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『ALL ABOUT ALASKA アラスカへ生きたい 』石塚元太良 井出幸亮 (新潮社)

ALL ABOUT ALASKA  アラスカへ生きたい

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古代より多くの人間たちがその厳しい自然の中に何とか爪痕を残そうと悪戦苦闘を続けてきたこの土地は、一筋縄ではいかない。簡単に商業化され、レジャーランドになってしまうようなヤワなエリアではない。もちろん、世界屈指の大自然を満喫できる夏のトレイルウォークやキャンピング、フィッシング、氷河クルーズ、セスナでの遊覧、晩夏から真冬にかけてのオーロラ鑑賞など、いずれも素晴らしい味の「定番メニュー」はバッチリ用意されている。しかし、そうしたアクティビティの時間だけがアラスカ旅のすべてではない。このとんでもなくデカい土地には、膨大な「裏メニュー【オルタナティブ】」だってあるのだ。

著者のひとり、編集者の井出幸亮によるまえがきにはこうある。

大文字の〝アラスカ〟ではなく、旅した者だけが見つけることのできるアラスカ。それはひとりひとりが自らの目で見抜き、発掘するものだという。ちょうど、それまで僻地にすぎなかったアラスカを一変させたゴールドラッシュの時代、この地を目指した人びとのように。「その時、僕たちはこの遥かなる原野とささやかな街またいで歩く、現代のゴールドディガーとなるのだ」。

「裏メニュー」はきっと、旅人の数だけある。だから本書は、ひとりの写真家とひとりの編集者による「僕たちのアラスカ」、ふたりのアラスカへの思いの結晶ともいうべき一冊なのだ。

その歴史や、エリア別と主要な町のガイド、また、アラスカを知るために欠かせないキーワードが連なる。シーカヤック、先住民文化、ゴールドラッシュ、マッキンリー山、トレイルウォーク、ブルックス山脈、オーロラ、氷河。

また、アラスカンフードやビール、お土産もの、ファッションといった街での楽しみ、動物や草花、かつてアラスカを旅した人物や写真家についてやブックガイドも。こんなところには、主にカルチャー誌で活躍する井出の編集者魂が生きている。

そこに、もうひとりの著者である石塚元太良の写真が全編を通じて展開され、本書に散りばめられたさまざまなアラスカンアイテムをゆったりとまとめあげている。セスナから見下ろす氷河、雪をのせた山々を臨む港、灰色の斜面で朽ち果てた採鉱所の跡、森の中にぽつりと建つキャビン。

物見遊山的な気分では太刀打ちできない北の地であるはずなのに、石塚がとらえる景色には、人を拒む厳しさよりも、やわらかでぬくもりのあるムードが漂う。

昨年、これまでの仕事の集大成であるアラスカとアイスランドのパイプラインを撮影した写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』を出版した石塚元太良は、あとがきにこう書いている。

人は、誰しも静かな場所で、自分の本当の仕事をしたいと思うものである。もちろん、喧噪のなかでこそ、創造的なものが生み出せるというタイプの人もいるだろうけれど、僕の場合は、人里離れた静かな場所が、本当の仕事のためには必要だと思っていた。「本当の仕事」などど書くといくぶん歯が浮く感じだが、つまり自分の人生にとって大切なことがじっと見つめられる場所。それが僕にとって20代から続けてきた旅の中であり、そんな「静かな場所」は、気づくと僕にとってアラスカという名の土地だった。

「僕たちのアラスカ」とあるけれど、こうしてみてみると、井出と石塚の、アラスカに対するスタンスはもちろん違う。そして、そのどちらか一方では成立しえなかっただろう本書の魅力は、編集者の眼と写真家の眼がなしえた共同作業、などという図式で割り切れるものではないだろう。

それは、本書に収められたふたりのみじかいエッセイにもよくあらわれていると思う。

「野生の動物は、本来人間に好奇心を持っているものだと、アラスカを旅しているとよく思う」。

北極圏でのパイプライン撮影の折、まさに最後の一枚を撮ろうというとき、石塚のまえに一匹の北極狐が現れた。狐は、彼の作業の一部始終を見守るように、遠巻きににしていたという。

パイプライン撮影のプロジェクトじたい、「あの一匹の狐に憑かれていただけなのかもしれない」という石塚の感想がいい。井出いわく「アラスカのエキスパート」、12年ものあいだ、年に数ヶ月はアラスカで過ごし、その自然のなかで仕事をしてきた人ならではの境地というべきか。

一方井出は、東京の仕事場でパソコンに向かいながら、グーグルマップでアラスカへ〝逃避〟したくなる。

「こんなに粗くザラついた低解像度の俯瞰写真でも、僕の心は瞬時に遥か北へと飛び立ち、その地の姿がありありと脳裏に思い浮かぶ」。

画面に映し出されるのは、かつて取材で訪れた村・シシュマレフ。ここは、井出のアラスカ通いのきっかけである、写真家・星野道夫が最初に滞在した場所であり、温暖化の影響で海岸が侵食され、家屋の倒壊が相次ぐことでメディアに取り上げられてもいる場所だ。そこで触れた、先住民たちの生活文化、そして、国家政策と資本主義がもたらした暮らしの現実。

アラスカの「重層的な魅力」を掘り当てる「現代のゴールドディガー」たろう、と読者を誘う編集者が、個人的に思い出さずにはいられないアラスカは、そんな「消え行く村」で朽ち果てて行く、人びとの営みの残骸なのである。

どちらともが印象ふかい、すてきな文章だ。アラスカを知るためにはそれなりの装備も、知識や経験も必要にはちがいないのだが、ここでのふたりは、そうした一切を手放した素手の状態で、アラスカはいいよ! と私たちに語りかけている。

ごりごりのアウトドアでもなく、軟らかすぎもせず、達成することや征服することに価値を置かない、とびきりシンプルな冒険への誘いがここにはある。


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