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『海に生きる-海人の民族学』秋道智彌(東京大学出版会)

海に生きる-海人の民族学

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 「未来をになう世代へのメッセージとすることをねらい」とした最後の章「第6章 海の未来論-これからの海と人間」で、著者秋道智彌は、「本書の結論を先取りすれば、海への総合的な取り組みの重要性を提案することにほかならない」と述べている。その「総合的な取り組み」のなかには、つぎのような陸との関係がある。「陸(=川上)を視野においたとき、海の問題(=川下)は往々にして検討外の問題として切り捨てられる。海からの視点からすると、陸の問題も当然、森から海に至る問題として位置づけることができる」。


 本書の主題「海に生きる」ということを、著者はどうとらえているのだろうか。「はじめに」の冒頭で、つぎのように述べている。「本書は人間と海とのかかわりを複眼的な視点から問いなおすことを大きなねらいとしている。陸上動物である人間は海に進出し、そこからさまざまな恩恵を享受してきた。人間は多様な種類の海の生き物を食料や生活道具、あるいは工業製品を生み出す原材料として利用してきたのである」。


 副題にある「海人」については、つぎのように説明している。「海人はたんに海の商品を生産し、交易網の末端で従属的な役割を演じてきただけではない。この点で本書が強調したいのは、海の世界史を担った名もなき海人の果たした役割を正当に評価し、今後の人間と海とのかかわりを考える重要な契機とすべき点である」。だが、海人が「海の資源を無制限に獲り尽くす乱獲の歴史が厳然とある」ことも事実である。そのいっぽうで、「資源を維持しながら持続的に利用する工夫を編みだしてきた」知識と技術ももっている。このような「海人の活動を資源の破壊者とみるか保全者と考えるのか」。著者は「二元的な区分ではけっしてとらえきれないと考え」、つぎのように述べている。「重要な論点は、時代や歴史の変化を通して、海の生き物と海人のかかわりが変化してきたことである。海人の活動の特質は第一に越境性にあるとすれば、第二にはその変容性を挙げたい。なかでも、外部社会の動向や国・地域、さらには世界全体の社会経済や政治的なレジーム・シフトに即応して、海人の活動は変容してきた。しかも、海洋生物の資源自体も一定ではなく、大気と海洋の大きな変動とともに、人間による漁獲の動向によっても変動してきた。自然と人間社会の影響がもろに海人の活動を直撃してきたわけであり、そうした変動にたいする応答が海人の特徴といえる」。


 本書は、「二〇一一年三月一一日に発生した東日本大震災によるカタストロフィ」が、「海が恩恵だけでなく重篤な損失と災禍をもたらすことをみせつけた」ことから、著者は、「日本にとり、いまこそ提示すべき問題がなにであるのか。その意味を海人の視点から問いなおしたいと考え」、本書の構成をつぎのようにした。「第1章を津波からの復興論としたのはそうしたおもいがあったからだ。第2章から第5章までは、生態系、魚食文化、海のネットワーク、資源管理の四つの課題をもとにこれまでの調査研究と先行研究の蓄積をふまえた論述を展開した。そして、第6章でそれまでの論考をふまえた海の未来論を提示する構成とした」。


 「海人の目線でというおもいを強調した」本書は、つぎの文章で締めくくられている。「原発事故による海洋生物の汚染に関する数字データと、世論調査による原発賛否論の数字は今後、時間とともに推移していくだろう。しかし、そのいずれにも真実があるということを誰が信じ、いつ魚介食品の安全性や原発廃止の決定を下すのであろうか。自然科学と社会科学の示す数字の虚構性を追求していくことこそが重要であり、そこに新しい科学の可能性がある。海をめぐる問題についてわれわれはつねに謙虚に対処すべきであり、それは今後の日本と世界を占う試金石となる。海の未来は地震津波にむきあうことから始まる。この点こそ、本書のもっとも重要なメッセージであることを指摘して本書を終える」。


 南太平洋、東南アジア、日本など、世界各海でフィールドワークをおこなってきた著者だけに、「紛争の海」の実態を充分に理解したうえで、海のコモンズ論を展開し、未来論へとつなげている。著者が問い続けてきた「海は誰のものか」については、「第5章 海のコモンズ論」で、つぎのように結論している。「マグロのような高度回遊性資源の場合、回遊海域ごとの漁業管理委員会がマグロ資源を共有財産として管理することがのぞましい。ナマコや貝類のようなベントス資源は熱帯海域に汎分布する。地域ブロックで管理することには無理があり、むしろ国レベルでの管理を徹底することがふさわしい。実際の管理主体はもっと小さな単位の村や島嶼単位による管理が有効である。ただし、村落基盤型の管理がよいのか、国や地方政府の水産行政との連携方式が適切であるのかは条件次第となる。コモンズ的な水産資源管理では、コモンズの発想を一元的ではなく進めることがもっとも重要な論点となることを指摘して本章のむすびとしたい」。


 本書の英文タイトルは、Living with the Ocean - People in a Changing Worldである。著者は、「海人の目線」で考える海洋教育の重要性をつぎのように指摘している。「子どもたちに柔軟な思考、創造的な発想を育んでもらうためには、海のもつ奥深い世界の魅力を伝え、あらゆる側面から海の問題を発見し、考えることがとても大切となる」。「農業中心主義とは異なる日本像」を理解することによって、海を陸の従属物とみるのではなく、海を主体的にみることができるようになる。そうすれば、排他的所有権ではなく、コモンズという考えがいかに重要であるかがわかってくる。近代になって3海里から12海里、200海里へと、国家を主体としたの海への侵出が激しい。著者のいうように、海の管理は、それぞれの状況によってまちまちである。それらすべてを国家の利害から離れて総合的に捉え、文字通りグローバルに考えることができる人材の育成が急務の課題である。

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