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『新興アジア経済論-キャッチアップを超えて』末廣昭(岩波書店)

新興アジア経済論-キャッチアップを超えて

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 本書は、著者末廣昭が、2000年に出版し、2008年に増補改訂版を英語で出した『キャッチアップ型工業化論-アジア経済の軌跡と展望』(名古屋大学出版会)の続編である。だが、副題「キャッチアップを超えて」に示されているように、たんなる続編ではない。「対象とする期間はもとより、視角も方法も前著と異なる」ことになったのは、「一九九〇年代以降の国際環境の変化や中国の台頭、そして、新たなリスクや社会問題の登場が」、著者に「課題設定の変更を迫ったからである」。


 具体的に、著者は「前著で出来なかったこと」をつぎのように述べている。「前著では意図的に、社会主義国で人口大国である中国を検討の対象から外した。しかし、中国を抜きに「新興アジア経済」を議論することは今や不可能であろう。本書では可能な限り中国経済の実態に触れるようにした。IT産業で起こっている技術革新も、前著では詳しく論じることができなかった。本書では、「キャッチアップの前倒し」という観点から「キャッチアップ型工業化論」の見直しを試みる」。


 ついで、「前著で宿題にしたこと」をつぎのように述べている。「経済発展ではなく社会発展にもっと注目すべきである。そのように私は前著の結論で述べた。この点については、本書の第七章以下でできるだけ触れるつもりである。従来の「躍動するアジア」というイメージとは異なるアジアの現実を読者に示すことは、この本の大きな課題であると同時に、特徴でもある」。


 つまり、著者は、本書で、「新興アジア諸国の現実を、「生産するアジア」「消費するアジア」という経済的側面と、「老いてゆくアジア」「疲弊するアジア」という社会的側面の双方に注目しながら、丸ごと理解すること」を目指した。丸ごと理解することに日本人である著者がこだわるのは、「「課題先進国」である日本の協力が大きく関わっている」からであり、これらのアジアに日本が「どのように真摯に向き合うのか」が、「とても大切だと考える」からである。


 「終章 経済と社会のバランス、そして日本の役割」では、「アジアで起きている経済と社会の大きな変動について、新興アジア諸国を中心に検討してきた」ことを踏まえて、「大きく変わるアジア経済の中で日本が果たすべき役割は何なのか」を考えている。著者は、小宮山宏が提言する「課題先進国」日本が「課題解決型先進国」に転換するための3つの力を、「新興アジア経済論のアプローチにひきつけて」、つぎのように著者なりのことばに置き換えている。①「混沌の中に本質を見出し、課題解決の具体的なビジョンを描く力」は、「アジア諸国・地域、あるいは特定の国を、政治、経済、社会、文化などに切り分けて分析するのではなく、「丸ごと理解する」努力を行うこと」に、②「このビジョンを描くために、独りではなく他者と生きているという認識、もしくは他者を感じる力」は、「統計や文献だけでなく、自分の目と足を使い、対話を通して相手の実態を理解すること。他者(アジア)を理解することは、結局は自分(日本)を理解することにつながる」に、③「世界は変わる、社会は変わるという信念のもと、先頭に立つ勇気」は、「既存のアジア経済論に満足せず、変動を続けるアジアの現実に密着し、これを理解するための新しい枠組みを提供する、そうしたチャレンジ精神を持つこと」に。


 そして、つぎの課題を述べて、終章を終えている。「新興アジア経済の動きを、経済と社会の両側面から捉えるという本書の目的は、一定程度果たしたと私は思っている。ただし、本書はあくまで現状分析にとどまっており、「社会発展を伴った成長」の具体的なシナリオを描いたわけではない。アジア各国・地域で展開されているさまざまな活動を、現地調査や共同研究を通じて丹念に追跡し、「新しい社会」の具体像を提示すること。これが私にとって次の課題となる」。


 タイを事例に新興アジア経済を扱った前著とは基本的に違う国際環境が、いまアジアを取り巻いている。著者は、「アジアは高い経済成長率の追求ではなく、「社会発展を伴った成長」を目指すべきではないのか」と主張する。それは、「高所得国に移行した韓国で、なぜかくも自殺率が高いのか。「マイペンライ」(物事を深刻に考えない、相手を追い詰めない)が当たり前だったタイ社会で、なぜかくもうつ病患者が増えているのか。こうした問いに回答しない限り、本当の意味でのアジア経済論を描くことは出来ないのではないだろうか」と考えたからである。本書は、前著の「キャッチアップを超えて」以上の刷新をもって取り組まねばならないアジアの現状を理解し、「現代経済の展望」を考えるための基本書ということができるだろう。もはや個人の研究者が近代の経済論で語ることができる単純な状況ではなく、複合的現象を協働で考察する地域研究が不可欠になったことが本書からも理解できた。

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