヤ人社会の消滅は、戦後ポーランドの反ユダヤ的暴力によってその完成度を増す」。


 「戦間期に小多民族国家であったポーランドは、第二次世界大戦後は、国民のほとんどがカトリックポーランド人という、単一民族国家に近い国家となる。他方、西ウクライナの中心都市リヴィウウクライナ語称)の一九八九年の人口構成は、総人口七八万六九〇三人のうち、ウクライナ人が六二万二七〇一人(七九・一パーセント)、ロシア人が一二万六四五九人(一六・一パーセント)で、ユダヤ人は一万二七九五人(一・六パーセント)、ポーランド人は九七三〇人(一・二パーセント)である。ここでのユダヤ人のほとんどは、旧東ガリツィアでホロコーストを生き延びた者たちではなく、戦後ロシアからの移住者である」。


 多数決による統治が機能する近代民主主義国家は、「国家が最も安定しやすい」という。しかし、その「民主主義国家」を形成するために、どれだけの犠牲者が出たことか。そして、いまEUに加盟した国ぐにのあいだでは、まったく意識することなく国境を越えることができる。これだけの犠牲を出して成立した近代国家とは、いったいなんだったのか。フランス、ドイツを軸とする国民国家形成だけでは語れないヨーロッパの歴史がある。 

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