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『インドネシア 創られゆく華人文化-民主化以降の表象をめぐって』北村由美(明石書店)

インドネシア 創られゆく華人文化-民主化以降の表象をめぐって

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 本書の目的を、著者北村由美は、「序」の最後で、つぎのように述べている。「民主化とは、公正な選挙を行い、言論の自由を保証するための制度を確立し、そして国民の平等をどのように実現していくかという試行錯誤のプロセス[で]あるといえる。そうであれば、これまで自己表象という自らの「物語」を禁じられていた華人が、ようやく語り始めた「物語」が創られる過程とそれに対応する国家側の動向を描くことは、インドネシアにおける民主化プロセスの記録の一つとなるであろう。一方で、これらの新しい「物語」は多くの場合、スハルト体制期につくられた文化のフレームを模していることから、本書は、スハルト体制が、どのように人々の意識と行動を規定していたかを検証する試みでもある。もちろん、一見同じフレームを使って発信された「物語」が、民主化後のインドネシアにおいて、新たな解釈や意味を付与されていく場合もある。そのような華人文化の変化を通して民主化を検討しようというのが本書の目的である」。


 「インドネシアでは、一九六七年以降権力を掌握したスハルトによって、同化政策の名のもとに、包括的な対華人政策が実行されていった。華人文化の表象に関して言えば、「中国的」とされる言語や儀礼などの表現を、公の場において実践することを禁じられた」。そのスハルトが、1998年5月21日に退陣した。本書は、退陣後、「インドネシア民主化する過程で、インドネシア華人をめぐる政治的・社会的環境がどのように変化し、その中でインドネシア華人文化の表象がどのように形成されていったかを分析している」。


 著者がこのテーマに関心をもった動機は、つぎのように説明されている。「三〇年以上、すなわち一世代以上に亘って、大きな制約を受け[て]きた華人文化の表象は、はたしてどのような形で再生されていくのだろうか、もしくは、再生の名のもとに新しく創生されていくのだろうか。何が、華人文化として選択され、固定化されていくのだろうか。それらの表象が当然のものと受け止められるようになる日が来るとして、そうなる前の過程を記録していきたい」。


 本書は、序、全6章、終章からなる。「第一章 インドネシア国民文化の形成と華人」では、「スハルト体制下のインドネシアにおける国民形成と国民文化について述べた上で、同体制下において国民に含まれることのなかった、インドネシア華人が、これまでどのように描かれてきたのかを概観する」。「第二章 インドネシアにおける華人の歴史」では、「先行研究を参考に東南アジアにおける華人の概要を踏まえた上で、インドネシア華人の歴史を紹介する」。「第三章 言語-ジャカルタ言語景観にみられる中国語使用と変化のきざし-」では、「ジャカルタにおける視覚的な言語、すなわち言語景観[に]おける変容と継続性を分析することにより、スハルト政権以降の華人の生活の一端を捉え」る。「第四章 宗教-儒教の再公認化と華人-」では、「儒教の再公認化を通して、華人と国家の交渉過程とその意義を検証する」。「第五章 表象-華人文化表象の場としての印華文化公園-」では、「インドネシアにおける華人社会団体のひとつ、印華百家姓協会による印華文化公園建設計画の考察を通して、華人文化が可視化されるプロセスと手法を明らかにする」ことを目的とする。そして、「第六章 華人文化表象のもうひとつの方向性-プラナカン概念の再浮上-」では、「プラナカンに関するコーヒー・テーブル・ブックを、マレーシアやフィリピンの同種の出版物と比較することで、ポスト・スハルト期におけるインドネシア華人の自己表象のもう一つの方向性である「プラナカン」の特徴を明らかに」する。


 これらの考察を踏まえて、著者は「終章」で「三二年間に及んだスハルト体制による華人文化への抑圧のために、私的空間で個別的に継承されてきた華人文化が一転して公的空間で発信されるようになった結果、新たに創られていった華人文化の特徴とその意義について本書の内容を」、つぎのように振り返っている。


 「まず第二章で「静的」な華人史を概観した後、第三章では、ジャカルタの言語景観を通して、歴史的な連続性とグローバル化による新しい波の中で、中国語がどのように街に表出してきているのかを検証した」。「その上で、第四章と第五章では、儒教の再公認化と印華文化公園の設立という全く違う内容でありながら、共通点の多い事例を検討した」。そして、これら2つの事例から、著者はつぎのようなことが明らかになったとしている。「いずれの事例も民主化後の動向でありながら、スハルト時代に構築された文化政策の枠組みや宗教の位置づけを重視している点である。例えば、儒教の再公認化においては、教義内容を深めたり信者数を獲得することよりも、公認宗教としての地位を回復させることが優先された。同様に印華文化公園においても、インドネシア華人文化の表象と内実を共有することよりも、タマン・ミニというスハルト時代の公定文化を体現している場所で発信することが優先された」。


 終章の「結びにかえて」では、著者は「民主化グローバル化の帰結として、「華人性」の表象がさらに多様になっていく一方で、「華人性」というエスニシティに規定された枠組み自体が曖昧になっていく可能性を示唆」し、若い世代には、「華人であることを前提としながらも「華人性」にこだわらない形で自己表現を行う人も増えている」と結論している。そして、「本書が謳っている「華人研究」の枠組みが時代錯誤となる日が訪れる日もそう遠くないかもしれない」と結んでいる。


 歴史上、東南アジアの華人・華僑は、各国・地域で何度も迫害にあっている。1960年代後半にインドネシアでおこった華人・華僑にたいするものは、なにを意味するのだろうか。インドネシア研究だけでは、解けないものが多々ある。スハルト時代にインドネシアを旅行したことのある日本人は、中国人と間違われ、この国で中国系の者が生きていく困難さを知ったかもしれない。そして、表に自分たちらしさを出せない時代が数十年続いた後、恐る恐る出てきてみると、1966年から10年間余にわたってつづいた文化大革命の時代と違う本国、中華人民共和国との関係があった。


 もうひとつ忘れてはならないのは、インドネシア流動性の激しい海域世界に属していることである。エスニシティが曖昧なのは、華人・華僑だけではない。その曖昧さにたいして、上からエスニシティや文化を規定し、民族文化や地方文化が生まれることさえある。インドネシアの「華人研究」も、インドネシアの1民族として考えなければならない部分があるかもしれない。


 国際関係の研究としても、東南アジアの地域研究としても、インドネシアのナショナル・スタディとしても、いろいろなアプローチが可能な本書のような研究は、地道に幅広い視野をもってやっていくしかない、という感想をもった。

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